医者になってからというもの、基本的には病院に縛り付けられている生活で、時には単に上司の怠慢であったり、バカみたいな体育会系思想であったり、実態を無視したクソみたいなシステムのせいであることまでもが「患者さんのため」みたいな言葉でごまかされて、プライベートというものの大部分が誰かに奪われていました。普段は極端な疲労と一日中の眠気とハードワークに忙殺され、余計なことを考えるヒマもないものの、時折一瞬だけ我に返った刹那、言いようのない絶望感を感じることもあったように記憶しています。その言いようの無い絶望感と共通する、僕の非常に個人的な一つの絶望が、だからこそそういった生活の中で明確化して、先鋭化して、閉じ込められた生活の中で可能な限りの解決策を見出そうとしたのかも知れません。
医者一年目は、少ないながらも同期が似たような状況で病院の中の陽を浴びない生活を送っていたのに対し、二年目の山の中の生活は、自分と同様に病院に捕らわれている人間がほかに誰もいないように見えたので、一瞬でも逃げ出すチャンスが見いだせれば、いつ病院に呼び戻されるかわからないという恐怖と闘いながらも、山を降りて酒を浴びたのです。
自分のプライベートがコントロールできない以上、誰かと約束をするというのが非常に困難で、だから僕の都合にあわせてくれる人の存在というのが肝要でした。大学病院内でも恐らく最も過酷だった我々ほどでは無いにせよ、同級生はみな研修医生活を送っていたわけで、僕の時間にあわせてくれるのは必然的に時間を持て余している後輩たちでした。その後輩たちも医者としての生活をスタートすれば極端に自由が効かなくなるので、さらにその下の後輩、その下の後輩と、学生との接点を持ち続けることになりました。
まあ、いろいろあって日本を脱出した今、緊急事態や突然の呼び出しというのが無くなったわけではないにせよ、日本にいた時とは比べものにならない自由な時間を手にしたので、あのとき感じたような強い絶望感は、たまに昔を思い出してうなされる悪夢以外ではそうそう感じなくなりはしたものの、年を重ねるにつれて、有限の寿命に対する焦りとかそういうことはこまめに意識に訴えかけてくるのです。
日本にいる時間が限られるようになった今、かつてのようなプライベートの収奪ということでは無いにせよ、やはり僕の時間にあわせてくれる人の存在は重要で、一人で過ごす時間だけでなくて、そうしてたくさんの人々と過ごす時間にはやはり飢えているのだと思います。海外生活もここに根を下ろしているわけでも無く、一声かけて集まってくれるような人間関係を築けるかというと、もうちょっと遠慮のある関係に留まるのかなという気がしますが、まあここでは音楽を再開できたのでそれは僕の人生に大いなる華を与えてくれることなのでした。