「義務じゃなくて」-0523-

 木曜日の外勤病院では、例のごとく整形外科手術助手。助手といいつつ、数件手術があるうちの、プレート抜去など、簡単な手術に関しては、院長が僕にメスを渡してくれるので、貴重な整形外科医としての一日です。現行法では、僕が何科の診療をしてもかまわないわけだし、もともと外科を専門としているので、整形外科手術自体は、まあまあすんなり入り込めます。細かな作法の違いはあれど、大筋での外科的手技は共通なのです。あとは、整形外科医の院長に、「この若い外科医は何もできない」と思われるのもしゃくなので、積極的に手を動かして術野展開しているわけです。

 以降また精神世界日記。恐らく僕が苦手としているのは、義務としてのコミュニティなんだと思います。血縁だ、とか、ただそれだけの意味で家庭を形成したりしなくてはいけないというのが耐え難いものなのだと思うのです。別段家族や親戚との関係が悪いわけではありません。むしろ、家族や親戚は、僕が里帰りするのを心待ちにしていてくれるし、帰省しようものなら、親戚連中が酒を用意して僕をあちこちから呼びつけるのです。繰り返し書いているように、その時の義務的なコミュニティに息がつまってしまったり、「家族だから、血縁だから最も身近で親しい。血は水よりも濃い」という大前提での関係を強要されるのが嫌なのです。

 自分が完全に個人で生きられるとは思っていないし、家族というものが法的にも遺伝的にも、はっきりとした、一番身近な集合体であることはわかっているけれど、それが全てでは無いということも知ってしまったわけです。血縁とか、学校や職場だとか、そういう半義務的なもの以外でかたちづくるコミュニティというものにひどく憧れる自分がいるのです。僕はそういう集合体のほうが、血縁としての家族よりもむしろ家族らしいと思うことが多いようです。

 血縁ということだけでの、例えば親子愛の幻想などは、病院でもしばしば遭遇するDV(ドメスティックバイオレンス=家庭内暴力)なんかで崩壊するし、子どもをつくることを前提とした家族の考え方は、恋愛対象とか、仕事の内容とか、体の問題とか、そういういろんな事情にあまりにも目をつぶった発想だと思うわけです。

 僕が今憧れている、「結婚しないライフスタイル」というものは、必ずしも一人暮らしということではありません。なんらかのコミュニティをつくって生きていきたいという思いが強いのです。晩年は豪華客船の上で酒と音楽とで暮らし、死んだら海の中へ、というその客船というのは、きっと僕が選択してたどり着いたコミュニティであって、いろんな憧れをイメージ化したものだと、って、何を自分で自分の精神鑑定してるのでしょうか。

 またわけのわかんない話ですけど、最近はそんな感じなのです。