「フランス・トルコ旅行記1」-0415-

 旅をするならやっぱり食べ物とお酒が美味しいところがいいなと思うのです。子供の頃はよく分からなかった、旅行先での食べる楽しみと飲む楽しみ。それを知ってしまえば、有名な寺が無くても美味しいお酒があるだけで、旅行の目的になりうるのでした。

 卒業旅行、と月並みに言ってしまえばそれまでですが、人生最後の長期休暇、同級生と旅行をしてきました。最初は他学部の人々とキューバに行こうなんて言っていたものの、いろいろあって流れ、適当な計画の元、エールフランス利用でフランス・トルコ10日間の旅行に行くことにしたのでした。

 4/3(火)、ちょうど一年前くらいにアメリカ旅行をしたときには、前日というか朝まで飲んでいて、荷造りもままならず、靴下を空港で買ったりしていた僕でしたが、今回はちゃんと荷造りしました。いつもはスポーツバックに服を詰めていましたが、旅先で簡易でも鍵がかかることが便利だということや、どうせ今後学会とかで移動するときに使うだろうということで、スーツケースも用意し、最寄り駅からバスで3時間半かけて成田へ向かうのでした。この時点で既にパリ・イスタンブール間くらいの時間がかかるのが田舎の宿命です。そんなわけで、いずれにせよ空港はどこも遠いので、僕には国際線が羽田から飛ぼうが成田から飛ぼうが些細な違いです。

 まあ、つつがなく搭乗手続きを済ませ、珍しく持参した旅行ガイドブックや会話集などで一応予習。そういえば、なんの計画も立てていないのでした。十何時間のフライトを終え、パリ市内のホテルに到着は現地時間の夜。北駅のほうへ散歩がてら、水などを買い込み三ツ星ホテル、メトロポールの52号室へ引っ込んで就寝です。エールフランスの乗務員にしても、外国人利用者の多いホテルのフロントにしても英語より先にフランス語が飛び出す国民性には、当然フランス語で返事がしたくなるというものです。「エクスキュゼモワ、ムッシュー。サンカントゥ・エ・ドゥ、スィル・ヴ・プレ?」「コンビヤン?」「サンカントゥ・ドゥ。メルスィ・ボークー」なんてどうでもいいやりとりでも、自分の現地語が通じることが確認できるのは嬉しいものです。

 4/4(水)、航空券とホテルのパックをHISで手配したら、パリ、イスタンブールそれぞれに半日観光がついていたので、まあ、ついているものは利用させてもらいます。近くのメトロの駅まで歩き、カルネと呼ばれる回数券を購入し、HISの現地事務所そばの集合場所へと向かいます。だいぶ早くついたので近くのカフェで時間を潰し、その後エッフェル塔をバックに写真を撮ったり、工事の終わったノートルダム寺院を見学したり、凱旋門をバスの窓から見たりと、かつてパリを訪れた時にもまわったようなお決まりのコースを昼過ぎまで回りました。最終的にプランタンデパートで解散、自動的に免税店に誘導されて、買い物をすすめられるのはいつでも一緒です。

 とりあえず買い物の予定も無いので、食事をとろうと街を無駄に歩き回った挙げ句、どこを覗いても一杯なのであきらめて、結局プランタンに戻って、デパートのレストランで食事をしました。鶏肉とポテトフライの盛り合わせのようなものとビールで一息。ステーキもしくは鶏肉とフライドポテトというまさに僕らが食べたようなそれは、フランスの一般的な食事らしいですが、日本でも食事の欧米化がすすむ昨今、別段珍しいものでも、特別美味しいものでもないようです。

 その後オペラ座の中を見学したり、凱旋門の間近へ行ったりと、世界中のお上りさんがやりそうなことをひととおりやってみました。同行者が、ヴィトンで買い物をするというので、凱旋門からシャンゼリゼ通りを歩いて本店へつき合いましたが、特に買い物もしない僕はヒマで、結局先にホテルに戻ってそこで落ち合うことにしました。メトロなどを利用すると言っても、旅行中はやはり普段の生活よりはやたらと歩きます。やや疲れ気味でホテルに戻り、しばし休息、その後連れを待ち、賑やかな北駅の前のビストロやレストランをうろうろした後、そのうちの一件でコース料理のようなものを。汗もかいたのでとりあえずビール。その他ソーセージとスイスチーズなど。フランスと言えばワインのイメージが強いですが、どこのカフェでも複数の生ビールを置いていて、カウンターで中ジョッキを空ける現地の人はかなり多いようでした。飛行機の中ではさんざんワインを飲んだことなので、とりあえず実質初日の観光は、美味しそうなビールで締めたのです。

 4/5(木)、フランス名物はワインとストライキ。先日の半日観光で、ガイドから、「もしかすると明日、メトロのストがあるかも知れない」という情報を得ていたものの、とりあえずメトロの駅に向かってみると、まあ、普通に走っているようなので、これもパックのおまけでついてきた、「パリ・ヴィジット」というメトロ・バスの一日券は、この日使うことにして、さらに「カルト・ミュゼ」という、美術館の共通パスも購入し、美術館巡りをする日にすることにしたのでした。とりあえずは最も有名どころということで、ルーブル美術館へ向かい、ガラスピラミッド口のほうへ歩いていくと、不自然なくらい長い列が出来ていて、しかもその列が一向に動かないのです。「こりゃ、美術館のストだよなあ」とか、最初は半ば冗談のように呟いていたのです。

 しかし、微妙にうろついている係員の「もうすぐ開ける」とか「今日は開かないから明日来い」とか「いつ開くか分からない」とかいう適当な対応と、日程的にあきらめて引き返していく、世界各国のツアー客達をみるうちに、もうこれはダメだと思い、僕も行ったことのないオルセーのほうへメトロで移動、やたらとオルセーの方からの人の流れは激しいので、嫌な予感を感じながら入り口を見れば「ストライキのため、開館が遅れます」という掲示、この非常に迷惑な行為は、やっぱり理解し難いと思いつつ「あなたのご理解を感謝します」とかいう英語・フランス語の二ヶ国語で書かれた掲示を見ながら、すでに使用日を書き込んでしまったカルト・ミュゼを恨めしく思いながら、カルト・ミュゼが使えそうな美術館ならどこでもいいからとりあえずどこかに入りたいと、祈るような気持ちで次に向かったのはピカソ美術館でした。とりあえず開いているような雰囲気だがやはり異質。どうやら一部開館で、入場制限付きらしいのですが、もうとりあえずここを見ることに腹をくくり、列に加わりました。青の時代の自画像など、かつて美術の教科書でみたような絵をみることができたときには、感動というか、とりあえず安堵したのです。もしルーブルが開いていたらピカソ美術館には来なかったかも知れないことを思えばこれはこれで良かったです。

 見学を終えて出るころには、入場制限も解除されていて、「もしかしたら、各美術館、開き始めたのかな」なんて思いながら、やはり前回の旅行では行くことができず、是非足を運びたかった、ポンピドゥ・センターへ向かいました。パリ市民が、「いますぐ壊してしまいたい建物第一位」に選ぶという、そのパイプむき出しの前衛的建物は、展示物の現代美術が多いのでした。所詮僕に美術の難しいことは分からないのですが、僕が面白いと思えたり、綺麗だと思えれば、それが僕にとってのその作品の受け止め方と楽しみ方であって、それでいいのだと思うのでした。ポンピドゥはストの匂いを感じさせなかったのですが、それは訪れた時間が遅かったからなのか、ポンピドゥではストをやっていなかったからなのかは良く分かりません。とりあえず昼食をとり、期待を込めてルーブルへ行ってみると、今度はすんなり入れました。もう夕方で、さすがに今からすみずみまで見るというのは絶対無理なので、まずモナリザとミロのヴィーナスというような有名どころを押さえ、あとは僕の趣味でエジプト美術のフロアーへ向かいしばし見学をするのです。特に僕が興味を持つのはいつも言葉の文化で、象形文字の刻まれた棺や石版などに、やたらと心惹かれるのです。ちなみに、美術館とは関係ありませんが、今、一番興味を持っているのは、歴史ではなくて、現代でも象形文字を使うという「トンパ」の人々の言葉です。

 パリ・ヴィジットは確実に元を取り、カルト・ミュゼもどうやら役割を果たせた一日。へとへとになりながらホテルに戻り、北駅そばのビストロで、デキャンタのワインと共に晩餐。パリの天気は変わりやすく、雨が降ったりやんだりしていたのですが、多くのパリ市民に習ってもはや傘を持ち歩かない僕たちでしたが、実際、メトロ利用などが多いと、傘は非常に邪魔だし、建物の中はかなり乾燥しているので、服はすぐ乾くのです。なんでもフランスの小学生は、傘を持つことを禁止されているそうで、それがどんな意味があるのか良くしらないのですが、その習慣が、大人になっても続くのだそうです。あまり雨に濡れることを厭わず、雨が降っても胸をはって歩いているのは、イギリス人がいつも天気の話ばかりして、どこにでも傘を持っていくのと何か関係があるのでしょうか。まあ、体が弱い人にはおすすめしません。案の定同行者はその後風邪をひく羽目になるのです。