死刑制度を支持するということは

死刑制度を支持するということは、自分で手を下してでも死刑を執行したいということだ ― 一本足の蛸

http://d.hatena.ne.jp/trivial/20090119/1232376351

 中には「極悪人は自分の手で処刑してやってもいい」という人もいるだろうが、たぶん、大部分の人は「死刑には賛成するけど、自分が執行するのは嫌だなぁ。そのために刑務官がいるんでしょ」と思っているのではないだろうか。「死刑に賛成/自分が執行するのは嫌」というのは「肉は食べたい/自分で屠畜するのは嫌」に似ているように思うが、さて、このような考え方をどう評価すべきか。

REVの日記 @はてな

http://d.hatena.ne.jp/REV/20090120/p1

私的な何かと、公的な何かを直結させようとする論法は、何ていうんだろう。

例:「貧困者を救えというなら、お前が住まわせろ」「自衛隊を支持するなら、お前が二等兵となって歩兵銃を担げ」

 死刑を支持する人間は手を下せということはおそらくおかしな論法なのでしょうけれども、他人の命を法の下に奪うという制度を支持するというからには、相応の覚悟は必要だと思っています。

死刑制度「存続すべき」9割

http://d.hatena.ne.jp/zaw/20071223#p1

 僕はそもそも刑事罰というもの自体が、社会が未成熟な結果だと考えています。

 少なくとも、死刑制度を国民が選択するのであれば、国民は死の現実をきちんと受けとめるべきだと思います。そういう意味では、一部の人間だけに死刑執行の過酷な責任を押し付け、隠されて執行される我が国の現状よりも、一部の国で行われている公開処刑ということのほうが、まだ真っ当なことであるようにも思えてくるのです。