選択したのか、させられたのかということ

医者にとっての自由権

http://d.hatena.ne.jp/doctake/20080301/p1

勉強ができる皆さん.

都道府県で30〜200人のうちの2人に入れば

33,460,000円で医師免許取得権を手に入れることができます.



でも0円でも良いです.

9年間我々の命令に従って働けばお金はいりません.

自治医科大学に合格した皆さんおめでとうございます.

医師への希望を持ち,入学の日を心待ちにしていることと思います.



しかし,これからあなたたちを待ち受けるのは厳しい現実です.

何に興味が出ようともあなたの足には3000万円の鎖がつながれます.

 学部の六年生の時、自治医大の外科に連絡をとって、一週間ほど実習をさせて頂いたことがあります。自治医大の四年生と五年生が臨床実習にまわっていたのとご一緒させてもらって、夜は呑みに連れて行ってもらったりもしました。
 僕が、卒後の進路に外科を考えていて、実際に見学や実習をさせてもらいながらどの施設で働くか考えている、という話をしたときに、「自由に選べるんですもんね。羨ましいです」と言われたことを思い出しました。
 自治医大は志望校の一つでしたし、卒後九年間の義務年限のかわりに、授業料免除、生活費の一部支給という制度について、正直よく考えずになんとなく羨ましいと思っていた時期もありましたが、自らが卒業を間近にしたとき、部活動の試合などを通じて繋がっていた、自治医大の友人たちや、こうして実習をしにいったときの学生の生の声をきいたりしているうちに、自分が卒後の進路を選べることがなんと幸せなことなんだろうかと思うようになりました。
 自治医大創立当時など、地域によっては、卒後はいきなり独り立ちということもあり、OBたちがかなりの努力の末、少しずつ卒後まもない時期の研修の体制や、ほとんど孤立していた一人医長の診療所に、機関病院とのつながりをつくるなどしていったという話もよくきいていました。
 そうした卒後に備えて、在学時代から出身地域に頻回に実習にでかけたり、試合の控え室でも教科書を熱心に読んでいた自治医大生たち、僕の知る彼らは、皆とても優秀で、すばらしい人たちでした。僻地医療の一翼が、彼らによって担われていることは間違いありません。
 上記エントリのコメント欄に、以下のような書き込みがありました。

医学部に行くと、医局制度やら、専門医やらで自分の地位を高めたい気運ばかりですよね。
それって、患者さんの事は2の次ということではないでしょうか?
あなたの業績は、肩書きとしては残りにくいですけど、人々の心の中で賞賛されます。
是非、胸を張り生きて下さい。
自治医科の精神は、誇れるものと信じます。

 コメント欄に書き込まれたように、id:doctakeさんが、賞賛されるべき医師であり、自治医大の精神が誇れるものであるというのは、おそらくその通りなのだろうと思います。しかし、id:doctakeさんの思い悩むところは、そういうことではないのだと思います。「専門医やらで自分の地位を高めたい」というのも、ちょっと勘違いされているところがあるかと思います。確かに、専門医を持っていようが持っていまいが、その医師の本当の技量に関係はないはずです。しかし、専門医を取得するためには、その領域についての経験をつんだり、知識を問われたりするわけで、その専門領域の技量の一つの指標にはなります。また、専門医を取得できる環境というのは、多くの場合、自分の上にその領域について指導してくれる医師たちがいるという環境です。id:doctakeさんが、「専門医」とか「自由」とか言う真意としては、別に楽したいとか、肩書きが欲しいということではなく、上級医の指導を受けたいというようなことだと思うのです。それは、患者さんのことが二の次なのではなく、患者さんのことを思う結果ということでもあります。
 医師がより大きな病院で働きたいと望むことの理由は、住環境よりもなによりもまず、こうした医療の指導体制を求めているこということがあるのです。よく、「若い医師を僻地に」といった声があがりますが、僻地で医師が少ない地域であるほど、熟練した医師が必要なのです。逆に、「とにかく医師を送り込めばそれでよい」と言うのであれば、それは僻地は未熟な医療に甘んじろということでもあります。
 id:doctakeさんは、しかし限られた医療設備や人的資源の中で、かなり高度で良心的な医療を展開している様子が伺えます。それでいて、僻地に住み、当該地域の医療を受けている人々こそが、僻地にいる医者というだけで、「賞賛」どころか「未熟な医師」と思いこんでしまうようなところもあるのです。id:doctakeさんのエントリの端々に、そのようなエピソードが書かれていますし、僕自身も、僻地と呼ばれるような病院での診療経験が多少ありますので、そこに書かれる内容に、大いに共感していました。
 また、同じ環境に身をおくとしても、それが「選択したのか、させられたのか」ということによって、大きく意味が変わってくると思います。自治医大を受験したという時点で、自分の選択だといえばその通りなのですが、おそらく、今になってみないとその鎖の意味を実感できなかったのだと思います。
 世の中の人々が、本当に完全に自由に人生を選択できるということでもないでしょうし、医局制度などのしがらみの中で、他大学卒の医師が義務年限に比べて自由なのか否かはよくわかりませんが、年々悪化する医療経済と、医療バッシングの嵐の中で、「選択させられた」孤独な環境の中に身をおく辛さというのは想像に難くありません。
 先日のエントリではありませんが、ちょっと僕には「頑張ってください」とは言えません。どんな言葉をおくれば良いでしょうか?