大切なものを勝手に処分するというのは想像力の欠如だと思います

 僕は特に物に執着しすぎなのかも知れませんが、自分に所有権のあるものを勝手に処分されてしまうという行為は耐え難いことです。たかがそんなもので、という評価はあくまで第三者の勝手な評価であって、例えば子供が集めた「がらくた」を、勝手に親が処分してしまうというようなことも、自分のことでは無いとしても非常に心苦しい感覚を覚えます。少なくとも、自我のはっきりした人間に対して、所有権は尊重されるべきだし、それを何らかの理由で処分する必要が生じた場合、きちんと声をかけて同意を得るべきだろうと思っています。僕は3〜4歳くらいの頃に買ってもらったおもちゃなんかを割と詳細に覚えていて、買ってほとんど遊んでいないおもちゃを、狭い団地に引っ越した時に「別の倉庫にしまってあるから、もう少し広い家に引っ越す時には出してあげるから、ちょっと我慢してね」なんて言われたので、ずっとその日を楽しみに待っていました。小学校四年生の時、家を建てて引っ越す際に、実はすでに処分されてしまっていたことを知って非常に哀しかったのを鮮明に覚えています。
 両親としては、そんな小さい頃の記憶は無いものとして考えていたようなのですが、僕は少なくとも4歳くらいからの事は割と鮮明に覚えていて、おもちゃを捨てられたことを非難する時に、ここぞとばかりに幼い頃に親に言われた理不尽な事とかをさかのぼっていろいろ並べたような記憶があります。それ以降、「とにかく親からみて無価値なものでも勝手に処分はしないで欲しい」ということを繰り返し主張してきたのでした。たまに実家に帰ると、さすがに全くいらない物を少しずつ処分はしているのですが、天使対悪魔シリーズ以前からのビックリマンシールとか、キン消しとか、懐かしい品々がきちんと残っています。4〜6歳くらいの時に書いた自作絵本なんかも残ってます。
 じゃあ、第三者にはその価値が全くわからないゴミ屋敷を許容するのかといえば、それはやっぱり許容できないのですが、人に迷惑のかからないような形での所有はやっぱり尊重されるべきだと思っています。夫が何かに熱中しすぎているので、妻が見かねてそれをコッソリ処分するなんていう話はきかないでもないですし、それに夫が怒ったりする行為を「大人げない」とか、「そんなものごときで」などというのは全くもって自分以外の価値観に対する想像力や、相手の尊重ということに欠ける考えで、実際に処分された物が何だったに関わらず、誰かの大切にしていた物を踏みにじったという事実が重要だと思うのです。

超ハマってたゲームなのに、友人と奥さんにゲーム機ごと売られてしまいました。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1325932148

大変な盛り上がりの中で披露宴はお開きになり、参加者は二次会へ流れ、アトラクションが始まりました。
「あるものを売った値段を当ててください」というクイズです。
そして、会場のスクリーンには、悪友が彼の家からプレステ3とソフトをこっそり持ち出して、「ブッ○オフ」で売りさばく映像が……。


彼はウイニングイレブンというサッカーゲームにハマっていて、アジアNo.1に輝くほどの腕前だと披露宴でも紹介されていました。

しかし、そんな栄冠をあざ笑うかのように、映像では淡々と買取査定が行われ、ゲーム機は店の奥に消えていきます。
当然のことですが、買い取られたゲーム機のデータは、日本一だろうが世界一だろうが「完全消去」されます。
大爆笑が渦巻く会場の中で、一人言葉を失ったままスポットライトを浴びている新郎……。

どうやら新婦は彼の“ゲーム漬け生活”を快く思っていなかったらしく、そこへ悪友がこの“サプライズ企画”を持ちかけたようです。
企画の決行は奇しくも昨日、彼が今日という日に備えて式場に前泊している間でした。

 事実なのかどうかはよくわかりませんが。