最近目にした非常に気持ちの悪いやり取りについて

 某所に「今後任国に赴任するのにあたり、接種しておくべきワクチンは?」という質問が投稿されました。まあまあ常識的な回答があったと思いきや、ただただ無防備な方々のコメントに混じり、どうも反ワクチン論者っぽい人が混じってみたり、「現地の人もみてるんだから、こういった質問は相応しくない」というもはや明後日の方向を向いたコメントまで。
 上記は「いろいろワクチンを打たなければ怖い国だとか言うのは現地の人に失礼だ」という趣旨なのかなと勝手に解釈しましたが、そうだとしてもまあとにかくピントのずれまくった発言。現地の方々もまた、きちんとワクチンを受けるように勧められていますし、政府もそういう方向にいろいろと頑張っています(追いついていないのも事実ですが)。
 別にこれは途上国と言われるような国への赴任に限りませんし、逆に日本に渡航する人、日本に住む人が打つべきワクチンというのも当然存在します。日本人は日本は清潔で病気の無い国だ、と思っているかも知れませんが、世界的に見ればいまだ結核の制圧すらできておらず、予防接種に関する意識も低い感染症後進国とも見られているのが実情ですし。
 確かに一部にワクチンの副作用といった問題は存在します。ですから、しっかりと問診をしたり、事前診察をしたりして、そういったリスクをなるべく少なくして接種を行うわけで、感染症の脅威から逃れられるベネフィットとそのリスクを天秤にかけて判断しているわけです。
 たまに(というか反ワクチン界隈の方々全般的に)、ワクチン接種をするかどうかは個人の自由だ、という主張をする方がおられますが、ことワクチンのことに関して言えば全くそんなことはありません。ワクチン接種を受けない方々の存在が、感染症の撲滅を妨げたり、流行を引き起こしたりするわけで、持病などの理由でワクチン接種を受けられない方を高い危険にさらすことにもなるのです。
 反ワクチンの方々だけで隔離された離島にでも住んで頂くならいざ知らず、打つべきワクチンを打たずに一般社会で生活するというのは迷惑以外の何者でもありません。海外渡航前に必要な予防接種の準備をしないことこそ「失礼」極まりない暴力的な行為です。百歩譲って、ヒト―ヒト感染の無い感染症ワクチンに関しては集団防衛とは関係無いので、まあ自己責任でもよいのかも知れませんが、大人が自分で判断するならいざ知らず、子どもに受けさせないのは虐待だと思っています。(まあ勢いで書いておいて何ですが、集団防御のためのワクチンは概ね小児期の定期接種に含まれているので(黄熱など除いて)、成人として海外渡航前に準備すべきワクチンのほとんどは自己責任と言えば自己責任なのかも知れません…件の明後日を向いたコメントがおかしいことは変わりませんが。)
 結構つながりのある人でも、トンデモ医療、トンデモ科学みたいな記事をシェア・拡散したり、「いいね」したりしているのをたまに目にしますが、そのたびに非常にどんよりします。いちいち指摘してあげるのが本当の意味では親切なのだとは思うのですが…。

正義の名のもとに

 匿名で自分が特定されないようにして罵詈雑言言いまくったり、卑怯な攻撃をするっていうのはもちろん論外なんですが、それは実名で責任を持って発言していさえすれば許されるというものでも無いですよね。理性的な主張に関しては、実名とか匿名とか関係無くて、それが耳を傾ける価値があるのかどうかというのが全てだと僕は思っています。まあ、好き嫌いというのはあるので仕方無い。僕は自分の嫌いな主張でも、公共の福祉上のルールを守ったものであれば尊重はします。理解するかどうかは別問題。
 実名原理主義の方々が言うような、「実名であることが発言に価値を付与したり、その発言の質を保証すること」なんてあんまり無いっていうのは、facebookなどで散見される頭のおかしなコメントの数々をみると改めて確認できると思います。むしろ発言者もどこか後ろめたく思っているような、匿名のどうでもいい発言よりも、完全に明後日の方向を向いたような発言をしながら「俺様は絶対的に正しい」と思い込んでいるような「実名」の方の方が見るに堪えないことも多々。
 特に政治の話とか、医療の話界隈では、感情論とか、自分の好き嫌いにすぎないものが絶対的善悪だと思いこんで、自分の思うところの正しさを主張するために、反対勢力を暴力的に攻撃してみたり、科学的正しさをきちんと判断できず、陰謀論に流されてことごとくトンデモに傾倒してみたり…といった闇の部分ばかりが悪目立ちしていて、こういったあれこれを見ていると、半年も続く雨季の低気圧とあいまって、心も体も負の方向に引っ張られて相当にゲンナリします…。

どこから苦情言っていいのかどうか

 マレーシア出張からはだいぶ前に帰ってきたのですが、まあいつものようにいろいろと疲れました。
 出発の際、いつもやる気の無い任国空港でのスーツケースX線チェックの際、いつも完全スルーの係官が謎のやる気をみせてスーツケース開けろ宣言(まあ最終的には開けませんでした。違法では無いはずですが、仕事に使う薬とか一杯詰めてるから開けると面倒くさそう)。
 ペナンではチェックイン時に悪びれるでも無く夜間はお湯が出ません宣言。何度か泊まっている、それなりのお金をとるホテルですが、深夜着なのと、何事にもいい加減な任国生活で刷り込まれた諦めの境地から、「それは酷いんじゃないか」といいつつも思考停止してそのままチェックインしてしまいました。レセプションで単なる薄笑いでスルーされ、水シャワーを浴びているうちに、だんだんムカムカしてきて、翌日にはきちんと抗議。予約を入れてくれた受け入れ先事務所からも抗議を入れてもらうことに。
 チェックアウトしてホテルを移るという手もあったといえばあったのですが、夜中や早朝に受け入れ事務所の手を煩わすのもなんだし、二泊のみなので結局そのまま泊まるものの、僕はもう使わないし、事務所もゲストに対して使えないと思います。そういう意味では、このホテルは最低の悪手をとったのだと思います。二日目の昼間抗議した際にはよくわからない言い訳、「事前にトラブルを連絡してくれれば、違うホテルに変更したのに」と言えば、「予約の時点ではトラブルは無かった」と。「そんなことはわかっている。今日突然起きたトラブルならまだ理解できるけど、いつ起きたトラブルなのか」と問えば、小さな声で「先週です」と。「何故その時に連絡しないのか。全く不誠実だし、二度とこのホテルは利用しない」と言えば、「数日でなおるのだから、次回の宿泊には影響しないと思います」というので「そういう問題じゃ無いし、総領事館としても、ゲストに対して使うことは躊躇われるので、恐らくもう使わない」と回答。別にお金のことなどで揉めるつもりは無く、正当に苦情を言いたかっただけなので、そういう要求は一切せず、チェックアウト時には予約時のレートのまま支払いました。最後まで特にホテルからはディスカウント等の提案はありませんでした。
 チェックアウト時に、営業担当がやって来て「滞在はいかがでしたか?」というので、「ご存知の通り、酷かったです」と言ったら、謝罪とともに、「もう一度チャンスを下さい」と。せめて最初に謝罪から入るべきなのでは無いかと。さらには、「初めてのご滞在ですか?」と。ここには過去二、三度泊まっており、ある程度のホテルなら過去の滞在歴は記録を残してあると思うのですが、全て裏目にでるような謝罪(?)で、非常に残念でした。
 マレーシア航空は安定の遅延も今回はそれほどでも無く許容範囲か。しかしながらクアラルンプール空港は長蛇の列、カタール航空のシルバーステータスが消えてしまった今は、チェックインの列から逃れられず。前回出張時にはチェックインまで1時間超えでしたが、今回はそれよりはわずかにマシという程度。イミグレでは出国スタンプ押し忘れられる…と相変わらず疲れる出張でした。スタンプに関しては確認してよかった。あとでいろいろと面倒くさいことになるので。そういえば初めてマレーシアに出張したとき、イミグレで押されたスタンプが、マレーシア居住ビザ持ってる人向けのものか何かだったらしく(初めてなので判別できず)、その後何度か入国時に揉めてたんでした、そういえば。
 また多分9月頃出張してきます。

マレーシア出張

 明日からマレーシア出張です。
 まあなんというかマレーシアでは定期的に仕事があるので、だいたい3ヶ月に一度くらい出張してます。国内何ヶ所か回るので1回の出張で大抵4泊し、あんまり積極的に乗りたくはないマレーシア航空機で移動してます。まあ大抵時間通りに飛んでくれないし、なんやかんやトラブルがあるのと、帰りの便に搭乗する際に大抵空港が物凄く混んでいて、十分余裕を持って到着しているつもりが、なんやかんやで搭乗がギリギリになったりして非常に疲れます。ちょっと前まではカタール航空のシルバーステータスが生きてたので、優先カウンターとか使って多少ショートカットできてたのが、最近は短距離の移動しかしてないのでステータスも消失してしまったので前回も空港内を走る羽目に。
 海外生活以前は、飛行機の中で「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか?」とかいうコールなんてそうそう遭遇しないよね、なんて話をしていたもんですが、あれは単に飛行機に乗る回数が少なかったというだけの話なのかも知れません。海外勤務して最初の1年で2度も遭遇し、そのうちの1回は結構ヘビーなものでした。どこかに覚え書き的に綴ったような記憶もあるのですが、twitterにも某所にも、そういうことがあったという事実のみ呟いてはいたものの、あんまり詳細は書いてなかったみたい。どこかに紛れていればサルベージしてはてなにでも残しておこうかと思ったけど残っていなかったので面倒臭くなってそのままにしていたんですが、後で気が向いたらまとめてみようかとも思います。
 最近はこうやって後でまとめてみようと思うとか言ったのをまとめたためしは無いんだけれども。

はてなダイアリー

 お久しぶりです。一時的に日記書こうかな、と思ってもすぐ放置状態になってしまいますね。そもそも最近は自分で書く以前に人様の日記を読みに行くこともあんまり無くなっちゃいました。ネット環境がそんなによろしくない国にいる、というのは理由の一つといえば一つですが、そもそも国外に出る前のある時期からあんまりネット巡回しなくなったような気がします。同じような時期にネットで何か書いていた人たちの中で、ごく一部は今もなお「ブログ」を書き続けていたりもしますけど、少なくない人たちが僕と同じような時期になんとなくあんまり日記を書かなくなって、自然勝手に感じていた緩い繋がりの中で相互にサイトを訪問しあっていたような習慣も途絶えていったというような感覚です。
 ネットから離れたのかというとそうでも無くて、ただ単に、ネットを使ったツールとか情報収集の手段がかつてとは比べ物にならないくらい増えた結果、ネットとの付き合い方が分散した、というだけの話なんでしょうね。
 僕はブログを書いていた、という意識は無くて、あくまでウェブ日記を書いていた、という感覚なので、「はてなダイアリー」くらいがよくわからない自分のボーダーラインで、はてなブログには移行しないまま今に至るわけですが、はてなダイアリー、新規開設を停止するんですってね。あとははてなカウンターも終了するとのこと。ネットにテキストを書きつつ、多少はアクセスを気にして簡単な解析して…っていうだけの行為にそんなに変化なんて無いと思っていたけれど、変化の無いことなんてそんなになくて、これもまた時代の流れなんでしょう。
 まあ、いまあるはてなダイアリーは当面続くみたいなので、サービス終了ということになるまでここをどうするかの判断は保留しておきます。

無題

 医者になってからというもの、基本的には病院に縛り付けられている生活で、時には単に上司の怠慢であったり、バカみたいな体育会系思想であったり、実態を無視したクソみたいなシステムのせいであることまでもが「患者さんのため」みたいな言葉でごまかされて、プライベートというものの大部分が誰かに奪われていました。普段は極端な疲労と一日中の眠気とハードワークに忙殺され、余計なことを考えるヒマもないものの、時折一瞬だけ我に返った刹那、言いようのない絶望感を感じることもあったように記憶しています。その言いようの無い絶望感と共通する、僕の非常に個人的な一つの絶望が、だからこそそういった生活の中で明確化して、先鋭化して、閉じ込められた生活の中で可能な限りの解決策を見出そうとしたのかも知れません。
 医者一年目は、少ないながらも同期が似たような状況で病院の中の陽を浴びない生活を送っていたのに対し、二年目の山の中の生活は、自分と同様に病院に捕らわれている人間がほかに誰もいないように見えたので、一瞬でも逃げ出すチャンスが見いだせれば、いつ病院に呼び戻されるかわからないという恐怖と闘いながらも、山を降りて酒を浴びたのです。
 自分のプライベートがコントロールできない以上、誰かと約束をするというのが非常に困難で、だから僕の都合にあわせてくれる人の存在というのが肝要でした。大学病院内でも恐らく最も過酷だった我々ほどでは無いにせよ、同級生はみな研修医生活を送っていたわけで、僕の時間にあわせてくれるのは必然的に時間を持て余している後輩たちでした。その後輩たちも医者としての生活をスタートすれば極端に自由が効かなくなるので、さらにその下の後輩、その下の後輩と、学生との接点を持ち続けることになりました。
 まあ、いろいろあって日本を脱出した今、緊急事態や突然の呼び出しというのが無くなったわけではないにせよ、日本にいた時とは比べものにならない自由な時間を手にしたので、あのとき感じたような強い絶望感は、たまに昔を思い出してうなされる悪夢以外ではそうそう感じなくなりはしたものの、年を重ねるにつれて、有限の寿命に対する焦りとかそういうことはこまめに意識に訴えかけてくるのです。
 日本にいる時間が限られるようになった今、かつてのようなプライベートの収奪ということでは無いにせよ、やはり僕の時間にあわせてくれる人の存在は重要で、一人で過ごす時間だけでなくて、そうしてたくさんの人々と過ごす時間にはやはり飢えているのだと思います。海外生活もここに根を下ろしているわけでも無く、一声かけて集まってくれるような人間関係を築けるかというと、もうちょっと遠慮のある関係に留まるのかなという気がしますが、まあここでは音楽を再開できたのでそれは僕の人生に大いなる華を与えてくれることなのでした。

旅人たち

 つい先日、大学時代にお世話になっていたバーのマスターが任国に旅行に来るというので、あわせて休みをとり、行きたいと言っていた地方都市へ一緒に行ってきました。さらには、その友人たちが、それぞれ世界各国を旅行中で、任国にタイミングをあわせて集合するというので、マスター以外は初対面(厳密に言うと、お互い認識していない中で会っていた可能性は高いことが判明)ではありましたが、みんなで合流して有名なスポットにお連れしたり、食事をご一緒したりしました。ちなみに、現任地で最も有名な観光名所には、いつか友人が来たら一緒に行こうと思っていた結果、ずっと行く機会が訪れず、実に着任15ヶ月目にして初めて訪れることとなったのでした。
 その後、僕のマレーシア出張のタイミングと、旅人たちのタイミングが合うことが判明し、一部の方々とはペナン島で再開。まだ旅を続ける者あり、長期に渡る旅を終えようとしている者あり…
 彼ら旅人たちの話をいろいろきいていると、僕の旅熱も相当に盛り上がってくる一方、今の仕事を辞めなければ、恐らくしばらく色んな国を数年ごとに異動することになるので、1ヶ所長期滞在型の旅行中と言えなくもないな…と思ってみたりもするのでした。人生も住所も迷走中で、たまにふと我に返っては、果たしてこんなんでいいんだろうか、と今更どうしようもないことをうじうじ考えてみたり。特にいわゆる真っ当とされている人生を、季節感のある人生を歩んでいる同級生とか後輩とかみると、限りある寿命に焦ってみたり、開き直ってみたり。
 僕は元気です。