「そして大学へ」-0471-

 僕の来年の人事がおおまかながら見えてきたのです。大学医局で今年に入って二度行われた人事委員会で、僕ら新3年生(医者になってからもこういう呼び方をよくします)の行き先は、ほぼ確定したのだそうです。

 本拠地、大学の病棟に3ヶ月、関連病院での麻酔科研修を3ヶ月、大学のICU(集中治療室)に6ヶ月というコースは、ひとつ下の研修医が11人もいるのと対照的に、僕らの学年が4人しかいないことからも、なんとなく全員で同じ様な枠に押し込まれるような気はなんとなくしていたのでした。

 今いる病院での勤務が三月一杯ということは、来たときからほぼ確定していたし、何年目でどこらへんの病院に行くかということは、なんとなく匂ってくるもので、今回の人事は、別段驚くことでもなんでもなかったのでした。他の学年の人事がどうなっているのかは全く知らないのですが。

 保険診療とか研修だとか、倫理だとか地域性だとか、完全な資本主義経済の原則にのっとって動いているわけではない病院という組織には、まったく不可解なシステムがたくさんあって、昨年一年間の大学病院での勤務、今年初めての外病院での勤務を経て、それぞれのいいところや悪いところがたくさん見えてきたけれど、何にも増してやっぱり根本的な問題点は、一般労働者に最低限認められているような権利が、医師の勤務、特に研修医という最下層の身分においては全く無視されているということだと思うのです。

 こういうことを書くとまた敵をつくりそうですが、もちろん人にもよるのですが、勤務帯を終えた看護婦(看護師)さんはとことん冷たいし、二言目には「それは先生でお願いします」とか言うのです。そんなことを言うのなら、本当は僕らだって九時五時勤務のはずだし、大学での日雇い研修医は、時間外なんて一切計算されずに、土日昼夜問わず働かされているのです。たとえば外病院なら、看護助手とか病棟クラークとか、そういう専門の職種がいるはずの業務だとか、いろんな雑用だとか、とにかく他の医療スタッフの仕事内容には入らないということにされたこと全部が、なんだかんだと研修医の身にふりかかってくるのです。これは別に下積みの時期だからどうだとか、仕事じゃなくて研修だからとか、先輩医師もみんな通ってきた道だからとか言ってすますべき問題じゃないと思うのです。

 大学のある医局が、関連病院で働く人間も含めた医局員から、おそらく医局費だと思うのですが、新聞に「上納金」と報道されたお金を取ったり、大学にいないはずの時間の給料を計算していたとかなんとかで問題になったのだそうです。その後、大学の研修医全体も、なんだかそのとばっちりを受けたようで、日雇いで9千円とちょっと払われている給料が、朝早起きして大学へ出向いて採血やガーゼ交換などし、帰ってきてからデータの確認や検査オーダーなどする「外勤日」の分が削られるようになったそうです。

 ならば、その外勤日の給料を削るような、正確な勤務報酬計算するのであれば、研修医の時間外勤務を計算してみると良いのです。その日給分、8時間の勤務なんて、下手すれば1日の残業時間でお釣りがきます。権利意識の強い国だったら、暴動が起きるような勤務条件だと思います。いつも感じることなのですが、人間らしい生活していない人間に、人間らしい生活をするための医療を提供してもらうのは難しいと思うのです。

 大学勤務はいろいろあって、去年の地獄も思い出すし、少し怖いのですが、3ヶ月なら耐えられるだろうと、同期の研修医と話すのでした。