「祖母の主治医として」-0496-

 今年79歳になった祖母もまた、僕が今まで診てきた患者さんと同じように、自らの体の不調に気付きながら、それを誰にも言わなかったのでした。もう一月も、きちんとした便通がなく、食事もあまりとれない状態になって、周りの人間がそれに気付いて病院に引っ張っていこうとしても、彼女は首を縦に振らず、なんとか近所の開業医を受診したときには、左下腹部に腫瘤を触れる状態だったのです。

 そんな連絡は、当然医学的には素人である、僕の親族たちを経て入ってくるわけで、正確な情報はほとんどないまま、意見を求められるのですが、その臨床症状は、大腸癌イレウス(腸閉塞)を強く疑わせるものであり、緊急に減圧チューブの挿入、もしくは手術が必要であると思うことを伝え、祖母の住む家のすぐ近所にある、総合病院へ、一刻を争って行くことを強くすすめたのでした。

 近所の顔見知りの開業医のところへ行くのにも良い顔をしなかった祖母が、そう簡単に別の病院を受診するはずはなく、聡明な祖母は、恐らく自分の病状をさとっていたに違いなく、「私はもう、このまま死ぬからいいんだ」といったのです。「ただ、」祖母は続けたのだそうです。「孫が医者になったというのに、その孫に診てもらえないなんていうことは哀しいことだ」と、彼女は呟いたのだと言います。

 僕はどうにかして、病院に時間をもらい、実家へ行く手段を考えたのですが、どうやら、それではダメで、あくまで、僕が勤務する病院で、僕の外来で診察をするということが重要なようなのです。僕の現在の身分は、大学病院の集中治療室で働く非常勤の医師であって、本来ならば外来とか一般病棟には直接関わることがない身分なのですが、自分の所属する外科の外来を一部屋貸して貰うようにお願いして、集中治療室での仕事の合間に少し時間を貰い、はるばる2時間以上もかけてやってきた祖母の診察をしたのでした。

 電話で伝えられる情報にはひとことも無かったことだったのですが、実は開業医のところで注腸造影を施行されていて、それと果たして左下腹部に巨大に触れる硬い腫瘤は、S状結腸癌と、それによる腸閉塞状態を示唆するのでした。まだ、腹痛などは出現していないというのですが、それは時間の問題で、すぐにでも絶食し、IVH(中心静脈栄養)を入れて、場合によっては減圧し、癌を取りきれないにしても、緊急に手術し、人工肛門をつくって、イレウス解除をすることが必要と思われたのです。

 親類たちの住む町から、僕の大学へは、車で2〜3時間かかるわけであって、入院を要する、それらの処置をするのには、やはり近所の病院がよいというのは、僕も含めた親類の総意であり、また、例えばレントゲンとかCTとか採血だとか、もう少し詳しい情報を知るための検査も、緊急で施行するには大学という巨大組織は、もの凄く不便な場所であって、僕は視診・触診・打診・聴診という基本の四診と、腹膜播種の有無や、別の腫瘤を確認する、ジギタール(直腸指診)を行ったのち、いずれにしても、このまま放っておくわけにはいかないのだから、点滴を入れるとか、管を入れるとか、手術をするとか、なんにせよ、みんながすぐ来てくれる近くの病院にかかって欲しいと、孫として、外来主治医として伝え、なんとか納得してもらったのです。

 祖母が僕の大学を訪れたのは、とある金曜日で、とんぼ返りで平日のこの日のうちに受け入れてもらうことを確実とするため、僕はその病院の外科医に電話を繋いでもらい、検査もなにもすんでいない状態の、救急患者を快く受け入れてもらい、どうやらその日のうちにIVHを入れてもらったのです。幸い、イレウス状態はその時点ではそれほどひどくなくて、特別な減圧など、緊急の処置は避けられたとのことでした。

 結局は、その後、腫瘍熱や痛みも出現し、準緊急で手術施行となりました。ICU(集中治療室)の当直明けで、眠い中を運転して、見舞ったのですが、また、頃合いをみて、帰省しようと思っています。手術所見などから、祖母はおそらくあと数ヶ月の命だと思います。なるべく早く退院してもらって、良い人生を全うしてもらいたいと思うのです。

 当たり前のことなのに、こういう機会にしかなかなか自覚しないのだけれど、僕が関わった手術の数だけ、その患者さんと、その患者さんに関わる多くの人の人生に、大きなドラマを展開しているのだということを再確認するのです。僕はいったいどれだけの人間の、人生の大舞台にしゃしゃり出ているのか、たかだか3年目の医者なのだけれど、すでに数え切れないのです。