抑欝

 知り合いだけをみても、決して少なくはない医者が、精神的失調を来した経験を持っています。厳密な診断名としてのそれではないにしても、病態としての「抑鬱状態」はかなりの数の医者が経験しているのではないかと思います。

 現在の僕が、大学院生という身分にありながら、食いっぱぐれていないことは確かで、ワーキングプアとか格差とかいろんな問題がある現代社会において、賃金の面で(それが全てにおいて正当な対価であるかどうかは別として)恵まれていることは否定しません。

 医局を辞めるか否かとか、臨床医以外の道へ進む可能性を考えたりとか、僕が行く末について悩んだり、社会に対して不満をぶつけたりするのも、こうした経済的不安がないからこそだと言われてしまうと、それに完全に反論はできません。しかし、世間が思ってるように、金積めばどこにでも医者が来るという単純な話じゃないんですよ。 何度も言うように、逆に、金積んででも休みたいと思う医者の存在を想像すべきなのです。

 何年かかけて、いろんなことが少しずつ心に蓄積してきた結果だと思うのですが、今の僕は心底当直という仕事が嫌いなのです。生理的な拒否感のようなものを感じていて、その日の精神状態によっては激しい動揺や、言いようのない恐怖感におそわれることもあります。

 不安になって受診したくなった時点ですべて「妥当」だ、という意見があることは念頭においた上で、あくまでも僕の判断としての「妥当性もなく」時間外にやってくる患者さんに対して、言葉に表せないような汚い感情を抱いてしまい、その都度自己嫌悪に襲われる、という繰り返しです。そのうち、僕の判断として「妥当な」時間外受診者にまで、理屈ではない拒否感を感じたりするのに至り、こうした仕事を続けていくことへの適性に疑問を感じずにはいられないのです。

 当初、寝る間もないような激務を覚悟して飛び込んだのは事実で、あくまでも自分の選択であるという思いと、社会に対する義務感から、最初の1、2年は時折疑問を感じながらも突っ走って来られた部分はありますが、自分より何年も先輩の医者たちが、いつになっても当直やコールの嵐から抜け出せない状況を見つめていると、その出口の無さに恐怖を覚えてしまう部分もあるのです。

 外科医として何者かになるまでには、まだまだ修行が必要です。しかし、そろそろ家でも購入して、一ヶ所に落ち着いて生活の拠点を築き、余暇も大切にしながら過ごしたいと思うことは医者として異常なのでしょうか。許されないことなのでしょうか。