サイト10周年

 僕がウェブサイトを開設して10周年を迎えました。「なかのひと」の解析を信じると、20歳と30歳に二峰性のピークがあり、十代の方のアクセスも頂いているようです。十代の方々が物心ついた頃に僕のサイトが開設されたわけで、そう考えると結構長いことやってるんだなあと感慨深いです。決して毎日更新しているわけではないので、全体的なテキストの量としては、毎日きちんと更新する方の1〜2年分にも満たないとは思いますが。ちなみに男女比は92:8だそうです。
「なかのひと」 http://nakanohito.jp/


http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060704#p1
 8周年の時に、ネット歴を振り返ったことがあったのですが、10年という区切りの良い今年、改めて振り返ってみます。ほぼ再録です。僕にとって、インターネットは初めての通信網ではなくて、それ以前に「パソコン通信」というものを多少やっていました。もともとは、MSX専用のリンクスというパソコン通信サービスに加入しようと考えたのですが、これは結局体験しないままサービスが終了してしまいました。インターネット早期にYahoo!がモデムをばらまいたように、リンクスにもモデムをなかばばらまいていたような時期があって、僕もそのモデムは入手したものの、自宅の電話回線が、ホームテレホンという内線形式をとっていたため、工事しないとモジュラージャックを認識しないという状況だったため、面倒でそのままになってしまたのでした。モデムとMSX2の実機はまだ実家においてあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/MSX
 その後しばらくして、回線工事の段取りをして、PC-9801DA2に2400bpsの外付けモデム、WTERMというフリーソフトという環境で、草の根ネットに接続したのが、確か高校生くらいのことだったと思います。会費の必要な商業ネットは利用していませんでしたが、NIFTY SERVEPC-VAN、ASCII-NETといった大手のネットの存在や、だいたいの雰囲気は、雑誌などを通して知ってはいました。インターネット時代になってなお、パソコン通信サービスとしてNIFTY SERVEを続けていた@Niftyも、とうとう2006年3月31日をもってそのサービスを終了しています。NIFTY SERVE自体を使っていたわけではないくせに、妙に感慨深かったのを覚えています。
 さて、電話代や、家庭の回線を話し中にしてしまうことを気にしながら、草の根ネットをちょくちょくのぞくような生活をしているうちに、パソコン雑誌などに「インターネット」の話題が掲載されはじめ、それに非常に興味を持ったのが高校3年生くらいの頃です。
 当時、個人がインターネットを利用するというのは一般的ではなく、ちょうど僕が高校3年生という1994年にベッコアメ・インターネットが低価格サービスを開始した後くらいから、徐々に個人利用者が増えていくという時代でした。かつて、インターネットといえば専用線での利用が中心で、利用者の大半は企業や大学などに所属する研究者たちでした。大学に進んだ際、研究室から個人アカウントを発行してもらい、ネットを利用するというのが現実的なネットの利用方法でした。IIJがダイヤルアップ接続を提供していたものの、初期費用が3万円、接続料は1分30円の完全従量制で、普通の若者には高額すぎる設定でした。
 1994年6月、当時としては破格である、年額わずか2万円という定額制のインターネットサービス「ベッコアメ」を開始、同年12月には株式会社ベッコアメ・インターネットが設立されました。これはあくまでもインターネットの利用料であり、通話料はもちろん別です。僕にとっては、ベッコアメも高額でしたので、当初は、大学でメールアドレスをもらい、大学にある数少ないネット接続パソコンをつかって初めてウェブを閲覧するというのが、インターネットとの出会いでした。1995年のことです。
 その後、当時所有していた貧弱なDOS/VマシンにかろうじてWindows 3.1を走らせ、ネットスケープの前身である、モザイクというブラウザを使ってネット接続をはじめました。当時大量に存在した、地域密着型格安プロバイダを利用していました。ダイヤルアップが中心でしたので、アクセスポイントが市内に存在するというのが重要なポイントでした。これが、確か1997年頃のことです。僕が初めて携帯電話を持ったのもこの頃です。それぞれ少し安くなりはじめて時期で、バイト代でなんとか捻出できる価格までようやく落ちてきたのです。
 1997年12月に、初めてのウェブサイトをジオシティーズに開設。これは個人サイトではなく所属する部活のサイトでした。自宅のパソコンからではうまくアップロードできず、先輩の家でタグを手打ちして、文字しかないサイトをやっつけで立ち上げたのでした。その後、壁紙、バナー、マーキータグ、BGM、Javaスクリプト、アニメーションGIFなど、多くのサイト初心者が通る道を、同じように歩んできました。ちなみに、僕の使っていたモザイクでは、フレームはおろか、アニメーションGIFにも対応していないという段階であり、動的なサイトへ進むのには非常に時間がかかりました。アニメーションしないにせよ、なんとかみることのできるGIFに比べ、フレームは本当に鬱陶しく、いまだに嫌悪感があります。モザイク時代の思いからか、低いスペックでも閲覧できるウェブをより好んでいます。今ではもちろんフラッシュも動画ストリーミングも楽しんではいますが、携帯とかPDAでのネット利用が増えるのに伴い、低スペックに優しいウェブは相変わらず大好きです。
 翌年、初めてのサイトのノウハウを生かし、別の部活のサイトをつくり、そこでメールボムという洗礼を受けました。また、今よりはネット人口が非常に少なかったものの、それでも、おかしなメールをもらったり、掲示板・チャットを荒らされたり、個人情報の公開について揉めたりと、いろんなことを学びました。それ以前の、パソコン通信時代にも、古参のユーザから厳しい指導を頂いたりしていたので、そういう意味では、今の総ネット時代において、身を守る術を自然に身につけてきているとは思います。かつて、ネットをはじめるためには相当なハードルがあり、それなりの知識がないとはじめられなかったり、その過程で、ネットの利用の仕方や、ネットというのがそもそもどういうものかということを、時には嫌な思いをしながら、自然に身につけていくことになったのですが、現在は、あまりにも無防備に、知識なく、ネットへ飛び込んでくる人が多いように思います。まあ、今までも散々言われてきていることですが。まあ、ネット上のトラブルが増えるのは当然です。2つのサイトは、後輩に引き継いでいますので、トラブルはあったものの、潰してしまったサイトは今のところはありません。
 さて、プロバイダをより安いものに切り替えた際に、現在のサイトを立ち上げました。1998.7.2.のことです。実のところ、入り口だけつくって、2ヶ月くらいほぼ放置していたのですが、開設は開設です。実質最初のコンテンツは、9.17.に設置した誰も使わない掲示板とチャット、リンク集でした。その後、9.19.に現在のテキストの源流となる「お医者のタマゴクラブ」を掲載したのが、外部に何かを発信した最初です。当時掲載していた「お医者のタマゴクラブ」は、基礎医学編であり、現在はサイトには載せてありません。このテキスト自体のおおもとは、1995〜6年頃に書いて、とある同人誌に掲載していたものです。
http://homepage1.nifty.com/zaw/z/
 1998.09.25.に日記を開始。「ザウエル・スターダスト・ワールド」というサイトの名前も恥ずかしいですが、「お医者のタマゴ日記」という日記の名前も、今思えば相当恥ずかしいです。まあ、今は過去ログを消してしまいましたし、更新が滞ることもたびたびでしたが、現在続いているウェブ日記としてはそれなりに古い部類に入るのではないかと思います。恥ずかしいながらも、まあなんとか人の目に触れることに耐えうるのではないかというものをサルベージしてはてなに移行しています。
「最古のウェブ日記http://worris.blog61.fc2.com/blog-entry-17.html
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20070624#p1
 1998.11.04.に日記猿人(現在の日記才人)に登録。ネットを通して交流を広げた原点がこのあたりにあったのですが、昨年7月に閉鎖されてしまいました。日記猿人で更新報告していた頃が、僕にとってもっともインターネットが楽しい時期でした。
http://homepage1.nifty.com/zaw/z/eggd.html
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20070829#p1
 1999.5.5.に日記を現在の「日刊タマゴクラブ」に改称。2007.8.29.まで597の日記を書いて更新を終了しました。
http://homepage1.nifty.com/zaw/i/
 1999.09.01.にiモード用サイトを作成。今でこそ、軽めにつくったPC用サイトを普通に閲覧できますが、当時はiモードの制約は非常に大きかったのです。当時はまだ、携帯専用サイトが珍しかったので、PC用サイトが一日100アクセスくらいの時代に、携帯サイトに数百アクセスもあったり、様々な携帯サイト本にとりあげられたりもしました。ちなみに、メールも含めて連絡をくれた出版社は皆無でした。
 1999.10.01.心の中でうすうす感じていた恥ずかしいサイトの名前を改称。「ザウエリズム」ってのも恥ずかしくないかといえば何とも言えませんが、以前よりマシかと思っています。
http://www.spacehorn.com/text/
 1999.12.12.にテキスト庵に参加。履歴をみる限り、テキスト庵開設の日に登録しているようです。管理されている方の日記を、日記猿人を通してよく読んでいたのです。
http://www.readmej.com/
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20080304#p1
 現在、「愛・蔵太」というハンドルでネット上に様々なテキストを書いている方が、当時、ReadMe!に新規登録するテキストをすべてレビューしていました。そのレビューが目的で、1999.01.20.にReadMe!に参加し、5段階評価で、「3」を頂きました。そのReadMe!も、本年2/29に完全終了していた模様です。
http://homepage1.nifty.com/zaw/z/mail.html
 2000.11.06.卒試の最中にメールマガジン「お医者のタマゴクラブ」創刊。日記のログを元に、ポリクリ(臨床実習)話中心に再構成しました。その後、まだギリギリ学生だった2001.02.18.に冊子化告知。出版されたのは、2003.8.のことでしたが、テキストはほぼ学生時代に書いたものです。今ではあの頃の感覚を失っているので、同じことはもう書けません。メルマガは現在まで99号まで発行していますが、最近は相当に更新が滞っています。

お医者のタマゴクラブ

お医者のタマゴクラブ

 2004.05.01.にはてなダイアリーをはじめ、徐々にこちらが更新の中心になって今に至ります。以上、「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」には載っていないネット自分史でした。前述のように、僕にとってインターネットが一番面白かった時代は終わってしまったように感じているのですが、今や面白いか否かに関係なく、ネットのない生活が考えられなくなっているのもまた事実です。細々と更新はしていくと思うので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

 6周年のときは「テーマ日記」という企画をやったのですが、今回も何かやりたいなとは思っています。もし何かあったらコメントもしくはメールでも頂ければ幸いです。