「お金は大事だよ」-0537-

 大学で研修医一年生をしていたときには、正直ほとんど気にならなかったことに、「医療コスト」ということがあります。二年目に僻地の赤字の赤十字病院で働いて、事ある度に院長は「赤字だ赤字だ」といい、緊急手術で夜中に非常勤の麻酔科医を呼ぼうとすると、「麻酔科ホントに必要ですか? 麻酔科呼ぶと高いから先生が麻酔かけてくれませんか?」なんて本気の顔で看護師に言われたり、午後五時を過ぎないとコストのかかる「スキンステープラー」は使わせてもらえず、角針と2-0絹糸しか与えられなかったとか、常に医療コストを意識して働いていたのです。きっと午後五時を過ぎると、手術に時間がかかることで手術室の看護師にかかる人件費より、スキンステープラーのほうが安いという計算なのだと思います。一番安いのは常勤の医者の人件費で、時間外の手術も、ろくに給料計算しないでこき使われる医者がいる一方、自動吻合器には数万円支払わなくてはいけないのです。

 独立行政法人化とか、包括医療とかいった移行で、大学病院も少しずつコストのことを考えなくてはいけない時期に来ていますが、基本的に教育・研究を兼ねた施設であることは変わりなく、学生の手術参加とか、検査体験とか、そういうことには大層お金がかかるのです。最先端の医療技術や医療道具を使えばそれにもお金がかかるのです。

 僕が渡された一本の吸収糸を大事に短く短く何度も使って皮下縫いしている横で、助教授がおもむろに、通常なら安い絹糸を使えば事足りるドレーンの固定に、高い吸収糸を使ったのです。「ああ、大学ならではの贅沢な手術ですね」と僕がいうと、「そうだね。まあ、でも一本500円くらいだから」と。「でも先生、毎日病院の食堂で300円のカレー食ってる人間の使っていい糸じゃないですよね」

 かわった医療器械とか手技が大好きな助教授は、他科が所有しているのに気付いて、オムニ鉤とかオクトパスとか呼ばれている道具を引っ張り出してきてよく使っています。術野展開のために、鉤をかけて誰かが引っ張るというその作業を、その器械にまかせるわけですが、割と固定もよく、使い勝手がいいもので、最近になって、乳房同時再建の手術とか、大腸癌手術の視野展開に使っています。「ああ、この器械も高いんですかね、きっと」と問うに、「うん、五、六百万だと思う」という答え。「僕ら手取り月十万強で週7〜80時間もこきつかわれてるのに、鉤引きにそんなに払うんですね。僕ら、鉤引きくらいしますよ。その分給料どうにかしてくださいよ」って、結局国の予算で動くので、決算にあわせて高い買い物したりとか、そういう融通のきかないとこなのです。もともと我が国では、目に見えない「能力」とか「手技」とか、行為自体に対価を払うのが苦手ですし。

 汚い話かも知れませんが、全ての人間に無尽蔵に医療費を注ぎ込めるわけではなく、むしろ限りある医療資源を節約し、技術力とかそういうことで治療できることが素晴らしいのに、先に述べたように、手技自体に医療点数をあまり認めていないことも多くて、そうなるとそれはそれで、病院は医療保険請求ができなくてお金が入らないという、なんだか難しい現状。