救急車

http://www.paramedic119.com/tameiki/no036.htm

救急隊長「そうですか、それは良かった。Kさんね、もしどうにか動けるようなら、今度同じようになってしまった時はタクシーとか民間救急車ってサービスもありますからそう言うものも考えてみてください。今はね、救急要請の119番が増えてしまって…」
救急隊長がKさん相手に広報活動をしている。「どの科目に行って良いか分からなかった」とか「病院が分からなかった」などで救急要請する方などにはそういう時にはどうすればよかったかを搬送途上に説明したりします。こういった小さな広報活動の積み重ねが増大し続ける救急要請に歯止めを掛けるには重要です。でもねぇ…隊長マジメだよなぁ、多分この人には無駄な努力になりそう。
Kさん「ふ〜ん、そうなんだ大変なんですね、でもオレは腰が痛いから仕方ないね、救急車が足りないのは行政の問題だろうし、オレには関係ないね」
救急隊長「…」

 救急車の要請以前に、そもそも時間外の受診自体の必要性を疑うような相手に対しても、「こんなことで救急車を使わないように」と強く言うのには勇気が入ります。誰にも予想できないような、後付の結果責任でバッシングされるのが怖いですから。現行法では、救急車は要請されれば出動しなくてはならないし、必ず病院に搬送されなくてはなりませんし、どんな場合でも無料です。こうしたアクセスの容易さが、真の重症者に利用を躊躇わせないということに繋がるのだといわれていたし、僕らは「本人が救急と感じたときが救急なのであり、医療者はそれに真摯に対峙すべきだ」と指導されたものです。
 個人的な意見としては、救急車というのは基本的に生死の境にあるか、自動不可能で移動に介助を要する者のためにあり、それ以外の人間は、あくまで他の移動手段を選択すべきだと考えています。ただ、そういった判断基準で考えると、救急搬送されてくる患者さんの大半は、救急車を利用すべきではない方です。
 とは言っても、生死の境ではないにしろ、そこそこ辛そうな方が救急車でやって来たのに文句を言う趣味はありません。そうした範囲も超えて、救急車を利用する理由が全く見あたらない人に対しては、まずせめてもの意思表示として、「わざわざ救急車を要請した理由は?」と聞くようにしています。イヤミと言えばイヤミだけれど、それをイヤミとして捉えてくれるくらいのレベルの相手だったら、まだマシです。そもそも、自分が救急車を使いたいときに使いたいように使うことに、全く罪悪感を感じていないという相手に対しては、なんらかのわかりやすいペナルティを課すしかないんだろうとは思います。
 友人の精神科医が、年に365回以上も救急要請をしてしまう問題患者さんに対して、救急隊員への謝罪をさせているという話をきいて以来、症状や理由如何では、患者さんに謝罪するように求めることを試みたりもしています。
 もちろん、すべてスルーして、さっさと診察して、患者さんの求めに応じて注射したり薬出したりして、なるべく早く当直室のベッドに戻る方が圧倒的に楽です。でも、声高に権利だけ主張し、性善説に基づくインフラにただ乗りするような人が、結局最も得をしてしまうような状況が、やっぱり許せないんですよね。