「執刀医」-0490-

 割と久しぶりに後輩たちと酒を飲みました。工学部の4年生、工学部大学院の2年生、工科大学の4年生、医学部の2年生と4年生。年も学年も大学も学部もいろいろなんですが、音楽とかそういうことがきっかけになって繋がっている人々。みんな試験だとか卒業研究だとかで忙しかったようで、しばらく会う機会もなかったのですが、みなそれぞれ一段落したというので、集会したのです。例によってタイミング悪く病院からコールが入り、代行車で片道1時間の距離を往復してもらうという荒技を行使しながら、朝まで遊びました。そんで、みんなと別れたあと、また病院からコールが入るのです。

 電話の音は未だに怖いのだけれど、まあ、とにかく「アッペ(虫垂炎)のオペ(手術)するから」という連絡を受け、片道1時間の距離を急ぐのでした。なんとか麻酔医よりは先に着いたので、細かい指示を出し直したり、点滴刺したり、医局のカップラーメン食ったりして、手術に備えるのです。先日、先輩の医師といろんな話をしたのですが、手術でも検査でも、やっぱり経験っていうのは大事な要素で、助手を10回やっても、執刀医を1回やるという経験には全然及ばないと思うのです。オーベン(指導医)の操り人形のように、ただ執刀医の位置に立っていただけだとしても、その経験ははかり知れません。例えば、胃癌の手術にせよ、大腸癌にせよ、その執刀経験を、医者になって5年とか10年とかの間待ち続ける必然性は無いと思います。ずっと助手の位置にいて「目で盗む」ことだけでは、技術向上にも限界があると思うし、単に「下積み」とかそういう考え方だけでメスが握れないのであれば、今後医学の進歩はないとも思うのです。

 少なくとも、今では、どんどん若いうちから、執刀経験を積ませてもらえるようになってきています。ただ、やはり大学を飛び出して関連病院を回る修行の過程で、その所属する施設によってそれぞれの癖があるわけで、僕はこの1年間、アッペ(虫垂炎)、ヘモ(痔)、ヘルニア(脱腸)、ラパ胆(胆石)の手術に関しては、ほぼ全例で執刀医だったのだけれど、胃や腸を切る機会には巡り会えなかったし、残り一ヶ月の生活で、それらの執刀医になることはないと思います。

 人事の話をする時期になると、その病院での症例数とか、若い医者がどれくらいまでやらせてもらえるかとか、そういうことは常々話題になっていて、たまたま僕が今年度勤務する病院では、大きな手術は回ってこないということも分かっていたし、他の病院に行った同級生たちは、時に僕が切らない、癌の症例を切っていることも知っていました。それはたかだか今年一年の話であって、5年、10年という視点で見れば、みな、おおむね平等に症例を経験できるだろう、と、頭では分かっているつもりだったのですが、ふとした瞬間に、でも、僕は、結構目先のことしかみていない気もしてくるのです。正直、同級生や年の近い先輩の、手術経験とかを耳にすると、その都度ものすごく焦るのです。

 今日のアッペにしても、ヘルニアにしても、前に指導医が立っていてくれさえすれば、少なくとも大きなパニックには陥らず、解剖も理解して最後まで進めることは出来るようになってきました。一人でやれと言われたら、とたんに手が震えるかも知れませんが、まあ、なんとか執刀医と呼ばれてもよいと思えるようにはなりました。胃も切りたいし、腸も切りたいけれど、とりあえず僕は4月からICU(集中治療室)勤務で、しばらくはメスを持たない生活になるのです。

 たぶん残りの一ヶ月なんてあっという間で、春には、昨日一緒に飲んだ後輩たちも、それぞれ新しい生活が始まります。ちょうど節目だった人々も多くて、大学院進学とか、県外で就職とか、もう一度同じ学年で学ぶとか、まあ、まさに人それぞれなのだけれど、僕は僕で、毎日、昨日までとは違う僕であり続けているのです。