(あまり褒められたものではない)近況

 僕が大学院入学にそれほど前向きでは無かったのは以前にも書いたことがあったように思います。まあ、医局人事に乗っかっているといろいろあります。何だかんだ言って、願書を書いたのも、入学試験を受けたのも最終的には僕が選んだことです。しかしながら、はてなにはあんまり書いていませんでしたが、僕が大学院でほとんどマトモに研究していないというのは事あるたびにいろんな方々に述べてきた如くであり、冗談でも謙遜でも無く、まさにお話しした通りなのです。自慢することじゃありませんけれども。

 医学研究に立派に携わっている方々は本当に尊敬していますし、研究というのはもちろん医学において大変重要なことだと思っています。ただ、医療という実学において、現時点での水準の医療を、目の前の人に行うという人間もまた必要であります。現時点での水準というのは決して低いものではなく、特に外科手術など、僕が一生取り組んでも、現時点でのトップレベルには到底及ばないのではないかとも思っています。だからこそ、臨床だけに携わるような医師がいてもいいのだと信じているし、どちらかというと僕の興味はずっとそっちに向いています。かといって、マスコミが煽るような「研究にばかり興味がいって、臨床を蔑ろにしている」といった批判は的はずれだと思います。自分が研究をするか否かに関わらず、研究の手法を知り、世に発表された研究報告を読み解いて自分の臨床にフィードバックすることのできる能力は必要であり、学会や研究会に触れることは、臨床家にとって大きな意味のあることは間違いないからです。

 さて、僕が大学院に入学してほぼ4年がたちます。その間、学会発表だけはたくさんしました。一部の恵まれた研究機関や病院では、学会費や参加費、交通・宿泊費も全て支給されるみたいですが、僕は全て自費での参加です。せめてもの抵抗として学割は使ってましたけど。本来、院生ならば研究テーマに沿った発表を中心にやっていくべきところを、ほとんどまともに研究に取り組んでいなかった僕は、大学病院でのただ働き業務として関わったチームで蓄積したデータを用いた臨床ネタです。院生としてのここ4年は、ほとんど入院治療・手術治療に関わってないにも関わらず、外科系の学会で、時には壇上(ワークショップなどのいわゆる役付き発表)にのぼったりしているというのは本当は無理があるんですよね。手術の細かい手技とか質問されても、僕が入っていない手術に関しては、あんまり詳しいところまでは分かりません。それでも年に5〜10回くらい全国学会での発表を4年ばかり続けてくるうちに、質問のポイントやそこへの対処なども自然に身につけ、嘘にならず、知っている範囲でどうにか乗り切るという術だけは身に付いた気がします。もちろん、苦し紛れは苦し紛れとして、会場の大先輩方にはバレているのですけれども。某大学の先生には、「アイツはとにかく口がうまいなあ」とか言われてしまいましたし。

 ま、そんなわけで、常勤医としての仕事をしなかったのと、手術に関わることが減ったには減ったものの、大学院在学中も臨床から離れずにいられたというのは、僕にとっては良かったことなのだと思います。最近は癌治療も手術単独ではなく、化学放射線治療を組み合わせた集学的治療に大きくシフトしています。まだまだ少ない腫瘍内科医に「外科医が片手間にやっている」なんて言われながら、「だったらあなた方で全部診て下さい」なんて思いながら、我々外科医が化学療法を勉強しているのが現状です。外科系の教育集会に行って、何故か化学療法の勉強をさせられるんですよね。そういうことも踏まえると、手術から離れたとは言え、癌臨床の最先端には触れていられたのだと思います。

 大学院で命じられた研究は、こうした学会での発表内容のような臨床研究ではなく、純然たる分子生物学の研究です。それは大学の使命だと思うし、学会に参加したり、学術的な活動をするということは、医師として必要なことだとは思っています。ただし、分子生物学的研究を、必ずしも全ての臨床医が行わなければならないものではないと思っているのも再三述べてきた如くです。僕が思ったことを割と率直になんでも言ってしまうというのは今に始まったことではありませんが、ここ数年はいろいろなことがあり、さらに過激に医局に物言う機会が増えていました。研修医の扱いとか、医局員の処遇とか、大学病院での無償労働についてとか、医局の不祥事についてであるとか、いろんなことで教授にぶつかっていった流れの中で、改めて僕は基礎研究ということにはあまり興味が持てず、大学院においても、ごくごく最低限のことしか出来ないし、やるつもりもないし、申し訳ないけれども世界レベルの研究は行えないと繰り返し伝えていました。大学で教授を目指すというようなことにも興味は無いし、あくまで臨床に関わる上で必要な範囲でのアカデミックを求めていきたいと伝えてきました。そうしたポジションが大学にふさわしくないということであれば大学を去るつもりだし、医局にふさわしくないということであれば医局を辞めることも考えているという話もしました。下っ端医局員のそうした「暴言」を受け止めるという意味では、我々のボスはとてつもなく偉大なのかも知れません。

 来月半ばまでに学位審査の申請をすれば本年度の卒業が可能なのだそうです。このとき提出する学位論文にも大学としての基準は曖昧で、他科の友人には、いまだアクセプトされていない論文で、数年前に博士号をもらった者もいます。うちの教室は、一応それなりの雑誌にアクセプトされないとダメ。「それなりの」ってのも非常に曖昧なんですけれども。

 一応、大学院入学当初はそれなりに研究を頑張ってみようとしたこともあって、癌組織を使って免疫染色をしたり、癌細胞培養したり、PCRをしたりとかしてみました。大部分は結果という結果もでないまま、面倒くさくてそのまま葬り去ってしまったのですが、唯一、あるタンパクの免疫染色の結果において、癌のリンパ節転移や予後と関連を持つというデータが出ていて、極端な話、その結果だけでいままでの学内での研究発表とかを乗り切ってきたのです。それはそれできちんとした結果だと思うけれども、さらに研究の深みに入っていくような気概はなくて、二年くらい前にそのデータで論文を書いて指導医にみせたところ、「追加実験とか、ほかのデータはどうするの」とか言われて、また面倒くさくなって放っておいたんですよね。

 大学院入学当初は、外来や検査といって無償労働のdutyや外勤以外の、本来は研究をしている時間を、サボるにしてもそれなりにドキドキしていたのです。せいぜい週に一度くらい夕方抜け出して大型二輪の教習に通ったり、バイトをうまいこと調節して短い旅行にでかけたりとかそんなもんだったのですが、だんだん大胆になり、毎年必ずフジロックに出かけるわ、dutyの無い日は夕方くらいに大学にちょっと顔を出してすぐ呑みに行くとか、「授業料を払って自由を買っている」とか割り切っていたところもあります。特に、教授やら医局長やらに自分のスタンスを余すところ無く伝えた後は、もう誰にも遠慮することは無かったので、相当に自由な日々を謳歌していました。

 免疫染色の結果自体は、この4年間の中で、染色および検鏡と論文書きにあてたおそらくほんの数日間の成果です。それでも、学内の発表会では優秀演題として副賞をもらったり、研究費をもらったり、開催は国内だったものの一応国際学会でも発表したりと、別に単独で論文にして何が悪いんだという思いはあったのです。で、おそらく大学院卒業までのタイムリミットが迫ってしまえば、「それなりの」雑誌の「それなり」の域値は下がるはずだし、いろんなことで面倒くさくなってる教授にとっても、あいつはさっさと卒業させてしまおうということになるんじゃないかという腹黒い計算はあったんですよね。まあ、最悪「学位はやらん」ということになってもおかしくなかったわけですけれども、正直学位にそこまでこだわりがあるわけじゃないし、それを交渉の道具にされてもこっちとしては正直痛くも痒くもない。むしろ、教授や指導医のほうが、自分の教室の大学院生が学位を取れないということにおいてのダメージのほうが大きいのかも知れないという勝手な憶測もありました。基本的に卑怯な人間なんですよ、僕。

 他学部の博士課程はそんなことないんでしょうけれども、医師資格を持った人間の過程博士(論文博士ではなく、大学院の単位を取った上で博士論文を提出してとるもの)っていうのは、おそらく取れない人間がそんなにいない軽いものです。足の裏についた米粒のようなものなんて揶揄されたりします。取っても食えないが、取らないと気になる。ま、僕の生きている時間においては、たぶん取らなくてもほとんど問題は起きないでしょう。

 思いついたように「免染一発で卒業して、みんなに夢と希望を与えてあげよう」なんて言って、2年前とほとんど変わらない(discussionとかはさすがにいろいろ手を入れたけれども)論文を秋頃に指導医にみせてみました。「俺はいいけど、教授がなんていうかは知らないよ」なんて言われながら、discussionをもう少し直すように言われました。そのまま秋の学会シーズンに突入し、また面倒くさくなって放っておいて、今。

 先週の火曜日に思い出したように論文直して指導医へ。水曜日の外勤から帰ったあと、教授秘書の机に論文をおいておき、教授にみて頂くようにお願いしました。毎年この時期には、学内外の教室員が今後の身の振り方などを教授と話し合うという風習があるのですが、僕は木曜日の午後にその予定が入っていたので、その前というタイミングで教授に論文を渡しておこうという下心。

 テレビドラマなんかだと、「研究をこんなに頑張ったので大学において下さい」って感じなんでしょうけれども、うちの医局の場合は、おおむね大学よりも市中病院が人気です。田舎大学ですし、ほとんどの教室員が研究じゃなくて手術に興味があってこの医局に入ったんです。この面接の前には、その年の自分の業績とともに、人事希望を書き入れる用紙が配られ、あらかじめ教授のもとへ送っておきます。そして、「私はこんなに頑張ったので、来年こそは学外のあの病院へ!」みたいなドラマとは逆のお願いをしたりするのです。僕は、「再三お話ししましたように、研究ということを積極的に続ける意志が当面は無いのと、しばらく一般臨床から離れていたことも踏まえて、可能ならば学外へ出して下さい」といった話をしました。

 教授から帰ってきた論文を直して、木曜日のうちに英文校正へ。投稿が欧米のクリスマス休暇にぶつかっちゃうだろうから、返事の早いジャーナルでも、来月中旬までにアクセプトというのはかなり難しいとは思います。ただ、締め切り日の数日前に返事が来て無事ギリギリ卒業というケースが、ここ数年で二件もあるので、どうせならミラクルを期待したいところです。ま、在学延長はあと4年は可能なので、年間50万円の授業料を寄付かなんかだと割り切れば、それ以外には特に日常生活に差し支えないんですけれども。

 ちょっと前にあった人事委員会では、僕は県内のあまり忙しく無い病院に名前が入っていました。ただ、この案は一度白紙に戻すというようなことを言われたので、あんまりアテにはできません。いつも2月くらいまでなかなか確定しませんし。順当に行くと、僕がアホみたいな雑用に追われる大学という順番なのですが、いろいろゴネたり論文あっためたりしたのが功を奏して、僕の希望に沿うような形で事が運びそうではあります。

 医局長には、人事のことでいろいろ意見を求められたときに、「まあ、論文出さずに人事に影響及ぼしてる張本人が言うのもなんなのですが、頑張った人がかえって辛い場所に配属されて、僕みたいにサボっていた人がうまいこと大学出られるというような不公平感はどうにかしたほうがいいですよね。それ以前に、本来はみんなが本拠地である大学を希望して、そのために研究を頑張りたい、研究が好きだという人がこぞって大学に集まるというのが正しい形ですよね。うちの医局に限った話じゃないですけれども、大学が貧乏くじになってしまうというのは、本当に不健全ですよね」なんて話をしたのでした。

 もう追加実験とかする気はさらさらないので、メジャーリバイス食らったら投稿誌変えるし、教授の許可が出た以上、免染一発での卒業を目指します。まだアクセプトされたわけじゃないのに、こんなことで相当に気分が軽くなったような気もします。国家試験受かったわけじゃないのに緩みきった卒業試験後の時のような感覚。消化器外科医を名乗っている以上、消化器外科学会の専門医くらいは取得しようと思っているのですが、これには筆頭著者論文が3本必要です。学位用の論文のほか、もう一本は持っているので、研修医のときに発表したレアケースの症例を引っ張り出してきてケースレポートを書いてます。僕にとっては、もうピペットマンを握らなくていいというのが何よりのストレスからの解放であって、実は英文を書くこと自体はそんなに苦にならないことにも気付きました。でも、消化器外科専門医受験基準満たしたら、しばらく論文書かないだろうなあ。

 日々真面目に研究している方からは怒られそうな、自らの恥の公開のような近況報告ですが、とりあえず、大学院は卒業をする方向へ向かっており、今年度中の卒業ができるできないに関わらず、春からは臨床復帰ということになりそうです。