転んで擦りむいたら病院?

 ずっと疑問だったんですよ。

 少なくとも僕は、転んで擦りむいたりとか、ちょっと手を切ったりとか、その程度で病院に行くって発想がなかったのです。ぱっくり切れて縫わなければならなそうであるとか、骨折が心配だとか、頭を強く打って気分が悪くて手足がしびれるとか、眼がみえないとか、そんなんでもなければ、基本的には自分でなんとかしていました。多分、僕のまわりもだいたいそんな感じだったと思います。ちょっとしたケガで大騒ぎしていれば、親に「それくらいで大騒ぎするな、バカ」って言われて怒られたものです。

 この感覚自体が特殊なんでしょうか? どうなんでしょう?

 当直していると、何をしに来たのかわからない人ってのがたくさんやって来ます。当直時間帯にやって来る人の中の割合として、明らかに縫わなくてはいけない傷とか、骨折が疑われるとか、病院で積極的検査や治療を必要とする人って、結構少ない印象があります。

 ちょっとぶつけたから痛いとか、ちょっとヤケドしたとかで、他覚的にはほとんどわかんないような訴えで真夜中の外来を受診する人々。レントゲンが必要なわけでもないし、傷もないので処置もいらないような人がやって来ても、結局は湿布や氷で冷やす以上のことはいらなくて、じゃあ湿布を出しましょうかというと、それは家にあるからいいという人も多いのです。これはやっぱり、社会がコンビニ化しているから、そこに病院があるから、ってことなのでしょうか。単に安心をもらいにくるために? まあ、それも医者の役割だと言われたらそれまでですが、そのために大量のマンパワーを投入するのは現実的ではありません。

 僕が小学生の時、鉄棒にぶらさがって回転しようとしていて、顔から落ちてケガをしたときも、それなりにたくさん擦りむいたし、おそらく頭も少しは打ったのだけれど、保健室で「バカだねー」なんて言われながら絆創膏はってもらっておしまいだったけれど、今それをやると保護者が学校に怒鳴り込むのでしょう。何かあったらどうするのか、と。それで学校でおきたケガなどは、ほんとどうでもいいような擦り傷まで、結構病院へやって来ます。担任の先生同伴で元気に歩いてやってくる生徒の擦り傷にガーゼを当てるのです。ほとんど必要ないと思われるレントゲン写真を要求されることも多いです。転ぶたびにこんなことをするくらいなら、もう学校で体育の授業なんてできないし、休み時間に外で遊ぶのも禁止すればいいじゃないかと思ってしまいます。ほんとバカな話だと思うのです。

 それよりもっと小さな子で、自分の意志表示が明確にできないような場合、両親が大騒ぎして病院につれてきます。それこそやっとわかるような擦り傷や切り傷、赤みすらわからない程度のヤケド、一度ちょっと何かを吐いたという元気な子。みな一様に、心配だし、何かあったらどうするんだ、というのです。

 責任転嫁で、医者という体の専門家に「大丈夫」と言ってもらいたい、というのが見え見えであり、万が一悪い方向へ事態が転ぼうものなら、その「大丈夫」と言った医者のせいにするという傾向があります。特に都市部ほどその傾向が強いようです。学校の先生は、保護者にその責任を負わされたくないから、医者へ運ぶのです。両親は、自分たちのせいだと思いたくないから、夜中でも休日でも医者へ運びます。

 あくまで救急外来にやって来る人だけをみている限り、彼らは本当に「考える」とか「待つ」ということをしません。突き指に湿布して少し様子をみたけど、だんだん腫れてきたので骨折ではないのか、とか、ヤケドを冷やして1日みたけど、水ぶくれになって皮膚がむけたとか、それくらいの観察は誰でもできると思うし、そこまで医者の仕事にしなくていいと思うのです。

 医者は医者で、責任を運ばれているだけだということがわかっているから、明らかに問題がないと思っても「絶対大丈夫です」とはまず言いません。天気予報の100%晴れ、と同様、「絶対大丈夫」とは言っても、ごくわずかの可能性として、何か悪い方向へ病状が進展することはもちろんありえます。かつては、こういうことも含めて医者も患者も理解していて、その上に信頼関係を築いており、だからこそ、医者も安心して「大丈夫だ」と言えたのだろ思います。今は、下手なことを言うと、「大丈夫だ」と言ったのに悪化したから医療ミスだ、と言われるのです。

 数式のように確実な答えが出るものではなく、診断の判断や、治療の効果というのは、明確にできない部分も多い。単に機械的な検査結果だけで全てわかるのならば、医者なんて必要なくて、検査を解析する機械をおけばいいだけの話だけれど、そうはいかないのは、まだまだ経験に基づいた「さじ加減」というようなものが存在するからだし、同じような病態の人に同じような治療をしても、その効果の出方には差が出るものです。同じ塾で同じ授業を受けさせても、同じ距離を毎日同じように走らせても、みなその効果はバラバラだし、それは当たり前だと思うのです。

 かつては、医療がもう少し不確実だったというのもあると思います。今はおおむね安全で確実な医療行為が確立してきました。そのせいで、その高い安全性からはずれてしまった人が、それをミスだと判断しはじめたのではないでしょうか。

 正直、「困っている人を助けてあげたい」と思いながらも、実際は「やっかいごとにまきこまれないように」ということを考えながら当直業務にあたることにあるのは、非常につまらないのです。お互いに不利益だと思います。当直するたびに心がすさんでいくような気がして、自己嫌悪に陥っていくのです。