医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案

 今更ではありますが、私見を述べておきます。
 厚生労働省が医療事故の原因究明・再発防止の新しい仕組みとして「医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案−第三次試案−」をまとめており、これについてのパブリックコメントを求めています。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1010&BID=495080001&OBJCD=100495&GROUP=

 厚生労働省では、医療事故による死亡の原因究明・再発防止という仕組みについて、平成19年3月、10月に公表した試案に対する意見や平成19年4月から13回にわたり開催している有識者による「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」での議論を通して検討を重ねてまいりました。
 この度、これまでの議論や各方面からの意見を参考に、改めて現時点における厚生労働省としての考え方を「医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案−第三次試案−」としてとりまとめました。
つきましては、本試案について広く国民の皆様からご意見をいただきたく、以下の要領にて意見の募集をいたします。

 第二次試案に対して現場の医師から最も反発が大きく、僕がもっとも危惧していることでもあるのが、個人の処罰に報告書が使われることです。第三次試案全体として、第二次試案で批判されていた文言は、注意深く削除されるか言い換えられるかしており、具体的な問題点についてはほぼ踏襲されています。この点について、うまく意見をまとめられないか考えていたのですが、「医療崩壊」などの著書でもよく知られる、虎の門病院小松秀樹先生の意見を読んで、僕のもやもやは、この試案以前に、刑法への疑問であったことがはっきりしてきました。

虎の門病院泌尿器科 小松秀樹先生の意見

http://mric.tanaka.md/2008/04/10/_vol_42_1.html
http://mric.tanaka.md/2008/04/11/_vol_43.html

 井上清成弁護士は業務上過失致死傷罪の暴走について、最高裁判所1985年10月21日決定の、谷口正孝最高裁判事の補足意見を紹介し、以下のように解説している。

 「過失は、『重大な過失(重過失)』と『軽度の過失(軽過)』に分けることができる。『重過失』に対しては、『軽過失』に適用される過失致死傷罪(現行刑法209条、210条)では刑が軽いので、重過失致死傷罪が設けられる以前は、その代わりとして刑が重い業務上過失致死傷罪の『業務上』の解釈を拡張して適用していた。ところが、重過失致死傷罪(現行刑法211条1項後段)が設けられて、業務上過失致死傷罪(現行刑法211条1項前段)を拡張して適用するのは終わるはずだったけれども、いったん拡張してしまった業務上過失致死傷罪はそのまま“暴走”を続けて現在に至ってしまったのである。」

 業務上過失致死傷罪では、「軽度な過失でも処罰するという大前提がある」。刑法の適用を「重大な過失」に限定しようとする機運もあるが、なにをもって「重大な過失」とするのかが決まっておらず、「薬剤取り違えや患部取り違えは重過失と捉える」。悪質な事例を重過失とする意見もあるが、定義が明確でないため「営利目的、実験的、名声追求の利己目的、説明不足でも、どのようなものでも悪質というレッテルを貼られかねない」。さらに、「死因究明制度の議論は組織法、そして、せいぜい手続法の議論にすぎず」、「実体法的な観点から見ると、死因究明制度ができたとしても、現状と何ら変わるところがない」。流れが「『警察→鑑定』から『鑑定→警察』と逆になっただけであり、『患者遺族の刑事告訴→警察→鑑定』という既存の流れは温存されている」。

 そもそも、医療事故調査制度ができても、刑法211条が改正されない限り、歯止めは存在しない。業務上過失致死傷が問題になっているのは医療だけではない。特別扱いを要求すべきではない。他の分野を巻き込んだ大きな議論が必要である。

 刑事司法の暴走を止めるための有効な努力は、医療事故調査制度ではなく、刑法211条そのもののあり方を正面から批判する言論である。実際、福島県大野病院事件以後の現場の医師の広汎な言論活動により、医療への刑事司法の無茶な介入は以前ほど、目立たなくなっている。

 僕は、「医療を刑法で裁くな」というエントリ( http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060219#p2 )において、過失犯を裁くことへの違和感について綴りました。しかし、この違和感の根底には、医療に限らず、すべての分野における「過失犯」の扱いがあるのです。過失を犯したものが、民事の賠償責任を負うのは已むを得ない部分もあるでしょうけれど、やたらと警察が介入すべきことではないはずなのです。ですから、医師の刑事免責についてこの「第三次試案」にあれこれ言うのはあまり意味がないことであり、小松先生がおっしゃるように、医療だけ「特別扱いを要求すべきではない。他の分野を巻き込んだ大きな議論が必要である」のでしょう。実際に、刑法を改正しない限り、刑事司法は独自に動きます。

 しかし、医療を刑事免責することは、検察官の独立性の原則、刑法211条、刑事訴訟法からみて、現行法上ありえない。

 医療事故調ができても、警察独自の捜査がなくなるわけではない。08年4月4日、衆議院厚生労働委員会で、岡本みつのり議員からの第三次試案についての質問に対し、警察庁米田刑事局長は、遺族からの訴えがあれば、調査委員会を通さずともやはり警察は捜査せざるを得ないと答えた。

 ただし、「原因究明・再発防止」のためのシステムとして、報告書が個人の処罰に用いられるという点は致命的な欠陥であることは間違いありません。

 しかし、事故について最も多くを知るのは当事者である。処罰を前提とした調査では、必然的に事実が表に出にくくなる。現在、一般的に行われるようになってきた患者への率直な説明に支障をきたす。

 事故と医療従事者の処分を連動させることは対立を不必要に大きくし、真相の解明を阻害する。処分は全く別のところで、被害の有無と関係なく、逸脱した医療行為を行ったことを理由に検討されるべきである。

 また、報告書にまとめられた反省点が、専門家のお墨付を得た医療ミスの鑑定として、民事訴訟を誘発する危険性も孕んでいます。

 医師がカンファレンスで過去の症例について議論するときは、将来の医療の向上のために、ああすればよかったのではないか、こう判断すべきだったと、あらゆる観点から反省点を出し尽す。これが医療の進歩を支えてきた。そもそも、医師のカンファレンスでは過失責任に対する身構えのようなものはない。反省点と過失の区別は難しい。反省点や過失について言及するように仕向けることは、法律の素人相手なら簡単だろう。

 また、小松先生は、第三次試案で「医師法21条を改正する」と明記されていた点について、

医師法21条問題の発端は、2000年、厚生省の国立病院部政策医療課が、リスクマネージメントマニュアル作成指針に「医療過誤によって死亡又は傷害が発生した場合又はその疑いがある場合には、施設長は、速やかに所轄警察署に届出を行う」と記載し、医師法21条の解釈を変更したことにある。医師法21条は、変死体の医学的検索制度の整備と、厚労省の解釈ミスによる混乱解消のために、当然、改正すべきものであり、医療事故調問題との関連で議論すべきものではない。

と述べています。僕もこの考えに同意します。
 また、第三次試案は、既に協力な権限を持っている厚生労働省に、さらなる権限を与える懸念が強いです。本来、「正しい医療」とは、専門家がその知識と良心に基づいて考えるべきことであって、国家権力が決定すべきものではありません。実質的に「正しい医療」を厚生労働省が決めるということは、強大な権力のもとで誤った道を突き進む結果をうむかも知れません。厚生労働省は、医療における指導や処分に関して、現状でも相当に大きな力を持っていますので、これ以上権力を集中させ、唯一絶対の機関が「正しい医療」を決定するということになるのは避けなくてはなりません。第三次試案では、設置場所について「今後更に検討する」とだけしていますが、処分との分離の意味も含め、厚生労働省からは距離をおいたところに調査委員会を設けるべきだと思います。
 また、「無過失補償制度」についての検討も強く望みます。医療事故に限らず、不幸な結果が起きた場合、誰かの過失にしないと補償がなされないという部分に、様々な軋轢をうむ原因があるのです。誰かを憎み、責任を追及し、長い裁判を闘わなくても補償が受けられるようにするべきだと思います。
 もちろん、責任を追及されるべき事例に関しては、法の場で真実を明らかにすることは大切だと思います。しかし、きちんとした補償制度の整備をするだけでも、悪意のない些細な過失が結果の重大性のみによって争われたり、そもそも過失とは考えにくい不可避のものまで責任を追及されるという歪んだ流れは改善されるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
 まとめると、

・医療のみ免責という特別扱いは求めないが、すべての分野を巻き込んだ「刑法211条のあり方」についての議論を行い、業務上過失致死傷罪の暴走をとめることを望む。ただし、事故と処分を連動させることは真相の解明を阻害するものであり、処分は全く別のところで検討するシステムをつくるべきであり、本来の目的のためにも、この制度における報告書が刑事事件や民事事件の証拠として使われることのないようにすること。
・そのためにも、調査委員会は、厚生労働省とは離れた場所に設置すること。
・第三次試案で盛り込まれた「医師法21条改正」については、もちろん改正すべきものだが、試案とは切り離して考えるべきものであること。
・不幸な結果を誰かの過失にしなければ何の補償も受けられない現状の改善、すなわち「無過失補償制度」の導入を求める。

おおむね、上記のような事柄を訴えたいと思います。これらは法そのものへ切り込む内容でもあり、単に「第四次試案」をつくればよいというものではなくなっていくかも知れません。しかし、おそらくこういった法についての議論が必要な時点なんだと思うのです。
 パブリックコメントは、連休明けにも一度集計を行うそうです。いろいろとハードルが高いのですが、国へ直接もの申すことのできる数少ない機会ですし、もう少しまとめてから、僕なりの意見を送ってみようと思っています。

産科医療のこれから―医療事故安全調査委員会

http://obgy.typepad.jp/blog/cat2717006/index.html