はてなダイアリー

 お久しぶりです。一時的に日記書こうかな、と思ってもすぐ放置状態になってしまいますね。そもそも最近は自分で書く以前に人様の日記を読みに行くこともあんまり無くなっちゃいました。ネット環境がそんなによろしくない国にいる、というのは理由の一つといえば一つですが、そもそも国外に出る前のある時期からあんまりネット巡回しなくなったような気がします。同じような時期にネットで何か書いていた人たちの中で、ごく一部は今もなお「ブログ」を書き続けていたりもしますけど、少なくない人たちが僕と同じような時期になんとなくあんまり日記を書かなくなって、自然勝手に感じていた緩い繋がりの中で相互にサイトを訪問しあっていたような習慣も途絶えていったというような感覚です。
 ネットから離れたのかというとそうでも無くて、ただ単に、ネットを使ったツールとか情報収集の手段がかつてとは比べ物にならないくらい増えた結果、ネットとの付き合い方が分散した、というだけの話なんでしょうね。
 僕はブログを書いていた、という意識は無くて、あくまでウェブ日記を書いていた、という感覚なので、「はてなダイアリー」くらいがよくわからない自分のボーダーラインで、はてなブログには移行しないまま今に至るわけですが、はてなダイアリー、新規開設を停止するんですってね。あとははてなカウンターも終了するとのこと。ネットにテキストを書きつつ、多少はアクセスを気にして簡単な解析して…っていうだけの行為にそんなに変化なんて無いと思っていたけれど、変化の無いことなんてそんなになくて、これもまた時代の流れなんでしょう。
 まあ、いまあるはてなダイアリーは当面続くみたいなので、サービス終了ということになるまでここをどうするかの判断は保留しておきます。

無題

 医者になってからというもの、基本的には病院に縛り付けられている生活で、時には単に上司の怠慢であったり、バカみたいな体育会系思想であったり、実態を無視したクソみたいなシステムのせいであることまでもが「患者さんのため」みたいな言葉でごまかされて、プライベートというものの大部分が誰かに奪われていました。普段は極端な疲労と一日中の眠気とハードワークに忙殺され、余計なことを考えるヒマもないものの、時折一瞬だけ我に返った刹那、言いようのない絶望感を感じることもあったように記憶しています。その言いようの無い絶望感と共通する、僕の非常に個人的な一つの絶望が、だからこそそういった生活の中で明確化して、先鋭化して、閉じ込められた生活の中で可能な限りの解決策を見出そうとしたのかも知れません。
 医者一年目は、少ないながらも同期が似たような状況で病院の中の陽を浴びない生活を送っていたのに対し、二年目の山の中の生活は、自分と同様に病院に捕らわれている人間がほかに誰もいないように見えたので、一瞬でも逃げ出すチャンスが見いだせれば、いつ病院に呼び戻されるかわからないという恐怖と闘いながらも、山を降りて酒を浴びたのです。
 自分のプライベートがコントロールできない以上、誰かと約束をするというのが非常に困難で、だから僕の都合にあわせてくれる人の存在というのが肝要でした。大学病院内でも恐らく最も過酷だった我々ほどでは無いにせよ、同級生はみな研修医生活を送っていたわけで、僕の時間にあわせてくれるのは必然的に時間を持て余している後輩たちでした。その後輩たちも医者としての生活をスタートすれば極端に自由が効かなくなるので、さらにその下の後輩、その下の後輩と、学生との接点を持ち続けることになりました。
 まあ、いろいろあって日本を脱出した今、緊急事態や突然の呼び出しというのが無くなったわけではないにせよ、日本にいた時とは比べものにならない自由な時間を手にしたので、あのとき感じたような強い絶望感は、たまに昔を思い出してうなされる悪夢以外ではそうそう感じなくなりはしたものの、年を重ねるにつれて、有限の寿命に対する焦りとかそういうことはこまめに意識に訴えかけてくるのです。
 日本にいる時間が限られるようになった今、かつてのようなプライベートの収奪ということでは無いにせよ、やはり僕の時間にあわせてくれる人の存在は重要で、一人で過ごす時間だけでなくて、そうしてたくさんの人々と過ごす時間にはやはり飢えているのだと思います。海外生活もここに根を下ろしているわけでも無く、一声かけて集まってくれるような人間関係を築けるかというと、もうちょっと遠慮のある関係に留まるのかなという気がしますが、まあここでは音楽を再開できたのでそれは僕の人生に大いなる華を与えてくれることなのでした。

旅人たち

 つい先日、大学時代にお世話になっていたバーのマスターが任国に旅行に来るというので、あわせて休みをとり、行きたいと言っていた地方都市へ一緒に行ってきました。さらには、その友人たちが、それぞれ世界各国を旅行中で、任国にタイミングをあわせて集合するというので、マスター以外は初対面(厳密に言うと、お互い認識していない中で会っていた可能性は高いことが判明)ではありましたが、みんなで合流して有名なスポットにお連れしたり、食事をご一緒したりしました。ちなみに、現任地で最も有名な観光名所には、いつか友人が来たら一緒に行こうと思っていた結果、ずっと行く機会が訪れず、実に着任15ヶ月目にして初めて訪れることとなったのでした。
 その後、僕のマレーシア出張のタイミングと、旅人たちのタイミングが合うことが判明し、一部の方々とはペナン島で再開。まだ旅を続ける者あり、長期に渡る旅を終えようとしている者あり…
 彼ら旅人たちの話をいろいろきいていると、僕の旅熱も相当に盛り上がってくる一方、今の仕事を辞めなければ、恐らくしばらく色んな国を数年ごとに異動することになるので、1ヶ所長期滞在型の旅行中と言えなくもないな…と思ってみたりもするのでした。人生も住所も迷走中で、たまにふと我に返っては、果たしてこんなんでいいんだろうか、と今更どうしようもないことをうじうじ考えてみたり。特にいわゆる真っ当とされている人生を、季節感のある人生を歩んでいる同級生とか後輩とかみると、限りある寿命に焦ってみたり、開き直ってみたり。
 僕は元気です。

君の膵臓をたべたい

君の膵臓をたべたい

君の膵臓をたべたい

 読了。別に本というのは難解である必要は無いし、伏線やらプロットやら謎やらが想像通りに進んでは行けないというものでは無く、心を打つものがあるのは確かなんですが、いろいろと勿体無いな、とは思いました。
 膵臓というのはたまたまのプロットであって、多分具体的な何かは想定されていないから、膵臓に抱えている何かと、ヒロインの行動との関係性が全く不可解に思えてしまうのはまあ職業病なんでしょうね。ファンタジーとしてはそれでいいのかも知れませんが、せっかくなら具体的な何かを想定して、そこに矛盾しない描き方をしてもよかったのではないか、とは思います。それに関して作中で詳しく語られることは結局無いし、話の筋には関係ないと言われてしまえばそれまでです。
 主人公のそれまでの生き方と、会話の切り返しのイメージがうまく重ならないところがあって、そのたびに読書の世界から引き戻されてしまうことがありました。作中でそれを意識しているということがややあからさまに語られるように、ある作家のような会話の妙っていうのをこの作品の肝の一つとしようとしているというのは分かるのですが、それにしてはテンポはあまり良くなくて、一読してスッとは入って来にくい台詞回しも少なくありませんでした。いや、むしろ主人公のそれまでの生き方故に、これくらいのテンポの悪さがあったほうがリアリティがあるのだ、という考え方ができなくもないのかも知れません。実際、一息で吐くように飛び出した表現にハッとするような箇所もありましたし。
 大きな伏線のように最後まで引っ張りながら、あんまり回収されていないようなアイテムについても、どうにも気になってしまいました。無理に入れ込まなくてもよかったのでは、という気もします。
 なんとなく本筋とは関係のないところがいろいろと気になってしまう作品ではありましたが、心を打つものがあったのは確かですし、これはデビュー作ということなので、機会があれば別の作品も読んでみようかな、と思います。

羊と鋼の森

羊と鋼の森

羊と鋼の森

 海外で暮らすようになってから、読みたい時にすぐ手に入り、かさばらない電子書籍というものにも手を出すようにはなってきましたが、できれば紙の本をめくりたいと思い、一時帰国の際に目についた本をわさわさと買うということをしています。2016年本屋大賞受賞、そうやって目立つ場所におかれている本は、やはり手に取る機会が増えるわけで、毎年大賞作品を必ず読むというわけではないけれども、まあ振り返ると結構読んでいるような気もします。
 一つのことに誠実に取り組んで極めていく、ということが絶望的にできない僕にとって、一つの道にじっくり取り組むことのできる人というのは尊敬に値するし、そうした物語には非常に感銘を覚えます。静かで力強い文章。短いセンテンスが心地よいテンポで綴られて、ラストまで同じような静かな、しかし力強いテンションで綴られる物語は、まさに主人公の心をそのまま映し出してるような、そんな心地よさを感じました。
舟を編む (光文社文庫)

舟を編む (光文社文庫)

 一つの物事をつきつめていくというテーマを同じくするという意味で、2012年に本屋大賞を受賞した「舟を編む」とも似た読後感でした。「舟を編む」の方が、より目に見えてわかりやすい目標達成の場面や、人生における大きなイベントの描写などがある一方で、「羊と鋼の森」には、一見そうしたわかりやすいなにか大きな盛り上がりというのは描かれていません。しかしながら、僕にとっては「羊と鋼の森」の文章は、静かではあるけれども、むしろより力強いものであるようにも感じました。

だれもが知ってる小さな国

だれもが知ってる小さな国

だれもが知ってる小さな国

 読了。
 作者を交代して続編を書く(もともとの作者の了承のもと)という試みはどんなもんかな、と思いながらも、かつて夢中で読んだコロボックル物語の続きが読めるとあらば買わずにはいられませんでした。佐藤さとるさんに書いてもらいたかったという思いがある一方で、有川版コロボックル物語も、ちゃんと一連のお話を継承した良いお話だったと思います。
 旧シリーズに出会ったのは、古書店で偶然手にとった一作目、僕が読んでいたのは講談社青い鳥文庫版でした。夢中で読み終え、当時発刊されていた4作目まで購入、その後しばらく間があいて、5作目の「小さな国のつづきの話」、さらに忘れた頃に番外編として「小さな人のむかしの話」を書店で発見したときは、喜び勇んで単行本で買って帰ったのを覚えています。
 何度も読み返しながら、明らかに大団円を迎えてしまったものの、どうにか続刊が出ないかと思い続け、当時はネット書店などもなくて、必ずしも全ての新刊が入荷されているわけではないとは思いながらも、近所の書店に行くたびに、書棚を端から端まで調べて、コロボックルシリーズに限らず、お気に入りの本の続きが出ていないかどうかを調べていたものです。
 こんな形で21世紀にコロボックル物語の続編が読めるなんて夢にも思いませんでした。願わくば有川版の続きも読んでみたいものです。
 読みながら、過去作品を読んでいた頃のいろんな思い出もよみがえり、身悶えたり懐かしかったり。実家は本の山で、どこかにあることは確かながら発掘がやや困難ではあるのですが、また発掘して過去作も読み返してみようかなと思ってます。新イラスト版なんていうのも出てるみたいですが。
 コロボックルの思い出と言えば、本作とあとは「オホーツクに消ゆ」ですかね…(蛇足)。
オホーツクに消ゆ

オホーツクに消ゆ

堀井雄二さんのアドベンチャーゲームの新作も待ち続けているのですが。ドラクエもいいですが、こっちも作ってくれないですかね。立ち消えになった「白夜に消えた目撃者」の企画とかどうにかならないんでしょうか。