医療事故調パブリックコメント

http://d.hatena.ne.jp/zaw/20080426#p1
 拙いながらも、自分なりの文章をまとめて厚生労働省に提出しようと思っています。風の噂では、5/7にいったん締め切られてしまうらしいです。すべてが決まってしまってから文句だけ言うのも建設的ではないので、今のうちにできることはしておこうかな、と。
 うまく言いたいことが盛り込めないので、もう少し直してから提出するつもりです。もし何かご意見ありましたらコメントやメールを頂ければ幸いです。

「医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案―第三次試案―」に対する意見

 この第三次試案の根本的な問題について「第四次試案」を目指した議論がなされないまま、拙速に立法・制度化されることには強く反対致します。
 医療に関連した不幸な結果について、中立的立場から専門的な調査を行うことは無論必要であります。これは、再発の防止、また、医療側と患者さん側との軋轢を取り除くものでなくてはなりません。そのような見地から、第二次試案に対して医療側からの批判が行われました。その結果、批判された文言は注意深く削除されるか言い換えられるかしましたが、内容については大きな変化が無く、具体的な問題点についてはほぼ踏襲されているようです。
 第二次試案に対して現場の医師から最も反発が大きかったことであり、私個人としてももっとも危惧していることでもあるのが、個人の処罰に報告書が使われることです(段落39-40、46-49)。これは、この試案だけの問題ではなく、刑法への疑問にもつながりますので、この試案に関してのみ議論されるべきものではないのかも知れません。しかし、このことによって、原因の究明という、この試案の本来の目的が果たせなくなることは明らかであります。国際的には、こうした医療事故の報告制度として、世界保健機関(WHO)が、2005年に"WHO Draft Guidelines for Adverse Event Reporting and Learning Systems"を発表しています。この試案の第6章において、報告制度成功のための7つの条件が挙げられています。
( http://www.who.int/patientsafety/events/05/Reporting_Guidelines.pdf )
1 Non-punitive
 報告者や関係者が、報告の結果、処罰を受ける恐れを持たないようにすべきである。
2 Confidential
 患者、報告者、病院の個別情報は決して明かされてはならない。
3 Independent
 報告制度は、処罰権限を持つ当局から独立していなければならない。
4 Expert analysis
 報告は、医療がおかれた環境を熟知し、背後にあるシステムの問題を理解できるよう訓練された専門家によって分析されなければならない。
5 Timely
 報告は即座に分析され、勧告は迅速に関係機関に周知されなければならない。特に、重大なリスクが発見されたときは迅速性が重要である。
6 Systems-oriented
 勧告は、個人の能力ではなく、システム、プロセス、最終結果がどのように変えられるかに焦点をあてるべきである。
7 Responsive
 報告を受けた機関は勧告を周知させる能力がないといけない。周知された関係機関は勧告の実現を責務としなければならない。
 これはあらためて指摘されるまでもなく、医療安全に関わる専門家の常識とも言えますが、第三次試案においては、この大原則が全く反映されておりません。そのため、この試案が、医療事故の再発防止ではなく、責任追及や、新たな刑事追訴の入り口を増やす目的で作られたものなのではないかと邪推されてしまいます。我が国の報告制度も、世界基準を十分に意識したものであるべきだと考えます。しかし、もし、厚生労働省がWHOの試案が間違いだと考え、全く独自の試案を目指しているのであれば、まずその根拠を広く国民に説明すべきだと考えます。
 医療事故に関して「業務上過失致死傷罪」が適用されることが少なくありませんが、この「暴走」について、井上清成弁護士は、最高裁判所1985年10月21日決定の、谷口正孝最高裁判事の補足意見を紹介し、以下のように解説しています。「過失は、『重大な過失(重過失)』と『軽度の過失(軽過)』に分けることができる。『重過失』に対しては、『軽過失』に適用される過失致死傷罪(現行刑法209条、210条)では刑が軽いので、重過失致死傷罪が設けられる以前は、その代わりとして刑が重い業務上過失致死傷罪の『業務上』の解釈を拡張して適用していた。ところが、重過失致死傷罪(現行刑法211条1項後段)が設けられて、業務上過失致死傷罪(現行刑法211条1項前段)を拡張して適用するのは終わるはずだったけれども、いったん拡張してしまった業務上過失致死傷罪はそのまま“暴走”を続けて現在に至ってしまったのである」
 ここで、刑法の適用を、「重大な過失」に限定しようとする機運もあるようですが、なにをもって「重大な過失」とするのかが決まっておらず、結果の重大性をもって「重大な過失」としてしまう流れが存在します。また、そもそも、医療事故調査制度ができても、刑法211条が改正されない限り、歯止めは存在しません。医療を刑事免責することは、検察官の独立性の原則、刑法211条、刑事訴訟法からみて、現行法上ありえません。これについては、2008年4月4日、衆議院厚生労働委員会で、岡本みつのり議員からの第三次試案についての質問に対し、警察庁米田刑事局長は、「遺族からの訴えがあれば、調査委員会を通さずともやはり警察は捜査せざるを得ない」と答えていることからもはっきりしています。すなわち、業務上過失致死傷が問題になっているのは医療だけではなく、特別扱いを要求すべきではないと考えます。しかし、これには他の分野を巻き込んだ大きな議論が必要であることは間違いありません。
 ただし、「原因究明・再発防止」のためのシステムとして、報告書が個人の処罰に用いられるという点は致命的な欠陥であることは間違いありません。事故について最も多くを知るのは当事者ですが、処罰を前提とした調査では、事実が表に出にくくなるのは当然の流れです。これは、患者さんへの率直な説明に支障をきたし、軋轢を生み出す原因ともなります。事故と医療従事者の処分を連動させることは対立を不必要に大きくし、真相の解明を阻害します。あくまで、処分は全く別のところで検討すべきだと思います。また、処分については、被害の有無や結果の重大性によらず、逸脱した医療行為を行ったことを理由に検討されるべきです。
 また、報告書にまとめられた反省点が、専門家のお墨付を得た医療ミスの鑑定として、民事訴訟を誘発する危険性も孕んでいます(段落43)。そもそも、我々医師達がカンファレンスで過去の症例について議論するときは、将来の医療の向上のために、過失ということに限らずあらゆる観点から反省点を出し尽くしているのであり、これが医療の進歩を支えてきたのです。反省点と過失は必ずしも一致しませんが、法律の土壌ではしばしば同一に扱われているように感じます。そのため、医師に神の如き能力を求めたり、過失に関わらない不幸な結果の責任を医師に負わせるなど、医療者からみてあまりにも現実的ではない判決が少なくありません。世論や法律の世界において、病気はすべて治るものであり、悪化したり死亡したりするのはミスがあったからだという前提で動いているのではないかと思われることが多々あります。医療においては、全くの善意で懸命な治療を行ったとしても不幸な転帰をたどることは少なからず存在します。あの時もし別の方法を選択していたら、という反省はいくらでもできますが、それは結果論であり、同じ疾患に同じ治療が同じ効果を生むわけではないという結果の不確実性という医療の特徴から言っても、それらの反省点について糾弾するというのは相応しくありません。
 反省点を過失に結びつけ、責任を追及するような流れを加速する背景には、医療事故に限らず、不幸な結果が起きた場合、誰かの過失にしないと補償がなされないという問題があるように思います。最終的には、「無過失補償制度」を導入していくしかないのだろうと考えます。誰かを憎み、責任を追及し、長い裁判を闘わなくても補償が受けられるようにするべきだと思います。もちろん、責任を追及されるべき事例に関しては、法の場で真実を明らかにすることは大切だと思います。しかし、きちんとした補償制度の整備をするだけでも、悪意のない些細な過失が結果の重大性のみによって争われたり、そもそも過失とは考えにくい不可避のものまで責任を追及されるという歪んだ流れは改善されるのではないかと思います(段落41-45)。
 また、第三次試案で「医師法21条を改正する」と明記されていました(段落19)。条文が非常にシンプルであるために、解釈が一定しなかったところに現在までにつながる様々な問題を生んできました。2000年に厚生省の国立病院部政策医療課が、リスクマネージメントマニュアル作成指針に「医療過誤によって死亡又は傷害が発生した場合又はその疑いがある場合には、施設長は、速やかに所轄警察署に届出を行う」と記載し、医師法21条の解釈を変更したことからも様々な混乱が生じています。この指診に、「施設長が届ける」と明記されたにも関わらず、福島県立大野病院の事件では、一勤務医である産婦人科医が異状死を届け出なかったことから医師法21条違反に問われるという矛盾が生じてもいます。医師法21条は、死因不明という問題を解消するために、医学的に死因を究明する制度の整備と、厚生省の解釈のミスによる混乱解消のために、当然改正すべきものでありますが、医療事故調問題との関連のみで議論すべきものではないと思います。
 第三次試案は、既に強力な権限を持っている厚生労働省に、さらなる権限を与える懸念が強いものです。本来、「正しい医療」とは、専門家がその知識と良心に基づいて考えるべきことであって、国家権力が決定すべきものではありません。実質的に「正しい医療」を厚生労働省が決めるということは、強大な権力のもとで誤った道を突き進む結果に繋がるかも知れません。厚生労働省は、医療における指導や処分に関して、現状でも相当に大きな力を持っていますので、これ以上権力を集中させ、唯一絶対の機関が「正しい医療」を決定するということになるのは避けなくてはなりません。第三次試案では、設置場所について「今後更に検討する」とだけしていますが、処分との分離の意味も含め、厚生労働省からは距離をおいたところに調査委員会を設けるべきだと思います(段落8)。
 以上について、大きくまとめます。
・"WHO Draft Guidelines for Adverse Event Reporting and Learning Systems"などの国際基準を意識した試案づくりをすべきです。国際基準を敢えて選択しないのであれば、その根拠を説明すべきです。第三次試案は、報告制度を成功に導くための大原則が悉く無視されているものであり、いままでの試案を叩き台とするだけでなく、全く新たな試案作りも含めて議論されるべきであります。
・医療のみ免責という特別扱いは求めませんが、すべての分野を巻き込んだ「刑法211条のあり方」についての議論を行い、業務上過失致死傷罪の暴走をとめることを望みます。ただし、事故と処分を連動させることは真相の解明を阻害するものであり、処分は全く別のところで検討するシステムをつくるべきであり、事故の原因究明という本来の目的のためにも、この制度における報告書が刑事事件や民事訴訟の証拠として使われることのないようにし、当事者が全ての情報を包み隠さず報告できるようにするできです。無論、悪質な行為を免責すべしということではありません。処分のシステムは全く別のところにおくべきです。
・調査委員会は、厚生労働省とは離れた場所に設置するべきです。すでに厚生労働省には強力な権限があり、これ以上に権限を集中させ、現場の医師たちではない強大かつ唯一の組織が「正しい医療」を定義し、その内容に基づいて処分を下すことは、取り返しのつかない暴走につながる恐れがあり、避けねばなりません。「正しい医療」は、専門家がその知識と良心に基づいて考えるべきことであり、唯一絶対の見解というものは存在しません。
・第三次試案で盛り込まれた「医師法21条改正」については、もちろん改正すべきものですが、試案とは切り離して考えるべきです。
・不幸な結果を誰かの過失にしなければ何の補償も受けられない現状の改善、すなわち「無過失補償制度」の導入を求めます。
 現場での危機感は、政府や行政機関が想像しているであろうものとは、比べものにならないくらい強いものです。善意のもとに献身的な医療を行った結果、不幸な転帰に対して個人の責任が問われるということは、再発の防止や患者さんとの軋轢を取り除く手段には決して繋がりません。医師たちは、不本意ながら萎縮医療によって防衛するという手段をとらざるを得ません。何卒、真摯な検討をお願い致します。
(なお、この意見書において、虎の門病院泌尿器科小松秀樹先生が、Medical Research Information Centerで公開されている記事( http://mric.tanaka.md/ )を大いに参考にさせて頂き、引用に近い形で用いさせて頂いている部分があります)

投稿用フォーム

http://expres-info.net/acv/2008/04/post-29.html
http://www.yuji.md/mailform.php
(追記:エントリを少し修正しました。最終稿として、本日厚生労働省へ提出しました。2008/5/5)