新年を迎えて

 最初に配られた医局人事案では、某癌専門病院への異動ということになっていたのだけれども、なんとなくそうならないような気はしておりました。その後、突然の電話で本拠地へ戻ることを打診され、「追って連絡する」といったきり、公式なルートからは音沙汰ないまま年が明けました。

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。「あけましておめでとう」っていつ頃までいってていいんでしょうか。本来の松の内は15日までだったはずですし、いいですよね。東京にマンションを買い、将来の展望を東京に夢想していることの、いわば真逆の方向へ歩み始めたわけですが、まあ、そのいずれもきっと僕の人生のどこかで繋がってくる重要な伏線なんだろうと勝手に思ってます。

 正式には来週以降の会議で決まるのだと思いますが、まあ、打診された通りになるのだと思います。医局には結構言いたいこと言いまくって、ポーズではなく医局を辞めてもよい準備なんてしていたりもするのに、不思議な感じではあります。

 僕は今までの人生の重大な決断は、たいてい直感と勢いだけで決めてきたようなところがあるし、人生というのはそんなもんだとも思っています。人との縁ということには本当に恵まれているように思います。現在働いている地域においても、東京に購入したマンションの近隣においても、そのどちらに住んでも周りにいろいろと支えてくれる方々が少なからずいるというのは本当に幸せなことだと思っています。

 ある先輩医師より「すでに医局長からきいているかも知れませんが…」ではじまるメールを受け取ったものの、今のところ医局長から特になにもきいていませんが、まあとにかく本拠地へ戻るにあたり、もっと論文を書きなさいというようなことを言われました。大学院四年間の枠内で論文書けなくて、三ヶ月延長してようやく卒業したような僕に何を言っているんだという気もしますが、あれだけ大学に楯突いたような僕を、本拠地において形見が狭い思いをしないようにしてくださる動きなのだとすると、ありがたいといえばありがたいのでしょうか。しかし大学の労働環境なんて相変わらずで、研修医があんまり外科にまわってこなくなったのもあって、我々くらいの世代がずっと下働きやり続けているし、他の施設に比べて給与面でも全く報われていないのです(かつてはその年に入局した一年目の研修医が全員大学で働いていました)。

 しかしまあ、なんとなく停滞した生活に変化が出るということを前向きに捉えてみてもよいのかも知れません。良い方に転ぶのか、そうでは無いのか、まあ実際その時を迎えてみるまでわからないことではありますが、一つの道ばかり見つめず、様々な可能性を残しながらやっていくのが自分らしいと思っているので、これからもそうして生きていけたらいいなと思っています。

 本年もどうぞよろしくお願い致します。