研修医に望むこと

 少し前に某所に書いたものの再録です。そもそもがはてなで昔書いてきた事の再録のようなものですが、割と評判の良い内容なので、改めて。

 僕は外科医としてきちんとした独り立ちを迎える前に、やや一線から退いてしまった感がありますが、学位とか専門医とかそういった後からとるのが大変そうなものをひと通りとらせて頂いたことと、現在も内視鏡と手術に関わっていることで、いたずらに将来の可能性を潰すことなくやっていられるのは幸せだとは思っています。

 医局を離れる前、大学にいた二年間は、学生教育に携わる機会が多くありました。自分がその道を極めてもいないくせに教育なんていうのは枯れてる証拠、とか言うようなお話もありますが。大学という場所の重要な目的の一つである教育は、特に臨床・研究と同時進行が求められる病院においては、その成果が見えにくく、ないがしろにされてしまいがちな部分です。世代の近い学生、研修医、若手医師同士が、シームレスに繋がり、遠いところではなく、少し先に具体的な目標点を定め、身近なロールモデルに学ぶという環境をつくるとともに、ベッド張り付きではなく動くことのできる指導医の立場にある人間が、研究だ論文だということだけでなくて、もう少し責任を持って直接学生や研修医に関わるべきだと思っています。

 先ほど述べたように、成果の見えにくい部分で、かなり手間のかかる部分でもあり、往々にしてその業務は本来の責任者が誰かに丸投げしてしまうことがあると思います。教育に直接関わる気がないのであれば、少なくとも大学にいるべきでは無いというのが僕の考えです。臨床も研究も、決して教室が求めるようなレベルに達することのできなかった僕ごときが何を偉そうに、と思われるかも知れません。

 臨床教育という部分において、僕が研修医に割と厳しく求めることに、カルテや検査依頼文書などをきちんと書く、ということがあります。おそらく研修医のときにやらなかったこと(できなかったことではなく)は一生やらないでしょう。患者さんとのところへ足繁く通う、というのはもちろん大切なことですが、医療をチームで行うために、カルテを書くということは同列に大切なことです。僕が研修医にカルテを書くことを指導する際に、時に別の医師から「そんなことよりも、患者さんのところへ足を運ぶことが大切」といった茶々を入れられることが何度もありました。しかしながら、患者さんのところへ足を運んで得た様々な情報をカルテに残して、皆で共有してこその医療であり、カルテを書くことを疎かにすることは、患者さんのもとへ足を運ばないのと同じくらい罪なことだと思っています。まあ、それ以前にカルテの記載は法にも定められているわけですけれども。

 僕は担当患者の看護記録ももちろん全て読んでいました。ある程度心を許してくれている(と僕が勝手に思い込んだ)相手には、記録の不備や疑問点について、しつこいくらいに突っ込んでいました。それは同時に、自分のカルテ記載に手を抜けないという状況に自ら追い込むことでもありました。
 
 手術日の朝や緊急時などは、全部の記録に目を通す時間はとれないこともありますが、基本的には看護記録や温度版、別の医師のカルテ記載は全て確認した上で研修医やその他の担当医たちと話をするように心がけています。そういう姿勢はチーフなどの立ち位置にいる人間にはより重要だと思っています。カルテを読んだ上で教育的な質問やアドバイスを持ってくるようなタイプの上司は本当に素晴らしいと思っており、そうした上司の存在は、自然と良いプレッシャーとなり、自分の不足点を恥じ、さらなる勉強や努力に自然に繋がって行くのです。

 しかしながら、3日も前に詳細に記載されたカルテをも全く読まずに、たまにしかいかない病室の患者さんの前で、情報が無いゆえにおかしなことを言ってしまったり、特に急ぎでもない場面で純粋に情報収集としての質問を部下にぶつけてきたり、挙句の果てには「報告が無いからだ」なんて怒り出したりするのは恥ずかしいことだ、と思っています。部下がしっかり働いて、逐一上司に報告するのは当たり前だ、という考え方もまた真です。しかしながら、そうした情報を実は既にもっていながら、どっしりと構えて報告は報告として受け、既に情報を得ているからこその的確なアドバイスを、現場に張り付いていた部下たちの気持ちを組んだ上でそっと与えてくれるような上司は、誰に何を言われずとも、自然と尊敬されるボスたりうると思うのです。指導医の立場にある方々からの反論はあるかも知れませんが、少なくとも僕はそういう認識です。教授が診療科全員のカルテを毎日読むべきだ、とは言いませんが、診療チーム内のことくらいは、自ら把握する努力をすべきとは思います。

 さて、電子カルテになって、読めない字はだいぶ減りましたが、紙カルテが汚い医師は、概して電子カルテも「汚い」んですよね。なんというか情報が伝わってこないんです。誤字脱字やタイプミスも多いような気がします。コンピュータのスキルというよりは、ちょっと見直すかどうかというような基本的なことのような気がするんですよね。紙カルテに解読不能な字を殴り書きしていた医師は、電子カルテも打ちっ放しで見直さないというような。もちろん僕の主観的な、ただの雑感です。

 紙カルテの時代は、特に長ったらしい正式な病名やら手術名を書くのが面倒で、ついつい略称に走ったものですが、電子カルテがこれだけ普及した今こそ、そうした悪習もなるべく減らせていったほうがいいという思いがあります。ほぼ一対一で対応している略語以外はあんまり使わないほうがいいんじゃないかなと常々思っています。特に、他科紹介する時に略語使うのは基本的にやめたほうがいいと考えています。専門領域としては常識のような略語でも、専門外の医師には伝わりにくいことがあります。あまり特殊な疾患や治療でない限り、略していない正式な名称を理解できないのは勉強不足としても、略語を強いることにはあんまり意味が無いような気がします。日本のローカルルール的に使われている、英語圏に通用しない英語の略語というのも多いわけですし。

 その患者さんの時系列が何も書かれていないまま、「検診で食道癌が発見されたため、ご紹介致しました」みたいな紹介状は、大先輩の世代から頂くことが多かった印象でしたが、最近は後輩から受け取ることもあります。大学の専門外来をやっていたことは、添付されている検査所見の日付をみたり、患者さんに改めてききなおしたりして、初診のカルテをつくりなおすことが非常に多かったのですが、忙しい外来の中で常に全身の診察をしたり、細かなお話しができないにしても、自分が対面した患者さんの情報を得て、カルテや紹介状に記載すべき最低限の事項というのはあると思うんですよね。自分の前に初診をみた人がいて、追補すべきことはあるにせよ、通常の時系列の形で初診カルテをとりあえず埋めることができない紹介状というのは非常に問題だと思っています。

 僕のカルテや紹介状に関するもやもやや、上司たる心構えに異論も多いことと思われますが、常々思っていることを一度文章にまとめてみようと思い、こうして綴ってみました。冒頭に述べたように、おそらく研修医のときにやらなかったこと(できなかったことではなく)は一生やらないでしょう。もし僕の思いに何か感じるものがあれば、診療に反映して頂き、何年か後には、自分が今思い描いている理想の上司として、教育を受け継いでくだされば非常に嬉しく思うのです。