気に入らないけれども安楽な道を

 自分の気に入らない事柄があって、それをすることが自分に利益をもたらすことが分かっていても、気に入らない限りやりたくないんですよ僕は。仮に、その気に入らない事項をやらないという選択の方がかえって辛くても、敢えてそれを選ぶということもあります。
 かといって、それも辛さの度合いによるので、気に入らない事項を選ばないことが三倍くらい辛いということになればちょっと考えてしまう、まあ、せいぜいそんな程度の突っ張りなんですが。
 ただ、交渉の相手が、僕が気に入らない事項をすることによって得られるであろう利益を餌にしたところで、それはきっとあんまり響かないんですよね。その事項が気に入らないということは、概してそれに伴う利益も気に入らないか、おそらくあんまり興味がないのです。辛さの度合いによるとは言え、むしろ辛く、利益も得られない方向を選ぶこともあるということは相手にはほとんど理解してもらえないことが多くて、その脅しも、あるいはおだても、全く意味の無いことになるんですね。
 特に自分の理想とする道を、その利益とする目標を目指して、気に入らないことでも頑張ってやってきたんだという自負のある人間において、そうした全く違う価値観への想像力が欠如していることが多いような気がするのです。気に入らないことをやらないために、かえって頑張るというこの気持ちって、そんなに珍しいことですか?