小児科医過労死認定

 以前、「デスマーチ」のエントリの中で少しだけ、自殺に追い込まれてしまった小児科医に触れていました。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20070129#p1

いずれにせよ、こうして「辞める」という行動を取り始めたのが「立ち去り型サボタージュ」「逃散」と呼ばれる行為であり、自殺に追い込まれてしまった代表例が、中原利郎先生のケースです。

 激務と重責の中で、鬱病となり、自殺に追い込まれてしまったことはその遺書からも伺えるところですが、これを労災だと認めてもらうために、裁判を起こさなくてはならないというのが現状です。
 「過労死認定を支援する会」では、国に控訴しないよう求める要請のフォームが用意されています。僕も協力させて頂こうと思います。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~nakahara/index.htm

裁判判決報告!

3月14日、東京地方裁判所で言い渡された行政裁判の判決は
故中原利郎医師の労災認定を認め勝訴いたしました。
皆様のご支援に感謝いたします。

国が控訴しないよう働きかける要請行動にご協力をお願いします。
下記のPDFファィルをA4サイズの紙に横向きに印刷して、
点線に沿って切り取り、官製葉書に貼り付け大至急発送してください。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~nakahara/youseihagaki.pdf

 おそらく今でも多くの医師たちが、労働基準法から大きく逸脱した激務を要求されています。そして、その多くは証拠としては残っていません。国公立の病院では、行政の指導が入り、「当直中の業務を減らせ」とか、「休日は勤務するな」とか言うようですが、かといってその分の交代要員が用意されるわけでなく、結果として、事務方の強制によって、書類上は働いていないことにされてしまうのです。労災の認定にあたっては時間外労働の証拠の有無が問題となるようですが、その証拠は、少なくとも書類上は残っていません。その時点で問題にすればよいではないかと言う方もいらっしゃるかも知れませんが、国や自治体や病院トップの意志として、強い力が動いているので、個人でジタバタするのはかなり難しいのです。かろうじて残された方法が「立ち去り型サボタージュ」「逃散」であり、最近では、国立循環器センターの崩壊が記憶に新しいところです。

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

 循環器病を扱う病院としては日本のトップとして考えられているところであり、かつてならば、循環器を専門とする医師たちがこぞって集ったと思われる病院ですが、そうした病院ですら医師を留めおけないということは、義務感や使命感だけで、医師たちが激務に耐えることはできないという証明に他なりません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070301-00000017-san-soci (もう消えています)
http://www.sankei.co.jp/seikatsu/kenko/070310/knk070310000.htm
 「心身ともに疲れ切った」ために辞職を決めた医師の補充の目途がつかないまま、運営局は「患者に影響を与えるようなことはない」と言いきりましたが、影響を与えないわけがありません。

 ICU専門医の一斉退職にともない、同センターは外科とICUの分業態勢の見直しを検討。4月以降は、術後患者の管理・集中治療も執刀した外科チームが継続して行うとし、心臓血管外科にはこれまで以上の治療内容と責任を担わせる計画だった。

とのことですが、そりゃ、外科医も辞めるしかないでしょうね。ICUだけでも「心身ともに疲れ切る」のに、執刀医にその分も穴埋めさせるというのは、どう考えても無理があります。
 さらには、国公立の病院中心に、大学院生、レジデントといった、無給もしくは薄給で、建前として「自由意志による勉強のために」業務に携わる人間もたくさんいるのです。この議論をすると、よく「嫌なら辞めろ」と言われますが、この貴重な人員が抜ければ、当然病院は回りません。そもそも、公立の病院は、絶対にそれでは病院が回せないような定数を設定していたりするので、必要な人員をポストにつけることが出来ないことが多いのです。
 そうして、実働時間からはかなりさっ引かれた書類上の勤務時間が記録に残るのです。そして、監督省庁のトップである、厚生労働大臣の認識も最低です。
http://ameblo.jp/med/entry-10027348772.html
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/03/post_00dc.html

「たしかに病院に着いてから帰るまでの時間は長いかも知れないけど、その中には待機してる時間や休憩時間、自分の研究をしてる時間も含まれてるんだから、本当の勤務時間である『患者を診察してる時間』だけを見たら、厚労省の調査では別にたいしたことはない」

 「産む機械」発言の時は、前後の文脈を無視して、それだけを取り上げて「失言」と大騒ぎされる柳沢大臣に同情も感じましたが、その後のろくでもない国会答弁をみる限りは、結局、根本的に歪んだ思想が正直に言葉になっただけなのだろうと思うに至っています。
 ちなみに、当の厚生労働省自体が、「待機時間」もれっきとした労働時間だと認めているのですけれど。労基法32条1項によって、「休憩時間」は労働時間に含めないものとされています。厚労省自身は、休憩時間は除き、実労働時間と手待ち時間をあわせて労働時間であると定義しています。ちなみに、労働時間に休憩時間を加えたものが「拘束時間」という定義となります。
 柳沢答弁が各所でバカにされるのは、自分の省の通達すら理解していないからに他なりません。
 病院は病院で、あくまで医師のハードワークを美化しがちです。我々自身が、そうしたことを指命だと思い、頑張ってきた面もあります。しかし、不眠不休のパイロットは飛行機を降りて休むのが乗客のためであるように、疲れた医師はきちんと休むのが患者さんのためだと思うのです。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200702260034.html
 最近、十分な休息がないために、スキーツアーのバスが、重大な事故を起こしましたが、こういった事故の際、運転手や乗務員自体の責任の他、必ず使用者の責任や、労基法違反の有無といったことが問題にされます。その一方で、医療に関して起きた事故は(あるいは医学的に已むを得ないと思われる不幸な転帰も)、医師個人の責任が厳しく問われる一方で、その背景にある激務の問題についてはほとんど触れられません。
 アメリカ合衆国は、自国の医療改革の際、「これほど屈辱的な条件で医師を働かせることは出来ない」として、日本式のシステム導入を見送ったといいます。
 そうした議論のある一方で、2004年とやや古いものではありますが、某大手医療法人はこう言います。
http://www.jiyuren.or.jp/top/200401-03/040331-danwa.html

 経営の原点が「モラル」にあるというのが、私たちの文化です。また、「患者さんのための医療」を行なうには、ハードトレーニングとハードワークが欠かせません。これは欧米では常識で、私たちのグループでも外科医は午前6時に出勤し、7時から手術を行います。

 そして節約のために、イニシャルコストとランニングコストを抑えています。海外の金融機関は、「6時間かかる心臓病の手術がトレーニングで2時間でできるようになる」という私たちの文化、つまり企業文化のありようにお金を貸してくれるのです。もちろん、土日休みという文化は私たちにはなく、だから私も「年中無休」なのです。

 医師たちの多くは、午後の2時、3時にあわただしく昼食をとります。患者さんが待っているからです。また深夜には、救急の患者さんを断らずに手術を行います。そうした積み重ねがグループを支えているのです。

 病院自体は、24時間365日開いていて構わないし、それは患者さんにとって必要、理想的なことと言えます。しかし、それを支えるのが単に医師の激務だけというのは、やはり僕には疑問です。トレーニングは必要だし、現時点で限られた人的資源の中、どうしても発生してしまう病人を見捨てないために、医師たちの「ある程度の」自己犠牲はもちろん必要だと思います。朝6時に出勤しても良いけれど、その分どこかで休むべきだと思います。
 ちなみに、こうしたハードワークを「欧米では常識」と言っていますが、欧米では、きちんと休息するのも常識になっていると思います。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060208#p1
 スーパーマン医師はいても良いし、尊敬に値するとは思うけれど、全ての医師がスーパーマンにはなれないし、それを求めてもいけないと思うのです。