「代々木公園」-0520-

 木曜日は整形外科医。毎週木曜日に、大学で教授回診前の早朝カンファに出たあと、日勤当直で外勤にやって来る病院では、整形外科医の院長と二人で、簡単な整形外科手術を行っています。今日は骨折の観血的整復を二例と、骨折整復後の抜釘一例。普段、いわゆる「外科医」が手を出さない領域なので、なかなか貴重な体験です。

 その他、月・水・金は大学で手術。半年ぶりに戻ってきた外科病棟で、すぐさま外科医的生活が再開されるのです。大学というところは、手術よりもむしろ、それ以外の雑務がめんどくさいとこなので、やはり毎日日付がかわってから帰宅するような生活になるし、交代勤務のICU時代よりは当直は減るだろうと思うわけですが、減るには減ったけど今月結局10回で、三日に一度はお泊まりです。とりあえず、今日当直、明日大学当直、土曜日同僚の結婚式、日曜外勤当直、月曜(祝日)外勤当直、火曜日通常勤務、という昔懐かしき生活。

 話は変わりますが、先日、代々木公園でいろんな方々と遊ぶという集いがありました。文字通り遊ぶのです。ドッジボールとかだるまさんがころんだとか、フルーツバスケットとか。ただ事実だけを並べるとわけがわからないような気もしますが、僕はそういういろんなことで癒されているのです。

 小学生くらいのときは、缶蹴りをすることが、大集合の立派な理由になりました。そしてその缶蹴りを面白くするためには、いろんな個性が必要です。学校教育がいうような個性でも無いし、なんだか押しつけがましい平等でも無くて。そこには自然発生的なヒエラルキーが出来上がり、リーダー的役割を演じる人間も必要になるのです。足が速いことだけがゲームを有利にしないし、他人との駆け引きも友情も必要になります。思春期を終えて「大人」のようになった僕らは、かくれんぼのために予定をあけなくなって、4人集まる理由は麻雀くらいになり、遊ぶイコール酒を飲むことと勘違いするようになりました。

 そんななかで、公園に集まって遊ぶ、という発想。ちょっときくとたいしたことではないようですが、そういう発想は誰にもできるものではないと思うのです。こういうことを考える大人って素敵です。僕が「公園で遊びました」というと、ちょっと不思議な響きになりますが、それが自然に語れるという特権を持った子どもたちは、もっとこういう遊びをすればいいのに、と思います。こんな面白いことはないですよ。遊びは子どものものだと思いこもうとしているのは、そういう遊びをする時間と理由を見失ってしまった大人たちが、我慢するためにかけた暗示のようなものだと思います。医療に全てをかけることが、医者としての僕の能力を高めてくれるかも知れませんが、僕には医学以外にも大切なことがたくさんあります。

 テレビに出てくる医者たちは、徹底的に悪人だったり、もしくは人生の全てを医療にかける聖人だったりするのですが、きっと大部分は、僕のような普通の生活をしたい人間です。仕事は好きです。でも、仕事が全てではありません。目の前にある仕事には、いつだって真剣に取り組んでいるつもりです。だけど、余暇だって真剣に過ごしているのです。公園で遊んだり、ベース弾いたり、酒飲んだりしている時間は、浪費の時間じゃなくて、僕にとって大切な人生の瞬間なのです。

 公園でともに遊んでくれた方々、ありがとうございました。次回また、そういう機会があって、仕事の都合がつけば参加したいと思います。僕の予定に振り回されながらも、不自由で限られた練習につきあってくれたり、ライブを共にしてくれるみんな、どうもありがとうございます。これからも、一緒に楽しんでいきたいです。

 あと最後に。みなさん、このサイトへいろんなところからたどり着いているのだと思います。いろんなタイプの人間や、いろんなサイトと交流があるので、ここへたどり着いた経路によっては、戸惑ってしまう方があるかも知れません。ただ、僕はそういういろんな要素を持った集合体としての存在なので、その一部を特化してどうこうするつもりが無いのです。仕事が外科医なので、なんとなくそういう話題が多くなってはいますが、まあ、あまり構えずに読み流して頂ければ嬉しいし、掲示板なんかにも、一言残していってくれると嬉しいです。

 病院生活が長くて、外界に接する機会の減った僕にとって、ネットでの交流は重要なコミュニケーションのひとつです。