平成二十五年

 新年明けましたね。喪中は新年の挨拶に困るという話は以前も書いたような気がしますが、最近はあまりこだわらないようにはしています。でもやっぱり、「おめでとうございます」にうまいこと返事できずに言葉が淀みます。僕の幼い頃は、田舎ながらにコンビニもありましたけど今ほど乱立はしてなくて、デパートもスーパーも少なくとも元日くらいはお休みで閉まっていて、正月独特のひっそりとした空気感があったように記憶しています。そもそも医師の仕事を始めてからは、年末年始に休めるというわけでもなかったので、割りと憂鬱なだけの時が流れ、出前を取るのにちょっと困る以外は、街も割と平常運転で、あまり強くお正月を感じることも無くなってしまいました。今年は常勤で働く病院も無いため、早々に仕事を納め、年末年始もしっかりと休んでおります。こんなのはここ十数年で初めてのことですが、元来怠け者なのか、休みが多くて持て余すということは無いですね。
 さて、昨年、平成二十五年は僕にとって大きく方向転換する年でした。母という存在を失うということは、想像していたよりももっともっと大きなことだったのです。大学入学で親元を離れ、そのまま母校の医局で働き始めて以降、ろくに帰省もしない(できない)し、別段の用事が無ければ電話をすることもないような生活をしていたのに。いろいろと厄介事を抱えてもいる実家や親類周辺ですが、そういった難しい諸々は、一手に母が引き受けてくれていて、ある意味僕はそうしたことに目をつぶりつづけていたんです。母が亡くなった今、そうしたことを引き受ける場所は僕以外に無く、喪失感と重圧感とに押しつぶされそうな昨今です。血縁というのは本当に難しいなと思います。
 母がまだ闘病していた昨夏頃に、医局の人事希望調査に「退局希望」と書いたのは、もちろん第一には母の最期の時間を全力でサポートしたいという思いがあったからだし、母が亡くなったあとに待っているであろう厄介事を、外科の勤務医をしながらこなすことは無理だという確信があったからでもあります。医局や教授からの「いつ戻ってきてもいいんだよ」というのは、もちろんありがたい言葉ではありましたが、それを選択しないであろうことは僕の中では確信でした。結果として母は新年度を待たず、昨年三月に旅立って行きました。その際、「こんな時になんだけど、看病ということが無くなったのであれば、今後医局人事復帰の希望があれば、是非戻っておいで」と言われたのですが、それを断って今に至ります。
 そうは言っても、僕なりにいろんな保険をかけ、いろんな言い訳をし、いろんな将来展望を考えながらの一年でした。それが最良の方法であったのかどうかはよくわからないのですが、母の経営していた小さな小さな建材会社の株式のほとんどを相続し、役員に入るという方法で、取引先に会社の姿勢を示しました。その一方で、いくつかの病院の非常勤をはじめ、内視鏡や外科手術に関わる機会を維持しました。断捨離流行りのこのご時世に、物が捨てられない性格の僕が、やむなく何かを捨てるのはギリギリの時で、何も捨てなくても進める選択があれば、なるべく幅広く物を持って進むというのが人生の基本方針です。
 高校の時に理系クラスを選んだのは、別に理系に別段の興味があったわけでもなく、僕の通っていた高校のシステム上、理系クラスがもっとも多くの教科選択ができる形式だったからです。理系から文系大学も受けられるけれど、文系のカリキュラムから理科数科目を要する理系大学の受験は困難だった、というだけの話です。結果として医学部に進学しましたが、それはかなり将来の幅を狭める行為でもあり、それなりに逡巡したものです。思い切ってからは早かったのですが。物を捨てない進み方をしながら、人生の大きな決断は割と直感と天啓に従ってきた、ということも以前書いたような気がします。
 そうした流れからは、医師免許を持った人間が病院で働くということにこだわらない、医師免許を持っていることで選択の幅が広がる方向へ興味を持つというのは自然な流れでありました。今後やや特殊な環境に身をおくので、詳細はここでは控えますが、医師免許を持っていることで開けた道を頼って、春からは海外某国へ赴任します。大学医局を離れた身分だからこそ見えてきた道でもあります。おそらく医局の方々は、僕が次の常勤病院も決めずに不思議な立ち位置にいることを、不安定で先が見えない、通常の医師のステップアップの道筋から大きく離れてしまった、と捉えていたのだと思います。まあ、春からの身分がどうかはまたいろんな考え方があるでしょうけれども、現在の立ち位置に比べるとかなりしっかりした方向性が示された、多数派ではないかも知れないけれどしっかりと世に必要とされ、認められた立ち位置であるとは思っています。運命論者というわけではないのですが、母の事や大学医局を離れるということが無ければ、決してこうした道に入ることは無かったわけで、人生いろいろと面白いなと思うのです。詳細は実名アカウントのところで書いてますので、それなりのおつきあいのある方々はコンタクトをとって頂ければと思います。ここはあくまでザウエルという、実名とは切り離した場所のままとしておきます。
 平成二十五年のきっかけを土台に、本年はまた、大きな変革の年となりそうです。やや物騒なニュースが飛び交う国への赴任予定ですが、もろもろ気をつけて行って参ります。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。