「スーパーマン医療」-0583-

 何を今更という話なんですけれど、たまに何気なく過去のテキストを読んでいると、あやふやな知識をいいかげんなまま書いていて、冷や汗を書くことがあります。おそらく、まだ気付いていない誤りもたくさんあると思います。そういうことも念頭においていたので、サイトでは「ネット上での健康相談は受けられない」とはっきり言っていましたし、「あくまで診断や治療の決定は近くの病院で」と訴えてはきましたが、その一方で、「無駄な受診が多い」というように、患者さん側の否を責めるようなことも書いてきました。これは少々矛盾しているのかなと今更ながら自省してみたりしています。あくまで医師を名乗っているのだから、あんまり無責任なことは書けないと思って、注意は払っているのですけれど、未熟な面も多いので、あくまでこのサイトは参考程度にして頂き、病気の相談はくれぐれも医療機関にお願いします。こう書いていても、病気の相談のメールというのは非常に多いのです。

 さて、本題です。医者の世界にも、やはり圧倒的に「できる奴」がいます。実際、こうしてスーパーマンがいることで、なんとか医療が回っていると言っても良いと思います。しかし、敢えてこうしたスーパーマン医師の難点を挙げてみると、彼らは、自分がとても頑張っているという自覚がないということなのです。周囲の凡人からみると「凄い」ということが、本人にとっては「当たり前のこと」にすぎないと本気で思っているので、逆に、周りで自分のレベルについてこれない人を「なぜみんなはやらないんだ」と思ってしまうのです。医者に限った話ではないと思います。

 毎日ほぼ不眠で働き続け、ミスなく高度で人間的な医療を与えることができるごくわずかのスーパーマン医師の存在。そして、その他多数の、凡人ながら、自分が働かなければ目の前の人が死ぬという義務感と、献身的意識で、待遇改善を叫ぶよりも前に、とりあえず医療行為を行っていこうという人々の存在。これらによって、なんとか医療が回っているのだと思います。

 一部のマスメディアでは、いまだにひどい偏向報道を行っています。全く関係ない異業種と医療の現場での「死亡率」なんて挙げてみて、統計学的に意味のない方法で比べてバッシングしたりするのです。もともと死ぬリスクも持った「病人」が集まる病院と、健常人がサービスを受けに来る業種で、死亡率なんて比べても意味がないでしょうに、おそらく、病院で死ぬ人を全てミスとでも言わんばかりにカウントしているのだと思います。そして、いま医療が行き詰まっているのは、ひとえに医者がふがいないせいだと言うのです。医療ミスというのは、横柄な医者が、場合によってはわざと手を抜いて、患者の容態を悪くしているんだと信じている人が多いのではないでしょうか。結局、そういう思いのもとに、自分を特別扱いしてもらうための「謝礼」のような発想もくっついてくるのではないでしょうか。

 実際、目の前の患者さんの治療内容に、松竹梅のランク付けなんてありえません。もちろん、特別室に入院するか、大部屋に入院するかなどの違いや、普段あまり臨床に携わらないような「偉い」先生方が気にする度合いが変わるという程度の差は生じるかも知れませんが、結局、ある症状に対してやるべき治療は誰に対してもほぼ平等です。日本の皆保険制度と、応召義務のもとでは、アメリカの個人保険のような「あなたの保険ではこの薬は使えません」ということはありえません。手を抜いて患者の容態が悪くなれば、民事・刑事責任を追及されることはわかっているわけだし、貧乏人だから治療しない、ということはほぼ起こらないのです。拒まずに治療をするが故に、医療費未納問題ということが生じているわけですし。たらい回しの原因の一つに、医療費を払えない患者の存在がいることは確かですが、それは、そうした患者を受けた病院が泣き寝入りするしかないというシステムが元凶です。押しつけるだけ押しつけて、国民皆保険のはずなのに、無保険者が存在し、病院は金をどこにも請求できないという状況に陥ります。公立病院なら救いがありますが、個人病院では経営に直結します。金の話なんて、とは言っても、金がなければ病院だって存在できません。

 目に見える締め付けばかりが大きくなって行き、「患者さんを救いたい」とか「感謝されるのがやりがい」といって医師を目指した多くの人間が、それこそ寝ずに懸命に医療行為に当たっても、不幸にして患者の容態が悪くなれば、家族に「医療ミスじゃないんですか!」なんて言われて訴訟をおこさたり、別段緊急でもない症状で真夜中に受診する患者に「病院の態度が悪い」なんて怒鳴られたりしているうちに、なんだかいろいろ歪んでしまうのです。

 おそらく今後しばらくは、そんな現状の中でも、ごくごく少数のスーパーマンが、もちろん待遇改善なんてことを言い出さずに、厳しい状況の中で自分を犠牲にして働いていきます。そして、そんな姿は「これこそ医師の姿」なんて美しく報道されるかも知れません。もう限界に達して「休みを!」と叫ぶ医師たちを「患者の気持ちを考えない医者」とかいってバッシングするのだと思います。スーパーマンがスーパーマンとして報道されるならまだしも、、スーパーマンを唯一正しい医者として設定してしまうと、多くの凡人は間違いなくぶっつぶれると思います。

 数年前までは、研修の義務化というのはなく、どこかの医局に入ってストレート研修というのが主流でした。学生時代の熱い思いのまま入局先を決め、外科や産婦人科、小児科の激務にめげそうになりながらも、一生の専門と思って属したところを抜けるにもそれなりのエネルギーがいるので、なんとかやり続けるというパターンもたくさんありました。昨年度からスタートした義務研修は、所属先を決めない2年間のスーパーローテートで、そこで数ヶ月だけ激務の診療科に身をおいた人間が、仮にそこを希望したとしていたとしても、最終的に決心が揺らいで、より拘束時間が短く、訴訟の少ない他科に鞍替えするということが多いようです。来春は、新しい制度の研修医がはじめて入局してきます。全国で、後期研修先として産婦人科や小児科を選んだ医師がわずかというのは、このあたりの影響も大きいと思います。

 正確なソースがないのですが、新研修制度をはじめて終了し、来春、後期研修で産婦人科専攻を選んだ人は、全国で120人程度とか。単純計算で1県2〜3人くらいですが、大都市に集中することなどを予想すると、実際、地方には全く新たな産婦人科医がいないところもでてきます。ちなみに、小児科志望者が100人あまりという話です。夜間救急がどうとかいう以前に、既に通常診療が相当危ういのです。

 そして、当たり前の話ですが、僕ら医者にも、自分の人生を選ぶ権利はあります。医者を選んだ以上、そんな権利は全て捨ててただ働けというのでは、必ず崩壊します。同様に、産婦人科医や小児科医、あるいは近い将来外科医が足りなくなるとして、それが困るからと、誰かを強制的にそれらの専門医にするわけにはいきません。そこには、大変なら大変で、そこを選ぶ魅力がなければなりません。過去に何度も言っているように、そうしないと、確実に優秀な人材は他に流れます。

 数年前から、ほぼ同じようなことを書いていますが、いよいよ「ヤバイ」というのを現場で感じているのです。