割り箸事件

東京・割りばし死亡事故:「事実」求め6年余 両親「過ち認めて」−−あす1審判決

http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20060327ddm041040075000c.html

 証人出廷した文栄さんは、自分が悪かったように「100%担当医の責任と考えているのか」と問われたこともあった。「こんなにつらいなら、事実なんか分からなくていいから裁判をやめたい」という思いもよぎった。

 誰かのせいということにするから双方とも辛くなるのだと思います。「医者のせいじゃなければ、我々遺族が悪かったというのか」という感情だということですよね。ただ、もし「避けがたい不幸」に関して、結果責任で医者を悪者にするのであれば、それと同様の理由で、「割り箸を加えて走り回っている子供をとめなかった」という過失が両親にもありますよ、という話になってしまいます。この件も、いままでの情報から考えると、不幸な事故であったという印象を受けます。子供に注意しなかった親を責めることができないのと同じ理由で、適切な情報があたえられないまま診療にあたった医師を責めることはできないと考えます。

「医師は潔く過ちを認め、患者や遺族を傷つけることが今後は起こらないでほしい」

本当に、医者のせいなのでしょうか。

「延命の可能性低い」医師に無罪…割りばし死亡事故

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060328-00000011-yom-soci

 川口政明裁判長は診断ミスがあったことは認めたが、「治療したとしても延命の可能性が低かった」と述べ、無罪(求刑・禁固1年)を言い渡した。

 被告が割りばしによる頭蓋内損傷を予見できたかについて、意識レベルが低下した容体などから、「頭蓋内に異変があったことを疑うことが可能だった」と述べた。

 さらに母親への問診などを行い頭蓋内損傷の疑いが強まれば、コンピューター断層撮影をするなどして、最終的には割りばしが残っていることに気付くことができたと指摘。被告には、これらの診察や検査を行わなかった過失があると認定した。

 しかし、その後の治療で、死亡を回避できたかについては、「脳神経外科医に引き継いだとしても、技術的に治療が困難で、救命はもとより延命可能性も極めて低かった」と判断。過失と死亡の因果関係を否定した。

 まずは無罪という判決を評価しますが、判決文の内容は、やはり納得のいかないものです。今回の判決の内容は、いずれにしても救えなかったと考えられる重症なら見逃しても無罪だが、それよりも軽症であるが、健康上の不利益や後遺症が出るようなものであれば、それが診断できなかったことが有罪になるということになるかと思います。かといって、神ではない医者が、100%の正診をするというのは、1000年たっても不可能です。
 まず、第一に、今回の例では、一般に報道されている情報の限りでは、自分が同じ状況で診察し、「割り箸が体内に残っているかも知れないという情報を与えられず」、「少なくとも明かな麻痺症状や重篤意識障害が来院の時点で存在しなければ」、鎮静などの侵襲を加えてまで、敢えて小児のCTは撮らないだろうと思います。
 現在、救急外来では、どんなに些細な症状であったとしても、多くの場合、絶対に「大丈夫です」とは言いません。あくまで応急手当なので、直近の通常外来の受診をすすめるのが原則です。特に頭部外傷の可能性が少しでもある場合、注意書きを渡して「症状に変化あれば朝まで待たずにすぐに連絡を、あるいは脳外科受診を」という説明をし、その事実をカルテに記載していますが、これは、割り箸事件以降の出来事だと思います。本来は「心配いりませんよ」と言って安心させてあげたいところでも、その言葉を呑み込んでいるのです。数パーセントの確率で、軽症と思われた患者さんが急変したような場合、トラブルになるのが目に浮かぶからです。以前の医者が「大丈夫ですよ」と言っていた背景には「(おそらく)大丈夫ですよ(ですから、安心してください。でも、人間の体ですから、予期せぬことも起こりえます。それは已むを得ないですよね。もし、何かあればまた受診してください)」と、多くの暗黙の了解があったと思うのです。少なくとも、医者はそう信じていました。しかし、患者さんが、「きいていなかった」と言うのであれば、やはりあらゆる可能性をお話しするしかありません。
 かといって、どの病院にもCTがあるわけでなく、頭部外傷の救急に、全て脳外科医が対応できるという体制もないのは厳然たる事実ですので、「専門外の医者が診ます」「あくまで現時点では、脳への障害のはっきりした証拠はありませんが、今後症状が変化する可能性があります」「注意点を説明するので、該当するときはすみやかにしかるべき施設へ」などと、たくさんの逃げ道をつくっているにすぎません。診療の内容としては、割り箸事件の担当医となんらかわりありません。与えられた情報から、外傷を診察し、場合によっては縫合などの処置をし、その時点での情報と意識レベルから、決して豊富ではない専門医への搬送や、いつでもどこでも可能なわけではないCT撮影を決定するのです。
 最近の救急医療や専門医療の集約化の論調は、「一次医療から三次医療まで対応できる施設が望ましい」ということですが、こんなのは誰に言われるまでもなくあたりまえのことです。しかし、現実的に不可能なのも当たり前のことです。別に医者に限ったことではなく、患者さん自身、あるいは周囲の人々が、ある程度症状を把握して、振り分けるしかありません。そして、医者もやはり、その時の状況と自分の持てる力の範囲で緊急性を判断し、適切と信じる治療を行うしかありません。結果論で責められるのならば、誰かが受診するたびに、全身の検査を行い、各領域の専門医が判断していくべきだという話になります。

割りばし死亡事故:「なぜ無罪に」と両親

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060329k0000m040064000c.html

会見した正雄さんは「裁判長が救命は難しかったと判断した理由は、私たちが理解出来る内容とは到底思えない。直ちに控訴してほしい」と目を真っ赤にして話した。文栄さんも「過失があってカルテ改ざんも認められたのにおとがめなしでは、重い病気の人はどんな治療をされても刑事責任を問えなくなる。隼三の死が無駄にならなかったとは言えない」と声を絞り出した。

「私たちが理解出来る内容」というのがどういうものなのかよくわかりませんが、今回の事件は、割り箸が刺さった時点で、残念ながら致死的であったということだと思います。それをゆっくり受け入れていくしか、哀しみを癒す方法はないと思うのです。以前にも同様のことを書きましたが、それを、誰かのせいにしようと思った時点で、哀しみと怒りから抜け出せないことになります。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060317#p1

 誰かのせいにするというのは、死を受容する五段階のうち、「怒り」の段階から先に進めていないことになります。自分の死に限らず、家族の死などにも当てはまってくると思います。医者は、多くの死に立ち会い、その都度、正常な感情としての怒りをぶつけられたとしても、それにじっと耐えています。そして、その先の段階に進んでくれることを期待して、安らかに見送りたいと考えます。怒りを受け入れるのは、決して自分にやましいことがあるからではありません。しかし、こうして怒りを受け入れることが「ミスをみとめた」というような誤解を受けて、訴訟や刑事罰が入り込んでくるようになってしまえば、仮にその判決がどちらに転んでも、とうてい「受容」の段階には進めないのではないかと危惧しているのです。

記事の最後

 一方、被告の医師は判決後、弁護人に「無罪となったのは満足だが、過失が認定された点は残念」と話し、判決で指摘されたカルテの改ざんは否定したという。

 この「カルテの改竄」ということに関しては、そもそも検察側も主張していないのに、裁判所がいきなり認定したという話を伝え聞いています。しかも、判決が「無罪」である以上、被告側としては、この判決文に反論する機会を持たないとも。いろいろやるせない気持ちです。
 僕の専門領域で言えば、腹痛患者の重症度の判断ということがあると思います。血液検査やレントゲン、CTなどが緊急で対応できる施設であれば、症状が比較的軽微でも、実は緊急手術を要するような疾患を、早期に診断できる可能性が高くなります。しかし、そうではない施設で、結果として、実は穿孔や上腸間膜動脈血栓症など、緊急度、重症度の高い疾患であるにもかかわらず、腹部所見や自覚症状に乏しいことも少なからずあります。しかし、写真や数字として証拠に残らない、医者の手の感覚だけが頼りの診察所見は、後で、「本当は所見があったのに見落としたのでは、あるいは改竄したのでは」などと言われてしまうことが多いものです。
 先ほど例に挙げた、上腸間膜動脈血栓症などは、そもそも診断がついたところで救命率50%未満と言われます。ただ、もちろん早期に治療するほど予後は良く、命が助かる人も、社会復帰できる人も存在するのです。発症が突然で、数日前まで元気だった人が急に亡くなってしまうことになるため、僕の専門として扱う疾患の中では、トラブルになりやすいものの一つです。
 こういったものも、診断に時間がかかったりすれば、「もっと早期にその可能性を予見可能であり、救命の可能性が高かった」と言われてしまうものなのでしょうか。
 救急外来に警察と裁判官を常駐させてください。あなた方のおっしゃるとおりに致しますので。
参考

不当起訴された耳鼻科医を支援する会

http://erjapan.ddo.jp/index.html