戦うときに大切なこと

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戦うときに一番大事なのは、相手の面子をおもんじることだ。

勝つことに力を尽くすのはもちろん大切なのだけれど、それよりも「相手が負けやすい環境」を作ることに力を入れる。解決はそれだけ早まる。

全面戦争の末の勝利は気分がいいけれど、致命的な禍根を残す。

味方というのは一時のものだけれど、敵は一生のものだ。

負けた者の面子というのは、しばしば命よりも重い。

警察 vs 医者という側面から見た今回の事件。どう考えても医療者側には非はない(民事はともかく、刑事ではないと思う)けれど、医療者側が勝ったら警察の面子は潰れる。

復讐はなされなくてはならない。相手の「象徴」となった人物をつけまわして、何かの罪を探す。痴漢とか、万引などの軽犯罪なら最高だ。ネガティブキャンペーンの効果は、こうした恥ずかしい犯罪の法が効果的。

疑い病名さえ付ければなんだってありなのは、医療の業界だけではない。医者が病名をつけるプロならば、警察だって罪名をつけるプロだ。なんだってあり。少なくとも自分が警察のえらい人なら、迷わずそうする。

闘争の規模がどんどん大きくなっている現状。「建前」の部分だけ見ると、「勝つ」努力は見えていても、「負けやすくする」努力は見えない。

大切なのは水面下
この闘争で大切なのは、医療従事者の司法独立性を勝ち取ることとか、疲弊しきった地域医療の体制の不備を国民に訴えるとかじゃなくて、警察に連行された産科の先生に、一刻も早く日常臨床に復帰してもらうことだ。

できることなら、以前よりも少しだけいい条件で。

警察の思惑はなんだったのだろうか?

一人の逮捕を通じて、医者全体に警告をしたかったのか。それとも、告発者家族に、誰か謝るべき相手が他にいるのか。

警察だって、人が動かす組織だ。誰かに何らかの意図があるから、法律を解釈して、組織が動く。

表に出てくる話だけでは、意図というのは絶対に分からない。

医療従事者の目的が、全面戦争じゃなくて当事者の先生の日常の回復(ですよね?)にあるのと同様、警察サイドにも「被告を刑事告発する」以外の意図は、当然あるはずだ。

 いつもながらはっとさせられるテキストです。全面対決というのは、確かに当事者をとても苦しめる結果にも繋がるし、現実問題としては、正しいとか正しくないとかいうことだけで決着をはかるのではなく。何らかの落としどころを探すというのは非常に大切なことだと思います。
 しかし、起訴されてしまった時点で、この落としどころを探すのが非常に難しくなってしまったことは事実です。そして、みんなが不幸になる全面対決を避けようとするために、医師たちが、今まで呑み込み続けてきた不満を一気に爆発させてしまっています。こういう闘い方は、医療者の多くは、決して望んではいなかったのだと思うのですけれど。