みんな腐っていくぜ!

 昨日は大学時代に所属していた部活動の「卒業生を送る会」でした。出席したOB・OG全員が祝辞を述べる時間を与えられるのですが、ここしばらく、僕の心の中は「大野病院事件」で一杯でしたので、おおむね次のような言葉を述べさせてもらいました。
「みなさんには、是非、今の気持ち、純粋に医療に邁進していこうという気持ちを大切にして頂きたいと思います。ただ、昨今の情勢をみていると、性善説だけではうまくいかない、おかしな社会になっていることも確かです。極端に保身に走って、自分の理想とする医療が行えないのでは本末転倒ですが、是非、アンテナを高くして、いろいろな状況を知って、必要な防衛はして頂きたいと思います。これは、みなさんや私が、医療界の中心になっているであろう10年後、20年後に、医療システムが崩壊してしまっているというような悲惨なことを避けるためには必要かと思います。もちろん、医療行為を行うためにということではなく、我々が患者になったときに、きちんとした医療を受けるためにも必要なことです。おめでたい席で、出鼻をくじくようなことを申し上げるのは少々ためらわれましたが、善意だけで突っ走っても必ずしも報われるわけではなく、場合によっては不当な扱いを受けるという、おかしなことがおきている医療界へ飛び込んでいくみなさんには、心に留めておいて頂きたいと思い、お話ししました」
全体に向けての言葉では、直接的に事件には触れなかったので、論点がなんだったのか、わかりにくかったとは思います。その後、個人的に会話する中で、少しこの話題に触れたりもしました。
 同様に祝辞を述べたOBの中で、ある研修医は「去年、この場所で見送られるとき、期待が2割、不安が8割だったけれど、実際に働いてみたら、良いことが2割、嫌なことが8割くらいでだいたい予想通りでした。でも、人間、良いことが少しでもあれば頑張れるもので、みなさんも、部活動を通して築いた良い人間関係や、良い思い出を大切に、これからの生活を頑張ってください」と、前向きなんだか後ろ向きなんだかわからない発言をしていました。
 でも、医者ってだいたいこんなもんかも知れないな、と思い返してみました。普通の社会人が特に疑問も感じずに、毎週土日の休みを貰っている中、自分の体調をおしてまで当直病院にでかけ、場合によっては自分より軽症の患者を診たりして、月に1回くらい完全フリーの休日なんてもらった日には、「こんなに幸せなことがあっていいんだろうか」なんて思ったりするんです。病棟で患者を受け持っていたりすると、そもそも「休んでいいよ」と言われてもなんとなく罪悪感があって、遊びに出かけても、病棟のことが気になって仕方がなかったりするものです。日本の医者の多くは、こういうことを美徳として頑張ってきました。いつしか、そんな自己犠牲が当然のことのように思いこまれてしまっていました。
 僕は、今回の事件以前より、医者の労働のおかしさについて愚痴ばかり吐いてきました。そもそもペーペーの分際で、休みが欲しいとか、仕事が辛いとかいうことを嫌う先輩医師も多くいますし、コンビニ化した救急外来に苦言を呈するのを「医療不信が進むから、そういうのを一般の人に言うのはやめろ」と諫められることもありました。じっと耐えた結果が逮捕だと分かった今、そうして耐える美徳を守ってきた医者たちも、とうとう怒りだしているわけですが。
 さて、ある後輩小児科医に、先述の研修医の発言を受け「辛いの何割?」と尋ねたら、「私は10割です」と答えていました。この小児科医は、僕の知る限り、僕の数倍忍耐強く、患者に優しく、理不尽な状況にもにこやかに応じ続けていた良くできた人間なのですが、その彼女に「辛いこと10割」と言わせてしまう現状。彼女の病院では、大野病院事件が医局会でもとりあげられて話題になっていたそうですが、やはり、そのニュースで相当働く気力を失ったと言っていました。普段激しい言動のない彼女をして「懸命に医療の前線に働いている者に対する侮蔑だ」と言わしめるのです。