近況

 どっちのひき肉が10円安いとか、今日のランチをどうするかにしばらく悩んだりするくせに、大きな決断になると、あまり迷いなく決めてきたように思えます。なんだろう、重大な決断の場面では、これを選びなさいというように、答えが決まっていたのです。
 田舎暮らしで、高校までは選択肢といったってたかが知れていて、初めて大きな選択をしたといえるのは大学受験でしょうか。学部によっては大学を卒業してからの選択の要素が大きいのかも知れないけれども、僕の選んだ医学部という進路は、ほぼその後の職業も規定します。実のところ、医学部を受けようと思ったのは高校3年生の夏休みを過ぎたあたりのことで、それ以前は悩むというかどこにも決められずにいて、医学部というのは、学費に対する誤解などもあり、選択肢に入ってはいなかったのです。国立大学の学費が一律であるという基本的事実に気付いたあと、医学部という進路の選択肢が見えたあとは、迷いなくそこを受けることにしたのでした。
 現在のローテート研修とは違い、僕が医者になった当時は、大学医局に入局し、ストレート研修するのが主流の時代でした。外科に進むというのも、なんだか僕の中では早々に勝手に結論づいていて、あとはどこの大学のどの外科に行くのかということだけでした。
 地方の大学医局に属し、関連病院を行き来していた毎日の中で、数年前に東京にマンションを買った時も、あまり悩むこと無く決断した。いずれ東京に出るのだろうという思いはあったのだけれど、東京といっても初めて訪れる土地の、人生最大の高価な買い物を即断するということを、振り返ってみるといろいろ不思議な感じもするのだけれど、なんだかそれは買うべきだと思ってしまったのです。人生の大きな選択には、縁ということも大事だと思っていて、マンションを買うにあたっては、関わった方々との縁もあり、土地勘もないままハンコを押したのでした。
 母が病に伏した際に、大学を辞めようと決めたことにも迷いは無く、周囲からはありがたいことにいろいろ心配して頂いたりもしましたが、なんだかそれは僕にとって自然な選択でした。仕事のことも何も考えないまま大学を退職したのですが、まあ、医師資格と、喧嘩わかれしたわけではない大学との繋がりさえあれば、食うに困ることは無いだろうという、それなりの打算にも裏打ちされた選択でした。
 かくして、この春から東京に引っ越して生活しています。あのときマンションを買ったのはきっとこのためだったのでしょう。
 母の経営していた小さな会社を相続したので、その経営に関わりつつ、その他週に何日か、曜日固定の定期非常勤に出ています。上部・下部消化管内視鏡中心の外勤と、大学の関連病院での手術という、僕が今まで積み上げてきたスキルをそのまま活かせ、専門医の更新なども可能な勤務携帯です。13年目にして、初めて明確な休日をたくさんとることもでき、心と身体の平穏も取り戻しつつあります。
 近況報告にかえて。