久坂部羊

【断 久坂部羊】医師に「社会的常識」はあるか(産経)
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081206/acd0812060234001-n1.htm (魚拓)

 しかし、医師は国家試験に通ればすぐに「先生」と呼ばれ、いきなり一定のステータスを獲得する。周囲には患者や看護師や技師など、自分より立場の弱い人間ばかりしかいないし、事務員や業者に気を遣(つか)う必要もない。怖い先輩や教授はいるが、彼らが社会的常識に欠けていることも多いから、それを学ぶのはむずかしい。

 まあ、このお方にマジメに突っ込むのは非常にバカバカしいのだけれども、腹が立たないと言えば嘘になるので。この人がただの作家としてこういうことを言うのであれば、まあ仕方がないかなという気もしますけれども、「医師」の肩書きを使われるのがやはり相当腹立たしいんですよね。自分も医師ですから分かってますという(そして、自分だけは違いますけれどもという)態度が。
 僕らは確かに国家試験合格と同時に「先生」と呼ばれます。ただ、まあそれは単なる一般名詞として、呼びかけの言葉としてなんですよね。その「先生」という言葉の薄っぺらさや、特に大学や国公立病院におけるヒエラルキーにおいて、ペーペーの医者がどんな位置づけにあるのかということは、一般臨床の現場にいる人間ならみんな分かっていると思うんですけれどもね。
 患者さんはまあ、いろんな方がいらっしゃいますが、怖い看護師に四六時中呼び出され、技師さんに頭を下げまくって緊急の検査を組んで、レセプトが遅いといって事務に怒られるっていうのが今も変わらぬ大病院の現状です。これが個人病院なんかに行くと、確かに「お医者様」として大事にしてくれることもありますけれども、それはどちらかというと稀なケースのように思います。看護師や技師さんたちを「自分より立場の弱い人間」と表現してしまう感覚が、僕にはよくわかりません。
 少なくとも僕らの世代は、徹底的に医者がチヤホヤされるような現場を知りません。徐々にバッシングの方向へ向かう様に飲み込まれた世代であって、戦争を知らない戦後世代が戦争の謝罪を求められるかのように、医者の傲慢さの反省を求められているような気分ですごしているのです。(かつての世代が必ずしも傲慢だったわけではないと思いますが、話にきく限り、確かに医者が反省すべき態度をとっていた時代はあったのだと思います。)
 久坂部「先生」がどのような臨床経験を歩んで来られたのか、正確なところはよくわかりませんが、在外公館での医務官の経歴などが明らかにされており、大部分の臨床医とはかなり異なった道を歩まれたように思われます。また、近年は文筆業をメインとされているようで、少なくとも一線での臨床には従事されていないように理解しています。また自分がそんな立場にありながら、過去には、医師不足医療崩壊を、国が医師の自由を認めすぎたせいだと述べたりしています。自己批判なんでしょうか、よくわかりません。
 いずれにしても、あまり一般的ではない環境にいるこの方が、医師を名乗って医師とはこういうものだということを言ってしまうということがとにかく嫌でたまりません。この方は、自分が臨床の場で社会的常識を学ぶような機会に巡り合えなかったのかも知れませんが、あなたがそうだったからと言って、他の人間がみんなそうとは限りませんよ。