「卒業しちゃいました」-0411-

 卒業しちゃいました。

 国試、酒、国試、酒、国試、酒、酒、酒、楽器、酒、歌、酒、酒、楽器、酒、楽器、花束、学位記。

 3/17から三日間に渡って行われた医師国家試験、その受験ムードに対応するべく、国試出発の週の頭くらいから、規則正しく図書館に籠もろうと試みるも、たかが資格試験にそこまでの緊迫感を持ち続けるのも難しく、一日にして「勉強は飽きた」宣言をした僕は、どちらかというと、タリバンの行く末を見守ったり、HEROの録画予約をするのに忙しいのでした。

 試験日程が一切発表されていない国家試験というのは他にあるのでしょうか。案の定怪情報が飛び交ったそのイベントは、言うなればクイズ大会みたいなもので、そのうちその状況を楽しみ始めるのです。会場入りするまで、何時から何時に何題、何の試験を受けるのかも、配点も、合格基準も、どれが採点除外の試行問題なのかも一切を教えられない僕たちは、狂ったようにイヤーノートのページを繰るか、手ぶらで会場入りするかのどちらかしかの選択肢しか与えられないのだし、田舎ぐらしでは考えられない混み方をする電車を使うことを考えれば、身軽なスタイルのほうが、テストに体力を残す意味でも有用なのでした。

 毎日美味しいものを食べて、ビール飲んで早寝し、夜明けとともに起きて、ビュッフェスタイルの朝食をこれでもかというくらいばくばく喰らい、フルーツとヨーグルトとコーヒーで締めくくり、昼の弁当がまずいとか言ってるうちに、国家試験は終わっていたのです。フタをあけてみれば、一日三つづつ、A〜I問題、計550題という構成。いかにも過去問という問題はほとんど見ず、プライマリの優先順位を考えさせる問題や、病理画像などの最低限の安い検査から、診断に結びつけるような問題、あるいは、今まではほとんど出なかったマイナー領域、マラリアなど、国際的視野に立った出題などが目立ちました。

 初日からいきなり250題も解いたことで、すでに国試にも飽きた僕は、何故か横並びが同じ大学になった試験会場で、隣の奴と「マラリアマラリアと来たら、次のヤマは、もっと一般的な寄生虫じゃねえか? しかもまた画像一発とか」なんてバカ話をしていたら、本当に寄生虫の頭部と体節の図が出て、そこから感染経路を答えさせるような問題が出て、問題用紙を見ながらおもわず笑いそうになってしまいました。3年生の時にラテン語と共に覚えた寄生虫達のライフサイクルを懐かしみながら、しかし結局間違えたかも知れません。

 危機感を感じられないのは僕の性格でどうしようもない部分もあるのですが、国試期間中のある意味なめきった態度は、周囲の人間に知らず知らずのうちにプレッシャーを与えていたようです。前後の受験生と雑談でもしようかと思っていたのですが、休み時間中は、必死で何かを勉強しているので声をかけづらく、結局同じ大学の奴らと下らない話をしていたその一切を密かに聴いていた某大学の軟式テニス部員は、僕の反対側の隣で受験していた女の子と知り合いだったらしく、国試終了後に顔を合わせた時、僕のその一連の態度と会話の内容に、「ねえ、私の後ろの人って、もの凄くできる人なの?」と問うたらしいのですが、問われた彼女は「そんなことない」といった答えをしたらしいです。

 まあ、問題は回収されてしまうし、悩んだ問題は、みんなも悩んでいて答えが割れていたりして、全体的に難化傾向にあった国試は、出来たんだか出来なかったんだか全く分からないのですが、これも結局、4/26の合格発表までは分からないことなので、最早どうでもいいです。

 国試翌日からは怒濤のバンド練。密かに計画していた卒業式ゲリラライブの練習は、わざわざ公園まで行って野外でデモンストレーションまでするし、その後控える軽音楽部の引退ライブの練習は深夜のスタジオ練。体はバテて来ますが、バンドのドラマーの言うように「俺達はこの生活を待ち望んでいた」んです。

 羽織袴で卒業式に赴き、酒を飲みながらウッドベースを弾き鳴らし、教授陣には「売れない噺家みたいだな」とか言われながら謝恩会を楽しみ、2次会、3次会と酒を酌み交わし、そして今日も明日もまた飲み会の予定が詰まっているのです。

 医師免許はもらえるかどうか分からないですが、とりあえず学士(医学)の学位は僕のところにやって来ました。酒瓶と一緒に僕の部屋に置いてあります。なんだかよくわからないのですが、とりあえず僕は、卒業しちゃいました。