新年

 喪中ということで新年のご挨拶は控えさせて頂きますが、本年もどうぞよろしくお願い致します。
 喪中とは言っても年賀状とか年始の挨拶まわりということ以外の場面では、あんまり気にしないのでしょうけれども、「明けましておめでとうございます」と言われた時に、その返答としての言葉を選ぶのになんとなく一瞬たじろいでしまうんですよね。

 年明けに少しお休みを頂きましたので、ちょっとだけ帰省してきました。喪中ということや、家族が病気をしたことなどもあって、お正月をお祝いするという感じでもないのですけれども、それでも家族に顔をみせ、従姉妹の子供たちにお年玉を用意し、高校時代の友人と呑んだりしました。昨日から普通に仕事が始まってしまいましたけれど、帰省は良い気分転換になりました。実家を離れてずいぶんたつので、実家は実家であって、もはや自宅ではなく、ずっと実家にいるとそれはそれで疲れてしまうので、短い帰省くらいがちょうど良いのかも知れません。

 実は少し前に、家族に少々やっかいな病気が見つかり、今後地元の大学病院で治療を行う予定となっています。今僕が働いている街から実家のある街までは、高速道路乗り継いで2時間強。僕の勤務する病院へ通院してもらうというわけにはいかない距離感です。家族は家族で、生活の基盤や様々なしがらみを実家に持っているので、そうそうそこを離れるわけにもいきません。日常生活に大きな障害が出るに至って、電話で相談されたのだけれども、とにかくまずはどこか病院を受診してくれとしか言えませんでした。とにかく病院を受診してもらったものの、画像診断の予約が入ったのは1ヶ月も先であり、それを待っている間にも病状は進み、日常生活が著しく困難となり、再度相談されたのです。

 全ての患者さんに平等な医療を行っているという自負は、おかしなまでの潔癖さとなって僕をがんじがらめにしていて、実際に、今まで自分の身内が病気に罹った際にも、特に積極的な介入をすることは望みませんでした。そもそも大学の関連病院は実家付近にはほとんど無く、僕も医局の関連病院もしくは、僕の専門とする診療領域についての情報やコネクション以外は持っていないのですけれども。

 僕の実家からなんとか通える距離に、医局の関連病院の一つがかろうじて存在しています。僕自身はその病院に近づいたこともないのであまり内情はよくわからないのですが、そこに外科のトップとして赴任している、僕のよく知っている先輩に電話をかけて相談した結果、その病院での該当診療科受診の手配をして頂き、その先生から細やかな連絡を僕に直接メールで頂きながら検査を進めて頂くことになったのでした。

 何とも説明のしようが無いのですが、こういったことと自分の潔癖さとの齟齬に少々混乱しています。また、日々の仕事の最中に、正直家族の病気の事が気になって、赤の他人の病気など診ている心境じゃないと思ってもしまいます。こういった受診は、通常のアクセスとは言い難い方法となったわけで、なんとなく僕があまり好きではないやり方なのです。しかしまあ、知り合いの医師が近くにいる環境で診て頂くという状況をつくって頂いたことが、僕にとっても家族にとっても非常に有り難かったことは確かです。この、もしかすると冷たすぎるようにとらわれてしまうかも知れない潔癖さ、幻想と分かっていながらの社会の公平さへの希求、半ば病的な思いこみというかなんというか、それはしかし僕の人生の礎であり、要であり、これを崩されてしまえば自我を維持することができないとも思うのです。友人に考えすぎだと言われながらも、しかし僕はずっとこうして生きてきたのです。

 僕は常に平等に自分の信じる医療を行ってきたと思っているし、そう信じるからこそ、医療へのバッシングに対して少々きつい口調で反論もしてきたのです。普段滅多なことでは僕が医師であるということを僕の患者さんのため以外には利用しないのだけれども、今回はほぼ初めて家族の病気に関して、自分が医師であることを名乗って、その立場を利用しようとしました。

 種々の検査の結果、一連の検査を進めて頂いた病院では治療ができないということが分かり、地元の大学病院を紹介して頂き受診するということになったのはつい先月の事です。僕の職場の方々にも配慮をして頂いてお休みを頂き、急ぎ実家へ戻り、家族と共に受診してきました。今後の検査や治療の進行によっては、改めてしっかりと休みをとろうと思うのですけれども、現時点では予定されている診療が進むのを見つめているしか無いし、やや動くのに不自由しているという以外は、その家族も元気といえば元気なので、僕は僕でいつものように日常生活を送っているのです。