タミフル

 何度も書いているように、副作用の無い薬などありませんし、危険の伴わない手術など存在しません。しかし、その疾患の治療にそれが必須ならば、危険性を承知した上で薬を飲んだり、メスを入れたりしなくてはならないわけです。基本的には、治療しないことの危険性が、治療することの危険性を上回る場合に、治療を行えばよいということになります。
 例えば、単なる風邪に解熱剤や点滴が必要かと言えば、別段必要ではありません。疾患の治療という意味合いでは、かえって疾患を長引かせたり、体に負担をかけたりする可能性もあるのです。初出が2003/8/6の「コンビニで葛根湯を」で、僕の解熱剤や抗生剤に対するスタンスを書いています。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20040609#p2
 しかし、正直なところ、最近は外来で一生懸命説明した上に、かえって不満を感じさせてしまうことに疲れてしまった部分や、点滴や解熱剤によって、確かに「楽になった」と感じることがあるということ、外来で「薬を出すこと」に過剰な期待が持たれていることなどから、最近はある程度意向を伺いつつ、患者さんの希望でホイホイ薬を出したり、点滴したりしてしまっています。
 id:halfboileddocさんが、少し前にこのあたりを綺麗にまとめておられました。
http://d.hatena.ne.jp/halfboileddoc/20070302#p1
http://d.hatena.ne.jp/halfboileddoc/20070305#p1

 前回、私は風邪に点滴なんて意味がないと書きました。

 でも、風邪の人が来たら、点滴をします。

 これは、論理的には明らかに矛盾しているし、少なくとも非科学的な行動ではありますね。初等医学教育ではこういう因習的ではあるが効果の不定な治療法は、しないようにと教えられますし、僕も若い頃はそうした教えを墨守して、外来で点滴をしろしないの押し問答をしたこともあります。

 こういう「効かない」点滴をするような医者は、患者のいいなりに処方する駄目な医者か、金儲け主義の医者であるというイメージがある。「医学」という面からみると確かにそうです。

 病院に苦労してやって来たという「前払いされた努力」に対しては、何らかの報酬が必要です。報いるものが無いという現実には人は耐えられない。故に、その苦労に対する何らかの代価として、風邪薬というイコンが必要になるのです。

 点滴というのはこうした報酬のイコンとしては、より適当なものです。風邪薬など、ドラッグストアで買えます。(薬の剤形としての見た目から言えば、市販の薬の方が、彩色などの面で、よりアトラクティブです)。

 僕は今風邪をひいているしんどそうなあなたには、

「点滴は風邪に効きません」なんて言いません。

ですが、今風邪をひいていないあなたには言います。

 風邪に点滴は効きません。

 世代が近いこともあり、外来での押し問答など、同じような思いを経験したことが伺えます。そして、現時点での外来での対応や、基本的考え方も概ね同じです。
 さて、インフルエンザという病気も、基本的には水分を摂って寝ていれば治ります。かつて診断キットなんてなかったし、臨床症状からインフルエンザを診断しても、そもそも抗ウイルス剤(タミフルなど)なんて無かったから、根本的な治療方法もありませんでした。
 ですから、冒頭に述べたようなリスクの観点から言えば、明らかに体力が衰えているような人を除いて、インフルエンザに薬は不要とも言えます。解熱剤についても、ごく一部の例を除いて、必要とは言えませんし、むしろ害になる場合も多いのです。
 しかし、いわゆる風邪に対する総合感冒薬よりは、インフルエンザに対するタミフルの方が、確たる薬効があり、きちんとした治療になることは確かです。ある医者は、「現に効く薬があるのだから、使わない理由は無い」という表現をしていました。
 世界に流通するタミフルのほとんどを日本で使用しているといった問題などは当然意識した上で、インフルエンザに対してタミフルを使おうというのは、風邪に点滴をすることよりは賢い選択と言える部分もあるでしょうし、完全否定はできません。
 id:natsuki821さんは、患者さんへの説明のため、以下のような文書を用意したそうです。
http://d.hatena.ne.jp/natsuki821/20070228

★☆インフルエンザが疑われる患者さんへ☆★

インフルエンザ治療薬(いくつかありますがここではタミフルに統一します)タミフルについて、重大な副作用が起こる可能性が一部で提起されています。

知っていただきたいことを簡単にまとめましたので、お読み下さい。)

一日でも症状を軽くしたい場合は、タミフルを希望されることが多いのですが、「インフルエンザ陽性ならタミフルを使う」とすぐに考えるのは問題もあります。以下のことを読んでいただいた上でタミフルを希望される場合は処方させていただきます。

【一般的なインフルエンザの治療の概念】

健康な生活をされている方に積極的にタミフルを使うことは、推奨されていません。本来インフルエンザは予後がよく、休養をとり、症状に応じた治療だけで治る病気だからです。稀にインフルエンザ脳症がおこる可能性はありますが、薬で予防はできません。本来インフルエンザでは、安静と栄養が治療の基本です。

【インフルエンザ治療薬〜タミフルについて】

日本はタミフルなどの抗インフルエンザ薬を世界で最も使用している国で、タミフルの使用量は全世界の75%をも占めています。

タミフルに期待される効果

1)A型、B型のインフルエンザに効果があり、その症状回復を早める可能性があります。

2)流行時に周囲の未発症の方が服用すれば発病を防ぐ、予防効果があります。

実際のタミフルの効果と副作用の疑い

まだ発売されてからの年数が少ないため、タミフルが肺炎等など合併症を少なくする、インフルエンザ脳症が予防できるなどの効果は証明されていません。

副作用の疑いについて〜最近、報道されていること

タミフルを処方されていた患者さんの中で10数人の死亡が国内で認められていますが、その間に何千万というタミフルが処方されており、死亡との因果関係は全く不明です。

これまで、多数タミフルを処方してきましたが、個人的には副作用は経験していません。(個人的な考えですが、報道された患者さんは、タミフルの副作用というより、発熱による脳症、幻覚症状などが起こったのではないかと推測しています。)

タミフルで幻覚がおこるという証明もされていない反面、全くタミフルと関係ないという証明もできていません。

以上、簡単にタミフルについて注意点を書きました。

 僕もタミフルに対して、ほぼ同じような考えを持っています。しかし、今の僕は、id:natsuki821さんよりはかなり安易に薬を処方しているような気がしています。
 医者がある程度自分の指針を示すことは重要ですが、インフルエンザのような、「効く薬はあるけれど、のまなくても治ることも多い」ような病気に対しては、正確な情報提供の上、患者さんに選択して頂く必要があります。しかし、実際には、外来で出す薬一つ一つについて、その都度詳細な説明をすることはほぼ不可能であり、ごく稀に起きうる副作用まで含めて全て説明するということは現実的ではありません。
 かつては、ある治療に対して、それがほとんどにおいて安全に出来る手技である場合に、あまり重篤な合併症の可能性を話すことは、単に医者の責任逃れだとして、医者の中でも嫌う人が多数派でした。その一方で、ごく稀な副作用や合併症が起きた際に、「そんな説明は受けていない」ということでトラブルが起き、場合によっては警察や裁判所が動くということが珍しくなくなってきました。
 また、医者として「妥当」と考える治療でも、その結果が悪かった時に、医者の技量にはよらないような、予見の難しい副作用まで含めて「医療ミス」とされたり、再三説明したり、同意書に記載してもなお、「その重大性について十分に説明されていなかった」とされたり、医療側からみれば、あんまりなバッシングが続いています。
 情報提供を突き詰めれば、全ての処方には、製薬会社の添付文書をつけて渡し、手術の際には分厚い説明書を渡すということになるのですが、結局、それは素人には理解できない範囲に及ぶわけです。
 確かに、そもそも「放っておけば治る」病気に処方された薬で、重大な副作用に見舞われたり、命を失うようなことがあれば、納得いかないものがあるのは理解できます。その処方や治療の選択に関わった医者は、それが招いた不幸な結果に関しては、当然ひどく心を痛めますし、残念であると考えます。しかし、その結果論としての不幸は、世間が考えているような「ミス」では無いのです。明らかな誤投薬とか、明らかな執刀ミスということでないかぎり、予測し難い不幸な転帰に関して、「ミスを認めよ、反省せよ」と言われても、どうにもできないということが、なかなか世間に理解されません。
 さて、そもそも、昨今報道されているような、死亡例を含む「異常行動」は、本当に、タミフルのせいなのでしょうか。当初、厚生労働省は、その因果関係を疑問視し、「関係があるとは言い切れない」という立場をとり続けました。ある数例をとりあげて、すぐにその因果関係を結びつけるのは、「あるある」などの似非科学と大差ないわけで、科学的には概ね真っ当だと思います。ただ、厚生労働省の主任研究者へ、タミフル販売元から寄付金が支払われていたなど、それが報告結果に影響がない(と信じたい)とは言え、国民に疑問を抱かせるようなお粗末な背景は情けないところです。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/43095/

 インフルエンザ治療薬「タミフル」の服用と異常行動の関連を調査している厚生労働省研究班の主任研究者である横浜市立大学の横田俊平教授(小児科)の講座に、タミフルの輸入販売元の中外製薬(東京)から、奨学寄付金として、平成18年度までの6年間に1000万円が支払われていたことが13日、分かった。

 そうしたお粗末な背景や、いつものようなマスコミのバッシング攻勢によってかよらずか、厚生労働省は、20日深夜になって、急に「10代原則処方禁止」の見解を発表しました。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20070322ik04.htm

タミフル問題の経過
2001年2月 国内で販売が始まる
2003年1月 インフルエンザ流行で品不足に
2004年6月 服用者に意識障害が出たため、厚労省が輸入販売元の中外製薬に副作用の可能性を明記するよう指示
8月 厚労省が5年間で1000万人分を国家備蓄する方針を表明
2005年11月 服用後の異常行動で男子2人が事故死していたことが日本小児感染症学会で報告
11月 服用した日本人の子供12人が死亡していたと米食品医薬品局(FDA)が報告
2006年2月 05年度補正予算に740万人分の備蓄が盛り込まれる
7月 薬害タミフル脳症被害者の会が名古屋市で結成
10月 厚労省の研究班が「異常行動に関連性があるとは言えない」との結果をまとめる
11月 米FDAが「服用と異常の因果関係は否定できない」との内部資料を公表
2007年2月 服用後に男子中学生が仙台市内のマンション11階から転落死。厚労省が注意呼びかけ
3月 厚労省が10代への使用中止を求める緊急安全性情報を出すよう中外製薬に指示

 単に異常行動例というだけでは、10歳未満でも、20歳以上でも起こりうるのに、なぜこうした不思議な区切り方をするのかなど、疑問の多い通達です。尤も、タミフル服用後の異常行動が報道された後、外来でタミフルを処方するときは、副作用の可能性についても一言添えた上で、本人もしくは保護者に選択してもらっていました。10代には処方するな、という通達は、現場としては楽は楽です。「出せません」と言えばいいのですから。それが正しい医療なのかどうかは別として。
 また、少なくない医者は、そもそも、タミフル云々以前より、高熱によると思われる異常行動は経験しているか、経験した医者から話をきいているのです。ですから、タミフルの報道の際も、多くは冷静にニュースをきいていました。もちろん、タミフルとの因果関係が完全に否定されたわけではありませんが、絶対にタミフルのせいと考えるのは乱暴すぎます。
 以下は、小児科医の多数参加する、あるメーリングリストで話題になった、インフルエンザによると思われる異常行動例をまとめたものです。「井戸端会議のレベルの情報収集ですから、数年前のものも含む雑多な症例」と断られていますが、タミフルの内服の有無によらない異常行動例が集められており、参考になると思います。
http://www.k-net.org/temporary/flu/pub.htm
 そもそも、「タミフルをのんで飛び降りた」とされる方々は、タミフルをのまなかったら飛び降りなかったのか。今後、タミフルを処方することで、早期に熱や症状を抑え、「タミフルをのまないことによる異常行動」を押さえることができるという可能性はどうなのでしょうか。もし、医者が薬を処方しないことによって異常行動がみられれば、今度はそれが問題にされうると思います。
 我々は、かなり以前から、そもそも日本で処方されるタミフルの量は異常に多く、その他の軽微な疾患でも、とにかく薬を欲しがる傾向にあるという認識を持っていました。そして、前半に述べたように、時には患者さんとその処方の必要性について押し問答をすることもありました。ですから、「医師の安易な処方がそもそもの問題の発端」という批判は受け入れがたいものです。少なくとも、インフルエンザ以外の病気では、今後も患者さんは薬や注射を希望し、「全部調べてください」と言い続けるでしょう。フリーアクセス、応召義務、後出しジャンケン的医療訴訟が続く限り、「医療費削減」などあり得ないことなのです。

 追記。マスコミが煽るタミフル処方について、4年前に書いたあれこれ。マスコミが「特効薬タミフル」と大煽りしたせいで、インフルエンザではないと思われる発熱患者まで、こぞって救急外来で「タミフル処方しろ!」と叫んだ最初のシーズンの思い出です。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20050122