「これからも」-0556-

 さようなら愛すべき県。なんだかんだいってまるまる9年も住んでいた県をもうじき離れます。もともと縁もゆかりもない県でしたが、9年もいれば縁もゆかりもたくさんできました。医者になってから急に都会に憧れてみたりして、自分の住んでいる場所の田舎くささとか、それ故の閉塞感などを考えた時期もあったけれど、僕の今の交友関係の中心は明らかにこの県にあって、医学を学んだのも、医療を行ってきたのも、音楽を楽しんだのも、酒を酌み交わしたのもここでした。卒業式に大学を離れず、そのまま大学に残り、同級生が少し散り散りになった以外は、そのままの人間関係を継続したり、あるいは、大学に入学してくる学生と、いろんな縁で仲良しになったり、大きな意味で、僕は学生気分が抜けていなかったのかも知れません。

 何度もしつこく書いているように、僕は物が捨てられない人間です。かといって、過去の遺産にしがみついて、新しいものを受け入れないかというとそうではなく、物を捨てない上に、新しい物も大好きなので、27年分、何も捨てずに生きてきたわけです。学生時代に感じていたような悠久な時間の流れは既に無く、月に4回か5回しかない週末、しかもそのほとんどが仕事でつぶされたり、空いていると思っても病院に呼び出されたり。

 そんな生活の中で、ちょっと空いた時間を無理矢理使って、僕は僕なりの充実した生活を送ろうと焦っていたようです。今年、ICUに半年、外科病棟3ヶ月、麻酔科3ヶ月という生活をしていて、ICUと麻酔科では、病棟に受け持ち患者を持たなかったので、医者になって最初で最後の、絶対緊急呼び出しされない休みをもらうことができました。ICUにいた頃は、普通は寝て過ごすであろう、日当直と日当直の間に、後輩呼び出して海にいってみたり、東京に出たり、高速飛ばして隣県の高原にいって、飲み会混ざって、朝一で帰ってきてみたりしていました。麻酔科にいる今は、仕事後にナイタースキー行ってみたり、外勤の無い週末に、やたらに東京に泊まっていたり。

 冷静に考えると、それは別に医者に限ったことじゃないのですが、医者という人間は特に病院に縛り付けられるので、生活がその病院の周辺に限定されがちで、そこに人間関係とか、プライベートとか、そういう全てを考えていくようになりがちです。また、情報網や交通が未熟だった時代ならいざ知らず、今は、少しの時間とお金を使って、フットワーク軽く生きていけば、住居や職場にこだわらずとも、広い世界に生きられると思うのです。そして、僕はこの1年くらい、特にそういう生活を望んでいたのです。それは、医者になって最初の2年間、ほぼ全く病院近辺から離れられなかったことや、4月からまた外科生活に戻ることが念頭にありながら、割と自由な時間を使えるという現状があるからだと思います。

 ただ、無尽蔵に交友関係を広げたり、趣味や仕事の手を広げたりしても、時間は限られていて、僕は全てを深くこなすことはできません。今ある世界の中で、より深い方向へ手を広げていくというのも、大切なことだとは思うのです。

 僕は「普通は」とか「一般的には」とか言う言葉があまり好きではない部分があります。みんなと一緒、一律が正しいというような義務教育の中にあって、僕はみんなと一緒、一律で仲良くしたいという思いを持ちながらも、自分の性格とかいうものは、自分の本質であって、そうやって「一緒、一律」ではない何かがあるということに気付いてしまえば、それを闇に葬るのは難しいことでした。小学校くらいは、その自分のエキセントリックな部分を武器にして、交友関係や自分の世界を築いていったのですが、結局、そういう人間は目立ちます。それによって、なんとなく集団に一体化できないことをおそれた思春期の僕は、エキセントリックな部分を封じ込めようと考えたのですが、それは結局自分を殺すことであり、そうやって表面的なことだけで生きていくのは意味がないことでした。

 僕にとって、芸術のセンスがある人、というか、なんかそういう生き物として人間特有の文化のなにかに、技能というよりは、理解や興味を持っている人間と縁があることが多く、高校で演劇、大学に入って音楽をやっていく中で、その小さな集団という枠をとびこえて、学校を飛び出していろんな人間と交流を持ち、今でも仲良くしてもらっている人が少なくありません。

 インターネットや携帯電話がまだ普及していない時代から、僕は地域の枠を飛び越えて交流するのは大好きでした。家の電話で詳細に待ち合わせを決め、もし会えない場合の連絡手段は、実家取り次ぎとかにしておいて、公衆電話から第三者を通して連絡する、とか、そういうことを普通にしていました。いまや待ち合わせは適当でも、携帯電話でなんとかなるわけで、地域をこえた交流もだいぶしやすくなりました。

 ネットのつながりの希薄さとか、そういうことがいまだ話題にのぼるわけですが、結局ネットも電話も手紙も、単なるコミュニケーションの手段であって、それに優劣をつけることなんてナンセンスだと思います。電話が普及した当時、手紙にかわる連絡手段としてもてはやされる一方で、電話の連絡ですませるのは失礼だとか、希薄な関係だ、とかバッシングされたそうですが、結局古い人が新しいものに難癖つけているだけ、という気がします。どんな手段をとったとしても、結局人間対人間の関係であって、実生活にせよ、ネットという手段にせよ、そのコミュニケーションは人間が行うものなのです。希薄な関係というのはネットのせいじゃなくて、それはその手段を使っている人間のせいです。ツールの手段が簡便だからといって、簡便に人付き合いができるわけではありません。

 なんか長文で話の焦点がずれてきましたが、とにかく、この県を離れるにあたり、親しくしてくれている人たちと、たまには大宴会をしましょうという話をしていたのです。小宴会は年中やっているのですけど。それで今日はこれから、老神温泉というところに6人くらいででかけてきます。一緒にいく人数人で、昨日呑んでいた段階では宿決まってなかったのですが、その、呑んでいた店のマスターが知り合いに連絡して宿とってくれました。あと、今日飲む分にと、日本酒と焼酎までもらっちゃいました。そういえば、最近はメニューにあるものをほとんど注文していないこのイタリア料理店にも、もう9年も通っていて、これも人脈のひとつです。

 僕はこれからも、今ある関係を大切にしつつ、新しい世界にも臆せず飛び込んでいきたいと思います。欲張りなんですよ。