「医局と辞表と履歴書と」-0554-

 外科医の麻酔科生活最後の一ヶ月に突入しました。僕は来月、県境をまたいで、また外科生活に戻る予定です。これは別に転勤でもなんでも無くて、単に辞職と新採用ということに過ぎないのです。もちろん、純粋に系列の病院間の異動というのも存在するのでしょうけれど、医者の世界ではそういうのは少数派です。その人事におおきく影響するのが、昨今悪の根源のように報道されまくる「医局」です。

 あんまりにも医局という言葉が悪いイメージを持っていると、どこかの偉い人たちが考えたために、僕の所属する医局も、大学の命令により、「医局」という言葉を改め「医会」とかいうようになりました。また、医者のいる部屋という意味で使っていた「医局」は、「医師室」とかそんなかんじに改称されました。言葉狩り。実質医局は医局なので、僕はまだ、特に意識もせずに、医局という言葉を使っています。

 おおむね、大学の一講座に対し、一つの医局が存在します。医局員というのは、必ずしも大学に籍があるわけでなく、関連病院に出ている医者、研究生活している医者、大学院に在籍する医者といろいろです。ここで言う、「関連病院」というのがやっかいな概念で、会社でいう本社と支社とか、親会社と子会社というような明確な関係ではないのですが、その「独立した」ある病院と、大学の間で話しあって、病院のポストを大学の医局員でまわすということをずっとやってきたのです。

 大学にとっては、医局員の就職先の確保。関連病院にとっては、常時医者を確保できる、という双方のメリットが一致したわけです。ただ、「医者あまり」という言葉が叫ばれて久しいですが、僕らはそれを感じることはあまりありません。いくらでも増員をほしがる病院がそこらじゅうにあるのです。

 一般企業に就職した人が、都会で働きたがり、僻地へ行かされるのを左遷と呼ぶように、労働者としての医者も、やはり都会に住みたい人が多いようです。患者の急変やらなにやらで、病院の近くから離れられない生活ともなればなおさらで、地元でもない田舎の病院に縛り付けられてしまえば、プライベートの充足を得るのは難しいのです。

 かといって、田舎にも病院は必要です。全国の病院が、それぞれ勝手に医者を募集したとしたら、例え給料が良かったとしても、症例が少ないとか、とてつもない田舎とか、そういうところへ行こうとする医者はかなり限られてくると思います。現状では、そういう田舎の病院も、都会の病院も、医局がまとめて人事を握ることで、医局員たちが異動するということでバランスをとっているのです。たとえ田舎の病院へ行ったとしても、次の人事ではある程度希望の病院へ行けるだろうとか、希望の病院でしばらく働いた後は、少し条件の悪い病院でも我慢しよう、という長期的な展望で考えられるのです。

 僕らの世界は、不思議なことに、仕事の忙しさと給料が比例しません。下手すると逆比例します。ある程度まっとうな医者は、自分のキャリアを積みたいと思うので、例えば僕ら外科医は、ほとんど手術が無いヒマな病院よりは、毎日手術のある病院へ行きたがります。特に、僕ら若い外科医はそれが顕著だと思います。おかしなことに、ヒマなはずの病院のほうが、給料が良いことも往々にしてあります。なり手がいないのかも知れません。仕事を単に金儲けの手段と考えれば、ろくに仕事もしなくていいのに給料だけもらえるなんて夢のような話なのでしょうが、人生のかなり長い時間をかける「仕事」という部分にも、重要な意味を考えると、それは単にお金の問題ではないのです。

 さて、僕はそんなわけで大学の外科の医局員です。でもとりあえず、今の公的な身分は、公立病院の麻酔科の研修生です。そこで僕が麻酔をかけた人の胸を切っていた医者は、僕の外科の大先輩で、外科の医局員ですが、大学に籍はなく、その公立病院の外科医長です。医局という存在が、特殊な存在であり、ゆがみを生じていることは分かっています。ただ、これに変わる優れたシステムをつくらない限り、僻地の病院から医者は流出し続けます。

 北海道をきっかけに大問題となった医者の名義貸し、それにまつわる金銭授受。医局は悪だ。ただ、なぜそんなことをしたのか。それほど僻地の医者不足は深刻だったのであり、現実を無視した、常勤医の数を厳しく規定する法令があったからなのです。そして、あんなにバッシングを受けた結果、関連病院、自治体、大学の関係はクリーンになったのかも知れませんが、結局病院に医者がいなくなって、そのあとどうするのか、ということになるのです。

 僕はそれほど医局にこだわるわけではないけれど、現時点で、僕は医局員として医局の人事で動き、毎年辞職願いと履歴書書いて、医師免許のコピー送ったり、電気とガスと水道と電話といろいろとめたり始めたりとか、そんなこんなであわただしく3月は過ぎていくのです。