「乳癌検診」-0470-

 血液型と性格の関連性とか、宇宙人の存在とか、それを誰の目にもわかるようにきちんと結論を導き出した論理というのにはまだ巡り会ったことがありません。関連が無いというからには、全部を一切否定できるきちんとした根拠が必要であって、それが無ければ、きっとその存在を夢見ていてかまわないと思うのですが、学問の世界では、いい顔されません。事象は無限にあるんだから原理的に検証不可能であり、まず無いから出発して、何か発見したら、そこから具体的な体系化をめざすことが必要で、それを果たす責任は肯定側にあるということになります。あくまで学問から離れたところとして、遠い星に知的生命体の存在を思ってもいいと思うし、体を構成する血液のタイプが性格になんらかの影響を及ぼすことを感じてもそれは個人の自由だと思うのです。

 何事も、100%というのは難しくて、軽々しく「絶対に」なんて口に出来ません。滅多なことを言ったら、揚げ足を取られて医療訴訟に発展する昨今、ちまちました処置するにも、重篤な合併症の説明はかかせません。

 癌検診なんていうのもやっかいなもので、別にそこでひっかからなかったからといって、100%癌が無いわけでは無いのは、少し考えれば当然のことです。僕が今年関わったのは、乳腺・甲状腺検診で、近年、マンモグラフィーなどの画像診断が検診ツールとして有用であり、従来の触診法の限界を言われている今なお、我が国で乳癌検診はまず触って探すものなんです。今年、僕が甲状腺と乳腺を触った何百人もの人のうち、何十人かは二次検診にまわしたのですが、そのうち3人が、乳癌および甲状腺癌の最終診断がついたのでした。

 2人みつけた乳癌のうち一人は、僕が腫瘍として疑った場所に果たして腫瘍が存在したのですが、もう一人は、全体的に乳腺症のような堅さがあり、半ば念のためという次元でひっかけた人だったようで、僕が積極的にどこに腫瘍があると指摘したわけではなかったのだけれど、とにかく癌がみつかって、先日手術をしたのです。

 100%大丈夫です、とは言いにくいのだけれど、全員を二次検診に回すわけにはいかないので、どこかで線引きをしないといけないのですが、「触った感じ」という人からは教わりにくい感覚で振り分けるわけで、その時の気分なんかでずいぶん線引きは曖昧になっていると思います。また、二次検診でマンモグラフィー(レントゲン)とエコー(超音波)を指示しておけば、それ以上検診の段階で深追いして触診する必要はなく、より精度の高い画像の力に頼れるという安心感があるので、前述のような例もみつかるのです。

 画像上、位置が確定した上で、再度ある乳腺専門ではない先生と一緒に触診してみたのですが、僕らにはいまひとつ癌のような感触はなかったのでした。乳腺外来を担当する先生は、それでもこれは癌で間違いないだろうと言うのです。経験値の差。突き詰めれば、マンモグラフィーもエコーも検査する人、読影する人の力量が重要になってくるのだし、本当に、何事にも高い技術を求められるのだとつくづく思うのです。

 今日、病室を訪れて、ガーゼを交換する時にも、「本当に、検診で早く見つけてくれてよかったです」と、その患者さんは僕に言うのでした。なんとも微妙な感情ですが、僕は既に、「明らかにその場所を疑ってひっかけたわけではないけれど、結果として早期発見できて、早期治療できたので、良かったと思います」と、素直に僕の力量を話しておいたのでした。医者が過剰に卑下すれば、患者の不安を煽るだけで、多少の虚勢は必要だと思うのです。しかし、人間のやること、いろんなことに限界があって、「絶対」なんてない世界に生きていて、僕の年が、僕のすぐ上の医者と10歳以上も離れているのです。とにかく患者さんは、僕が若い故に出来ることと出来ないことがあるのはみればわかるはずで、不安を抱かせない程度に、僕は正直に生きていきたいと思うのです。専門外の患者からの逃げとしてではなく、自分の出来ないことを把握するということは、とても重要なことだと思うのです。身の程を知っていたいと思います。