小千谷市にて

大学の同級生で、整形外科医が小千谷で働いていたらしい。電気が復旧してメールが来ました。無断転載なのですが、とりあえず固有名詞や地名などをすべて消した状態で。

4月から小千谷市勤務となっており、現在、地震から7日目の夜ををあいかわらず病院で過ごしています。病院職員もほぼ全員被災者ですが、皆でがんばって働いています。滅多に味わえない(ぜんぜん味わいたくなかったけど)経験をしているので、ちょっと綴ってみたいと思います。
 
 地震当時僕は温泉地にいて、しかも飲んでいたため、その後風呂に入りまくり水を飲みまくって急いで酔いを醒まし、病院へ向かいました。高速も途中で通行止めとなっており、下道もアスファルトのうねりやでこぼこがひどく、病院に辿り着いたのは最初の地震の7時間後でした。
 
 そこはまさに外傷だらけの野戦病院でした。地震が夕食時だったため、鍋がひっくり返っての熱傷患者も多数いました。床にびっしり布団が敷かれ動けない患者が横になっていて、入り口にはひっきりなしに怪我人が運ばれてくる状態でした。余震におびえる患者をなだめながら、出血を止め、傷を縫い、シーネをあて、次々に患者を診ていたらいつの間にか次の日の昼をまわっていました。まさに極限状態でした。幸いな事に、入院患者に怪我人は一人もいませんでした。
 
 2〜3日は外傷患者が続きましたが、現在は寒さ、疲れ、ストレスから内科系疾患の患者さんが増えているようです。昨日から病院も電気が復旧し、こうしてメールも送れるようになりました。少しずつですが文明的な生活ができるようになってきています。でも僕の家は依然ライフラインが全く復旧しておらず、当分は病院暮らしが続きそうです。一番辛いのは、今小千谷は外傷の宝庫なのに、オペ室が機能していないためオペ適の患者を全て紹介して送らなければならないことです。整形外科医としては非常にもどかしい限りです。あとは、エアコン以外の家電が(プラズマテレビも)すべて壊れちゃったのも、とってもツラいです。体が無事だから、まあ、いーよね、って開き直らないと、とてもやっていけない感じです。
 
 でも、今回の地震直後から、たくさんの方に心配や励ましの言葉をもらって、ホントにありがたかったです。みんなから力をもらって、なんとか頑張れています。この場を借りてお礼させてもらいます。本当にどうもありがとう。7日間を思い出しながら書いていたら、だらだらと長くなってしまいました。すいません。

 依然余震はあり、先は読めない状況ですが、頑張ります。応援してね。よろしく。

応援してます。