「医学生」

 つい先日、南木佳士氏の「医学生」について取り上げました。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20090104#p1

医学生 (文春文庫)

医学生 (文春文庫)

 だいぶ前に一度読んだきりなので記憶が曖昧なのですが、自身も鬱病と闘った南木佳士氏の「医学生」において、いろんなことが少しずつ蓄積していき、それが限界に達したことで鬱になってしまった医師の描写や、「知り合い」という見えない重圧によってつぶされそうになる地方の病院の医師の描写がありましたが、それは少なくない医師が経験する感覚なのではないかと思います。

 僕がまさに医学生の時に読んだこの本の中で、ずっと心に引っかかっていた部分を、改めて原文にあたってみたので、ネタバレにならないように引用しておきます。

「死ってのは他人のものじゃなくて、いつか必ず自分の番が来るんだから、半分は自分のものだと思ってた。そう思わないと告知した患者と話なんかできないものな。でも毎日をそういう思いで過ごすってのは精神衛生上とてもよくないことだったんだな。気づかないうちに少しずつボディーブローをくらってたようなもんで、ある日限界がきちまったんだな」

 ほんとうは実家から診療所に通いたかったのだが、村では診療所の横に医師住宅を建ててくれていた。仕方なくそこに入ると、夜中でも電話で起こされることが多かった。昼の診療で疲れているところに、子供の軽い発熱や、明日の診療の順番を取っておいて欲しいなどという電話を受けるのは苦痛だった。そういう電話の主はたいてい父の知り合いだとか、母の婦人会の仲間などと名乗った。
 病院にいた頃は医師と患者の間にしっかりとした境界線があり、仕事は仕事、私事は私事として割り切れていたのだが、村ではそうはいかなかった。たまに無愛想な応対をしたりすると、それが噂になって父や母を悩ませる種になったりするのだった。

 この一節が胸に刻まれ続けたために、なるべく余計なしがらみの無い土地で働きたいと考えて、実家のそばを職場には選ばなかったんだよなと、しみじみ思い出しました。
 書き下ろしの単行本が刊行されたのが、今から16年ほど前の1993年5月のことです。南木氏ご自身は、これを「気楽な読み物」として書かれたようですが、僕にとっては全体のストーリーよりもなによりも、引用したシーンが強烈に胸に刻みこまれているのです。