「思春期」-0535-

 土曜日は、古い友人の結婚式でした。新郎新婦共々、高校時代に演劇部に所属していた仲間。新婦とは中学1年生のときに同じクラスでした。僕の通う公立の小学校は学区の狭間にあって、中学校にあがるときに3つの校区に別れるという場所でした。高校は僕の小・中学校から選べる範囲には4つしかなくて、そのうち普通科は2校からしか選択できませんでした。県の外まで出ていく人はほとんどいないにせよ、学区を超えて遠い高校に通う人も多く、幼馴染みとずっと同じ学校とかそういうのは、かなり低い確率になるのです。実際、小学校から高校まで一緒だったのは数人くらいでした。時間と場所を共有したあの頃は、それなりに仲もよかったけれど、携帯電話世代ではなかった僕らは、頻繁な連絡を交わす手段を持たないまま、いつの間にか散り散りになっていたのです。

 例えば、小学校の6年間仲良しだった友人が、別の中学に行き、高校で再会したときに、以前のような関係では無くなっているようなことも少なからずあるわけで、過去というただの歴史だけで繋がっていられるというわけではないことを、僕らはなんとなくわかっています。今回の結婚式に、どんな懐かしい顔がそろうのかと思っていたけれど、僕が音信不通になっているような友達は、彼らもやはり消息をよく知らないらしく、「友人」という席には、それほど多くの人間が集まったわけではありませんでした。それでも、中学、あるいは高校卒業以来初めて会うという人も多くて、学生時代の面影そのままに、実はもう子供がふたりもいたりしたのでした。

 僕が使っている「ザウエル」という名前は、高校の演劇部時代のニックネームで、別にネット関係の集まりではないその披露宴の場で、いい大人たちが、別段違和感を覚えずに、「ザウエルくん、久しぶり」というのはなかなか新鮮でした。そういえば、当時後輩は、僕を「ザウさん」とか呼んでいたのでした。新郎は、由来不明ながら「ポール」「ピースケ」などの呼び名を複数持っていたし、他にも「びゅう」とかいう名前が本名以上に脳裏に焼き付いている人が多くて、その多くが本名に由来していないというのも演劇部的な感性だったのでしょうか。僕らはそういう雰囲気が全部好きだったし、エキセントリックでいたかったし、思春期を怠惰に過ごしていたし、積極的に死んだりはしないけれど、次の日生きていなかったとしたらそれはそれでいいと思うとかいう話を、体育館のステージの上で何時間も話すような10代だったのです。結婚披露宴を行った町も、僕にとっては久しぶりに訪れる場所。幼いころは、国鉄の駅からそのまちへ向かうのは大冒険だったし、そのまちは大都会だったのだけれど、今みつめるその町は、僕の知っている町とは様子を変えていて、そこに時間の流れを感じさせて、余計そのまちや、学生時代にまつわる思い出を蘇らせるのでした。

 時間がないあまり、地方都市から地方都市の移動などの場合、少し遠回りになるような経路を選んで新幹線を使う、というようなことをよくします。お金はかかるけれど、明らかにそれが最速で、楽なのです。大宮の新幹線のホームなんかにたつと、「僕はどこにでも行ける」と思うし、盲目的にどこかの新幹線に乗り込みたくなるのです。感傷的だった中高生時代の僕が蘇って、一瞬、ピーターパンシンドロームのような思いにとらわれたりもします。打診された九州行きとか、突然呼び起こされた思春期の記憶とか、容赦ない時間の流れとか。

 翌日は東京で用事をすませ、その足で、代々木公園へ向かいました。先月からまぜてもらっている、とにかく公園で遊ぼうというその集いで、みんなの暖かさに触れて、僕はやはり関東地方で築いた人脈を容易には捨てられないと思ったのです。僕は完全に、こういった人の暖かさに依存して生きています。例えば法律上認められたとか、書類で契約を交わしたとか、何かの団体に属したとか、そういうところに安心感は無いと思っていたし、僕は常に、自分で自分を守る構えで生きてきて、幸い、経済的なこととか、そういうことでは、完全に独立して生きていける状態にはなっています。あとは、僕の生きる意味だけなのです。

 結局仕事だけには生きられず、はっきりしない九州行きの話は、この数日間僕の心を惑わせているのです。もう少し、きちんと休みをとれる職種であれば、例えば月に一度でも、繋がりを持っていたい人とか社会と、物理的な距離を埋めることに、多少のお金がかかっても構わないのですけれど、この業界ではプライベートの充実には向いていないのです。住む場所というのは、やはり大きな意味があります。結局何かを得て、何かを犠牲にしなくてはいけなくて、そういうのが人生なんでしょうけれど、僕は物の捨てられない人間なのです。

 掲示板やメールなどで、たくさん励ましやアドバイスを頂きました。とても感謝しています。ネット・実生活を問わず、僕の特に親しくさせて頂いている方々には、また追々、話したいことがあるのです。いろんな意味で、僕の人生の転換期だな、と思います。