死というゴールとか忘却という能力とか

 そりゃあもう、生命を軽んじているわけではなく、それを大切に思うからこそ、それに向き合って仕事をしているわけなんですけれど。
 でも、僕が目指すところは「天寿を全うする」ということであって、決して不老不死では無いんですよね。死というゴールが約束されているということは、生命体にとっての幸せだと考えています。
 以前、こんなことを書いています。

 僕にとって、人生はたった一回であり、絶対に終わりがくるものです。そうやって時間が限られているからこそ、死というゴールが約束されているからこそ、僕は頑張って生きられるのです。これが仮に、永遠の命とかいって、終わりが見えなければ、僕は同時に生きる意味を見失うかも知れません。
 幼い頃、というか実は今もなんですけど、死後の世界っていうのが本気で怖かったのです。なんていうか、「永遠」ってのがすごく怖いのです。輪廻転生も怖いし、永遠の命も怖い。小学生くらいの時に、人が死んで土に帰り、その一部は木となり、草となり、あるいは動物の一部になり、体を構成する成分が自然に還っていくのだ、という死生観に触れたことがあって、それが僕の一番望む形なんです。魂とかそういうのもあるかも知れないけど、無ければ無いで、それでいいのではないか、と。そういう形で自然に還ればそれで良くて、何かに生まれ変わりたい、という思いはそれほど強くないのです。そして、僕は約束された死という終わりがあるから頑張れるのであって、僕が僕として生きるたった一度の人生を、とても大切にしているのです。

 あと、時間が流れるとともに消えていく何か、というのもとても素敵なことだと思っています。人間にとって、全ての情報を完全に記憶し、常に出力できるという能力を備えず、時に忘却したりできるということは、「死」というゴールと同様、人間にとって最高の能力であり、幸せだと思っています。