SoftBankのCM、追記

 先日、SoftBankのCMが不快だという話を書きました。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20061217#p1
 まあ、僕も別にあのCMがすぐさまいじめを助長するとまでは思いません。しかし、ああいったCMを平気で流してしまったり、あれをみても特に強い感情が湧かない人々が少なくないという事実が、現代の「いじめ」を生む体質そのものであるような気がして、つくづく不快なのです。
 あのCMに対する不快感は独特なもので、それとは異質の、単に鼻につくCMと並べるのは全く意味のないことです。あのCMと同様に品が無いにしても、ただ単に「ああ、嫌いだな」と思うにすぎないものとは明らかに意味が異なるのです。無論、僕が特に気にもとめないCMが、ある特定の人々にとってはトラウマティックな不快感を抱くものである可能性が無いとは言えませんが。
http://webbingstudio.com/rest/2006/12/post_37.html

キミちゃんのCMが特に嫌がられている理由は、それとは質が違う。
ソフトバンクが、以下の点を明らかに理解した上で、狙ってやっているからである。

・CMのシチュエーションが日本の学校社会独特のもので、観た人に強烈な既視感を与えること
・観た人のうちの一部が、かなりいたたまれない気分になること
・日本の学校社会の暗部ともいえる学生の自殺や不登校が問題になっていること

私は自分の性格はよくわかっているので、普段からいじめ系のドラマとか、嫌味な登場人物が出てくるドラマを徹底して観ないようにしている。調子が悪いときはいたたまれない気持ちになるテーマのものも避ける。この間は姉が借りてきた「末っ子長男姉三人」のDVD程度でキレそうになった。
だけど、流石にCMは選びようがない。

 ここで書かれているように、一部にすぎないのかも知れませんが「観た人に強烈な既視感を与え」、「かなりいたたまれない気分になる」こと、そして、嫌いなタイプの映画や番組をみるのを避けることはできても、テレビをつけた時点で、「CMは選びようがない」という点で、あのCMは非常に不快なのです。
 まあ、わざとそうしているのかも知れませんが、こういったCMの不快さに対して、「LOVE定額非モテが怒った」というような話題を並べるような方には、この「一部の人」が強く感じるような「既視感」「いたたまれなさ」という感情、あるいは、そういったものに対する「想像力」が欠如しているのだと思います。
 全部が全部そうだとは言いませんが、日常生活の中で、強者が弱者にたいして何の気無しに行ってしまう行為、「一部の人」以外には、あるいは、そんなの単なる冗談だとかいって片づけられてしまうことの中に、はっきりと誰の目にもわかりやすくうつる暴力よりも、むしろ残酷な攻撃性を秘めているものなのです。
 あのCMの場面は、そういった「何気ない日常の行為に秘められる攻撃性」を十分わかった上で敢えて描いているようにしかみえないので、つくづく不快なのです。
 ゲームや映画の暴力描写が暴力を誘発するから規制せよ、といったような論調で、あのCMを批判する気はありません。冒頭に述べた通り、僕も別にあのCMがいじめを直接助長するとは思いません。ただ、ほぼ選択権を奪った状態で流されるCMの中で、ああいった表現をするという手法は褒められるものではないと思います。
 むしろそのCM自体よりも許し難いのは、想像力の欠如した人々の「あんなのにいちいち怒らなくても」という反応なんですよ。別にはっきりといじめを描いたわけではないCMとの相乗効果で、あのCMにトラウマ的な不快感を抱くタイプの人間に、さらなる強烈な攻撃となるのです。強烈な既視感というのは、ああいった風景が、日常のいろんなところにあるからに他ならないわけです。
 ホント、嫌なんですよ。