カラーギャング外来

 某巨大都市の野戦病院的救急外来にて。
 救急外来の出入り口のあたりから怒号が聞こえた。
「担架持ってこい、担架ー!」
「早く診ろよコラー!」
いわゆるカラーギャングと呼ばれるような一団が、誰かケガをしてきた人を連れてきて大騒ぎしている様子。こういう時、僕は念のため名札をはずしてポケットにしまい、万が一つかみかかって来られたときのための退路を確認する。
 これは、どこかの病院の救急外来で、看護婦さんに教わった極意だ。そのベテラン看護婦曰く、正常な診療のやり取りが行われればいいけれど、そうで無い場合、とくに薬物中毒とか、コントロールされていない精神疾患の方などに名前を覚えられてしまい、後日襲いかかられるということがあるらしい。
 そんな話をすると、何を大袈裟な、と、家族や友人は笑ったし、これから医師になるであろう後輩たちも話半分に聞いていたようだ。でも、実際に鉄火場に立つと、僕が言っていたことが決して誇張されていないことを実感するのだ。特にこの街にやってきてから、身の危険を感じたことは少なくない。僕がこの不慣れな街の病院に赴任したばかりの時、上司は
「間違っても車に乗っている時にクラクションなんてならしちゃいけないよ。刺されるから」
と言った。さすがに大袈裟な、と思ったけれど、実際にそうやって刺された人が救急外来に運ばれて来たのを診たりして、なんて怖い街だと思ったものだ。
 入り口で叫んでいた一団は、彼らがわめきちらすところによると、対立するカラーギャングとのいざこざのため、相手方と喧嘩をしたということらしい。顔を腫らした二十歳そこそこの男の周りに、十数人のおそらく十代くらいの少年たちが、わらわら群がってギャーギャー騒いでいる。
 全部に通用するわけではないけれど、こういう相手に対しては、ある程度強い立場で接しなくてはいけない。かといって、乱暴に接するということではない。あくまでこれから診療を行う医師であり、彼らにとって必要な存在であるということ、そのためには病院の指示にきちんと従ってもらわなければならないということ、それらを丁寧な言葉で、かつ強い意志をこめて伝える。理不尽な要求を適当に受け入れると、その後は彼らのペースになる。できることとできないことをはっきり示した上で、問題が起きるなら警察を呼ぶということを明言する。
 十数人も大挙して診察室に乱入してくる一団に対し、
「全員入ってきたら必要な処置ができない。事情のわかる数名だけにして下さい」
と強い口調で告げる。何人かのバカは、そうした言葉に対してにらみ返してきたり、向かってこようとしたりするのだけれど、とりあえず医師を攻撃してしまったら、彼らが病院に来た理由もなくなるし、今のところはっきり敵対しているわけではないので、大抵の場合、一応引き下がる。
「どうしましたか」
「どうもこうもねえよ。痛えんだよ」
「どうもこうもないと言われると、診察のしようがありません。何が起きたのか、何を診て欲しいのか言ってもらえなければ、検査も治療もできませんよ」
「みれば分かんだろ、さっさと治療しろよ」
「みても分かりませんよ。どこが痛いか言って下さい」
 一団のうち、比較的話のわかりそうな一人を側につけ、事情を説明してもらいながら、喧嘩によってうけた傷とやらを確認していく。擦過傷を処置し、打撲を確認し、腫れの強い部分のレントゲンのオーダーを出す。
 レントゲンの現像待ちのあたりで、受傷した男よりも、さらに立場が上と思われる男があらわれた。さっきまで痛い痛い行って、ストレッチャーに寝ていた男は、いきなりむくっと起きあがり、
「○○さん、申し訳ありませんでした! 俺がふがいないばっかりに!」
と叫び、相手方との喧嘩に負けた(らしい)ことを詫びている。その言葉に反応して、受傷者を取り囲んでいた若い連中が、一斉に泣き出した。
「××さんは、俺たちのために闘ってくれたんすよ! すいませんでした! ××さん!」
 彼らが、一団の偉い人に説明するところによると、そもそも一団の若い連中が対立する団体とのいざこざに巻き込まれ、そのケリをつけるために、受傷した男が出ていって喧嘩した、ということらしい。
 最初は、また面倒な患者が来たと露骨に嫌な顔をしていた看護婦さんたちが、その一見心温まる師弟愛のような場面に際して、
「いやあ、結構可愛い子たちよね。少し感動するね」
とか言っていたけど、やっぱり僕はそんな感想を抱けないな。
 まあ、その偉い人の前では一団全員ひれ伏すような感じなので、逆にその後の対応は楽。受傷者本人と、その偉い人中心に、レントゲンの結果と処置の内容など説明し、痛み止めなど処方してご帰宅頂いた。ご帰宅頂くまで相当の時間救急外来に居座り、
「××さん、俺、お茶買ってきますよ!」
とか、泣きながら若い連中が病院の自販機に駆けていったりしていたのだけれど、とりあえず病院へ向かう攻撃性とか、診療へのイチャモンとかなさそうだったので放置していたらそのうち帰った。
 診療行為としては大したことはしていないのだけれど、こういうケースを診たあとはずっと疲れる。僕はこの病院で当直するたびに、偽名のチンピラとか、たちの悪い酔っぱらいとか、そんなのばっかり診てる。
「いやあ、ホントこの病院って、変わったお方ばっかりやって来ますねえ」
と呟いた僕に、看護婦さんは、
「いや、ここ最近は、先生の時だけですよ」
と即答したのだった。