もろもろ

 五月も終わりますね。先日は東京で友人の結婚披露宴でした。
 大学を卒業してから自分自身には何か大きな変化というのが特になくて、時間の経過を感じるのは上昇を続けるγGTPの値くらいなのですが、友人の結婚とか出産、友人の子どもたちの成長というのが時間が淀みなく流れていることをはっきりとあらわしています。
 友人たちと新幹線で東京へ向かったのですが、友人夫妻のビールが新幹線のカーブとともに壮絶に転倒して泡を吹き、一足早くビールかけでお祝いするという事態に。同じ車両の方々、ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。スピーチもグダグダ気味ですいませんでした。でもまあ、あんな感じを期待されていたんじゃないかと勝手に思ってます。新郎新婦を褒める要素を盛り込むのを忘れたような気もしますけど。
 久々に土日休ませて頂いて出かけたのだけれど、それは別の場所にしわ寄せされることになるんです。なかなか正真正銘の休日というのがとれません。僕の労働条件としての希望は、土日きちんと休ませて欲しいということに尽きるんですけれどね。それを達成するための就職先は医局の関連病院には無いという時点で、なんだか外科という業種の行き詰まりを感じなくもありません。
 特殊な価値観の中での行き詰まりというのもあるのではないかと思います。相当に話が逸れますが、僕は高校生くらいまでの、まだ自立していないうえに、非常に閉じた世界でのコミュニケーションを強要された時代は別として、もうなんだか無理して好きではない人とつきあっていくということにくたびれていて、ある意味自由に、まあなんというか我が儘な人付き合いをしてきたほうなのではないかと思います。まあ、仕事の上ではそういうわけにもいきませんから、そこは大人としてプロフェッショナルとして無難にこなしたいとは思っています。しかしながら、ずけずけとパーソナルスペースに入り込んできたり、妙な価値観を押しつけられるのには本当に辟易してしまうし、面倒くさいメンタリティの持ち主が後輩ならまだしも、自分の従うべき立場にいたりしたら面倒くせえなあ、とは思うのです。
 これは単に好き嫌いの問題で、善悪の問題ではないというのは以前にも書いたような気がします。僕は、嫌いな物を好きだと言うことができない程度に面倒な人間なので、答えあぐねた質問というのは結局そういうことなのですが、お茶を濁したところをしつこく突っ込まれてしまえば、正直な思いの丈を吐露してしまうのです。そういう点で、ある集団からは扱いにくい人間だと思われているのでしょうけれども、その一方で、嘘が無いと言って評価してくれる方々もいます。
 ライフワークに関する話題なども、最近では多少風向きが変わってきたとは言え、普段どんなにしっかり仕事をしていても、その仕事が四六時中ついてまわり、まだあんまり「遊びたい、休みたい」が言いにくい世界。
 過去に「外科医やっている以上、自分がメスを入れた患者さんには一生責任が生じるのだし、何をおいても患者さんを優先しなさい」みたいなことを言われて、まあそれはもっともだとも思うのだけれども、長年外科医をやっていると、数字の上では、もう何百人もの患者さんの有事に責任を負うことになってしまっているわけで。そして実際、何十人かの患者さんの最期に立ち会ってきたわけです。
 主治医制度という呪縛からはなかなか抜け出しがたく、チーム制をとっているところでも、なんとなくその患者さんの主治医みたいな位置付けは暗黙の了解の中に成り立っていったりします。執刀医などということになれば当然、そこに重い何かがたくさんまとわりついてきます。そういう全てをやりがいとか達成感とか使命とかいって乗り越えられる人は外科医という仕事が天職なのでしょうけれども、僕はそういうことから離れられる時間を希求してしまうタイプです。「休みたいなんて言う奴は外科医辞めちまえ」なんて言われたこともありますけれども、本当に四六時中病棟か携帯電話にはりついている外科医しか存在を許されないのでしょうか。
 どこかに重めの責任を括り付けておかないとなかなか術後管理というのも難しい面もあるとは思うのですが、もう少し進んだチーム主治医制とシフト勤務でどうにかならないでしょうかね。すぐには人は増えないでしょうから、まずは現状の人員でどうにかするしか無いし、緊急手術とか入れば小さな所帯では総員コールになるわけですけれども。
 そんなことをつらつら考えていましたけれども、五月も終わるんですね。