「五月病」-0497-

 社会の多くの出来事は、もはや僕の与り知らぬところで動いていて、中東で起こった戦争に対して、「何か嫌だな」程度の想いを抱く以上のこともそれ以下のこともなかった自分に少々幻滅したりするのです。流行りの歌は歌えないというよりは、何が流行っているのか知らないという状態なのは医者になってからずっと変わっていないことで、月の半分は当直という勤務体制に、日付の感覚どころか昼夜の感覚もおかしくなりはじめ、医者として3回目の春も、よくわからないまま時間だけが流れていくのであって、その時間の証明として、先日、また僕は齢を重ねるのでした。

 新しい環境でドタバタして、数えないと思い出せなくなった自分の現在の年齢を確認して、飲み過ぎた酒の量を振り返って、モニター上にあらわれる無機質な数字に振り回されて、いつも気付けば5月病になることをすっかり忘れているのだけれど、なんだか無感動に薬の指示を出す自分は、5月病のそれではないのかと思ってみたりもします。

 不必要な仕事をすることはないのだから、仕事は楽で構わないのだけれど、必要な仕事を放棄するのは違うし、僕らが相手にしているのは、モニターの血圧でも、採血結果でもなくて、その宿主たる人間であるということを忘れてしまうのも大間違いなのです。ICU(集中治療室)の仕事の忙しさにも当然波はあって、満室のベッド状況を、比較的軽傷者を押し出して、さらなる重傷者を受けるというような回し方をしばらくしていたかと思えば、ある日のベッドは半分開いていたりもします。

 予定手術でICUにやってくるのは、開心術とか開胸術、開頭術といった侵襲の大きな症例や、合併症の多い症例です。ある日も数件の予定入室者があげられていたのです。その中で、肺癌の手術予定の方の噂が、ICUにもやってきたらしいのです。どうやら、進行が凄くて、手術適応がないかも知れない、というその報告を受けて、ICUの一部の看護師が「やった! 手術しないんじゃ、入室取り消しかな?」と臆面もなく言ったのだというのです。怒りがこみ上げてくるというよりは、寂しかったのです。そんなにこの仕事がいやなら、直ちにやめてもらいたいと思います。

 僕らの仕事は、患者さんたちの存在の上に成り立つわけで、当然、患者さんが少なかったり、重病人がいなくて、結果僕らの仕事が楽になるのは、凄く良いことだと思うのです。その反面、治療法が無くなってしまうことにより、僕らの仕事、例えば手術だったり、その後の管理だったりすることが、結果として軽減することは確かにあるのです。ただ、それは、僕らが手を出したいのに出せないということであって、哀しみこそすれ、決して喜ぶべきことではないのは、当たり前のことのように思えるのです。

 モニター上の数字は絶対で、血圧が10高いとか低いとかいうことには大騒ぎをするのに、その本質は数字なんかじゃなくて、生きた人間という存在なんだということを、なぜ忘れてしまうのでしょうか。一緒にICUで働いている内科の医師は、「ICUってとこは、主治医になるわけじゃないし、麻酔科医も看護婦(看護師)も、担当になった時間だけを、おおむね意識のない患者を診ているわけで、相手が生きた人間だという配慮に欠けているんだ」と言うのでした。

 僕のICUでの大きな仕事は、その日たまたま割り当てられてた患者さんに対する定時の検査と、それを参考に行われる前身管理で、心拍数とか血圧とか尿量とかカリウムの量とか、モニターと数字だけみていれば全てこなせてしまうような錯覚に陥っていたかもしれないです。24時間365日ついてまわる、自分の受け持ち患者という存在がなくなって、あくまで勤務時間内だけの受け持ち、しかも主治医は別にいるという勤務は、いままでにない経験で、帰宅後に電話のベルに怯えることはなくなったのだけれど、状態の悪い患者さんを次の勤務者に申し送ったあとの不安感が消えるわけではないし、なによりも、今までは結果がどうあれ、ある程度得られた達成感とかそういうものが、ほとんど感じられなくなってしまったのです。

 かつて、完全なオフの無い勤務に疲れ果て、交代制の是非を考えたりもしたのですが、いまだに僕の中で、結論には至らないのです。