「理想の最期」-0502-

 人一人見送るというのは、とても大変だねえ。昨年の秋、祖父の葬儀に際して、ずっとそうつぶやいていた祖母が、今度は見送られる側になりました。今年79歳になった祖母もまた、僕が今まで診てきた患者さんと同じように、自らの体の不調に気付きながら、それを誰にも言わなかったのでした。

 祖母は、近所の顔見知りの開業医のところへ行くのにも良い顔をせず、「私はもう、このまま死ぬからいいんだ」といったのです。ただ、「孫が医者になったというのに、その孫に診てもらえないなんていうことは哀しいことだ」と、彼女は呟いたのだと言います。それはあくまで、僕が勤務する病院で、僕の外来で診察をするということが重要なようでした。自分の所属する外科の外来を一部屋貸して貰うようにお願いして、集中治療室での仕事の合間に少し時間を貰い、はるばる2時間以上もかけてやってきた祖母の診察をしたのでした。

 触診ですでに進行大腸癌を疑うその状態に、僕はとにかく、地元の病院への入院加療を説得したのでした。結局は、その後、腫瘍熱や痛みも出現し、準緊急で手術施行となりました。根治術は施せず、ただ、元気のあるうちになんとか退院させてもらい、自宅で、好きなときに好きなものだけ口に入れ、毎日多くのお見舞いをしてもらい、家族親類の24時間体制の看護の中、先日、安らかに息をひきとりました。

 交通事故とか、脳卒中、心疾患などは、突然命を奪うことが多く、本人も家族も、医療側も、その死を受け入れる準備というものができないことが多いです。それに対して、僕が専門にする癌による死というものは、死期を悟ってから、数ヶ月の準備期間を周囲に与え、理想的な告知や治療、サポート体制を敷くことができたなら、老衰に次ぐ理想的な死かもしれないと思うのです。

 祖父の時も、今回の祖母に関しても、もちろんその死というものは哀しいものなのだけれど、おおむね老衰に近いような形で死ぬことができたというのは幸せなことかも知れません。僕を含めて、残された家族や親類も、ある程度、気持ちの上でその死を受け入れる状態を、その死に先駆けてつくっておくことができるので、安らかな死を、安らかな瞳でみつめていることができるのです。

 痛みだけはとってもらおう、というのが、今回の祖母の終末期医療に対して定められた基準で、幸いなことに、普段疎遠なくせに、こういうときだけしゃしゃり出てきて「出来るだけのことはしてください!」なんて叫んで、無駄な点滴や、検査や処置を求めるような親類縁者はいなかったので、最期の時を、みんなで安らかに迎えるものを邪魔するものはありませんでした。

 人は老いれば、食事をとることができなくなったり、その他正常な生理現象がおきなくなって、目を閉じて息をするのをやめるわけです。例えば、突然の心停止とか、呼吸停止に際して、心臓マッサージをしたり、気管内挿管をして、どうにか一命を取り留めるのと、明らかに死の時を迎えた人間に、そういった救命処置を行うのは全く意味が異なります。正直、後者のそれは、事実上、「死体を痛めつけているだけ」なので、僕らはそうした行為をしたくないのですが、なかには、家族のたっての希望で、ということもあります。「死に目に会えた」という満足感のために、ある程度の家族がそろうまで、回復の見込みのない心臓を後押しして、家族到着後のある時点で死亡確認する、という程度ならば、精神的なケアという意味では、なんらかの意味をなすのかも知れません。それを超える処置については、もはや死体損壊にしか思えないです。

 中には、「先生も家族がこういう状態になれば、必死に呼吸器つけたり、心臓マッサージしたりするでしょう?」と食い掛かってくる人もいますが、僕は家族にそんなことはしないと思います。今回の祖母の場合、最期の数週間、栄養学的には、必要量をまったく満たしていない状態においても、本人の負担になるような、点滴とか高カロリー食といった方法はとりませんでした。そんな中、ベッドの上で「三越の鮭缶が食べたい」だの「上等の蜜豆が食べたい」だの言い、結果としてほんの少し口に含むだけだったとしても、それは、点滴よりもずっと素晴らしい行為だったと思うのです。

 もちろん、終末期医療というのは人それぞれで、中には、「いつ具合が悪くなるか心配で心配で家になんていられない」とか、「それが仮に意味のない点滴だったとしても、なにかしらの治療を受けていたい。なにもされないのは、見放されたようで嫌だ。私は、最期まで病気と闘って死にたい」とかいう人もいて、そういう人にとっては、入院して点滴をして、毎朝採血したりする中で亡くなるのが、望ましい最期なのでしょう。

 かつては、とにかく延命、病気と闘い続けるというのが唯一の医療の正義でした。最近は、個人の意志が尊重され、QOL(生活の質)などが論じられ、「人間らしい生活」を求め、原疾患の治療にはならないものの、痛みや苦痛を除去し、酒でもタバコでもやりたいことをやるということの大切さが強調されてきました。でも、後者も唯一の答えじゃないのです。なんでも唯一絶対と思いこんでしまうと、やっかいなことになります。

 僕が一人の大人として、身内を見送ったのはたかだか二人だけのことで、医者になって3年目にして、他人様の最期には、その数十倍かかわってきたのです。僕の中では、記憶を呼び起こすのが大変なシーンでも、その場のいた患者さんや家族にとっては、人生で一度きりの大きな事件で、命に関わる重大な一言を告げる人間として、僕を目にしているわけです。それはあたりまえのことなのだけれど、いまひとつ、実感できずにいることでもあって、身内の死とか、そういうときに、ようやくその意味を考えてみるのです。