雑記

 毎週月曜日は、都心のオフィス街のクリニックで午前中だけ内視鏡をしています。上部と下部あわせて10件くらい。一日働いてもいいのですが、内視鏡メインということもあり、先方が午前中だけ希望。年度末に大学を退職してから、当初医療は全くしていないところから、曜日固定の非常勤を探していく中で最初に決まった勤務先なのですが、当初月曜日は勤務を入れないようにしようかな、とも思っていたんです。土日にいろんな予定が入ることが多く、人と会う機会も週末に集中する中、月曜日があいていれば気兼ねなく時間が使えるかなと思ったのと、遠方で用事があった場合、月曜日の勤務時刻までに戻ってくるのが難しい場合があるかな、と思ったのもあって。
 冷静に考えると、理想的には6:30、遅くとも7:00早々には病棟にいなくてはならなかった大学時代を無意識に基準にしていたんですよね。そうすると、前日どこか離れた場所に泊まっていると、なかなか仕事に間に合うように帰ってこられない。そもそも、病棟から呼び出される可能性もあるので、遠くに行ける機会が限られるのですけれども。
 今は9:00スタートの勤務なので、前日どこかちょっと離れた場所にいても、帰ってくることも可能ということに実感として理解するのに少し時間を要したのは、身に染み込んだ何かのせいか。
 非常勤の気楽さもあって、フジロックの翌日は契約時から休みを入れたりしてみましたが、それ以外の月曜日は今のところ毎週勤務しています。週の頭の仕事が午前中だけというのもなかなか気楽でいい。大学時代の、特に母の病気の再発がわかったあと以降の、なんとも言えない気持ちのもやもやと、相変わらず休みのままならない連日の長時間勤務による身体的な疲れの抜け無さ故に、月曜日はまた出口の見えない一週間のはじまりとしていつも怖かったんです。
 なんどか自宅で全く動けなくなって、急遽休ませてもらったことも何度か。少し前までは、そんな中でも這いつくばるように家を出て、病院まで出て行っていましたが、それで何かいいことがあるわけでも無く、考え方を切り替え、もう無理はしないと決めてからは、何度かこうして休んだわけですが、それでも休みを乞うのには相当な勇気と体力を使ったものです。ただでさえやられている時にね。そして、たまっている仕事が減るわけでもないという。
 当時もうすうす感じていたし、今思い返してもやはりそうだと思うのですが、昨年度後半は、おそらく抑うつ状態だったんだと思います。実際に身体も悲鳴をあげていたのだけれども、家を出られなかったあの日は、あきらかに精神的要素にやられていた。まあ、僕は適当に逃げ出すことを選べたので、深刻なことにはならなかったのだけれど、職場まわりでも、精神的に潰れてしまった人を何人かみてきました。いざという時に、言葉では「助けてあげる」と言ってはもらえるけど、具体的には医局には助けてはもらえないというのも事実です。
 少なくとも、もう少しシステムを改善してあげればおそらく普通に働けていたであろう人を、精神的に潰してしまったりすることがある現状を、現場の特に管理的立場の人はもう少し深刻に考えるべきだと常々思っています。
 答えは「はい」か「いいえ」ではなく、「はい」か「イエス」しかないという環境で育ってきて、今の私があります。なんていう挨拶を、組織のトップにある人間が、恥や改善点としてではなく、武勇伝として語るような空気の中には未来は無いと思うんですよね、僕は。
 会社を相続したから常勤ができないというのは、まあ、一つの理由ではあるんですけれども、正直なところ僕は大学から、医局から逃げたって部分もあるんですよね。でも、僕は昔から逃げることを恥だとは思ってないふしがあって、過去様々な困難から、どうしたら将来に良い選択肢を残した状態でうまく逃げられるだろうか、ということばっかり考え、そして実行してきたのです。そのおかげで精神的に潰されなくてすんでるんだよな、と思っています。
 道は一つじゃないし、別に道を歩かなくてもいいんだよ、とみんなに言っておきます。