日本財団は同性愛者への差別解消には取り組みません

 日本財団って、幼い頃に何度と無くテレビでみた「戸締まり用心、火の用心」のコマーシャルの「日本船舶振興会」の通称なんですね。この財団が何をやっているのかはよく知らなかったのですが、ハンセン病への差別根絶への取り組みなどを行っているようです。現在は、創始者の三男である笹川陽平氏が会長をつとめておられるようです。笹川氏はブログを書いており、1/21に「同性愛!! 二大超大国 アメリカと中国」と題して以下のようなエントリを書いています。
http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/1734 (魚拓)

派手な大統領選挙に隠れてあまり目立たなかったが、同時に行われたカリフォルニア州同性婚禁止をめぐる住民投票は、大方の予想に反し、小差ながら賛成多数で可決された。

アメリカでは、今から50年近く前でも同性愛は珍しいものではなく、「アメリカ訪問時は同性愛に気をつけろ」と注意されたものである。バス停で待っているとキャデラックが停まり「どこに行くんだ? 送ってやるよ」としばしば誘われた。また知人の家を訪問した折には大の男が二人、一つのベッドに寝ているのを見て気分を悪くしたこともある。

当時は1ドル360円時代である。日本からの貧しい留学生は、保証人や住宅の確保を善意のアメリカ人に頼らざるを得なかった。そうした善意のアメリカ人の中にも同性愛者がおり、興味本位か経済的理由であったのかは知らないが、彼らによって、その道に入った日本人留学生もいた。

私自身は、性同一性障害という不幸な病気を背負った人のいることは承知しているが、同性愛はどうしても理解できない。

現在、中国の同性愛者は約3000万人といわれ、最近までは精神的障害者として精神疾患の公式一覧表に掲載されていた。

近頃は公共の場で抱き合ったりキスをする姿も珍しくはない。一人っ子政策の結果、男女の比率は男130に対し女100。この数字は将来更に同性愛者が増加することを意味している。

 カリフォルニア州同性婚禁止法案については、僕もかつて取り上げています。人権を奪う愚かな法律だと思っています。現在、改めてその違憲性について争われているようです。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20081110#p2
 さて、笹川氏は、エントリ中で同性愛が自ら選択して飛び込む嗜好であるようなとらえ方をしており、さらに、同性愛に対する嫌悪を示しています。性同一性障害を承知しつつ(確かに現在の社会制度において性同一性障害は「不便」ですが、「不幸」という表現には抵抗がある方も少なくないでしょうけれど)、同性愛は理解出来ないというアンバランスさも気になります。中国では男性の比率が大きいから将来的に同性愛者が増加するというよくわからない論理展開まで行っています。
 同性愛については、かつて舌足らずながらも綴ったことがあります。
http://d.hatena.ne.jp/zaw/20030214#p1
 この社会はもちろん異性愛者が圧倒的多数派であり、子孫を残すという目的に同性愛というものは向いていません。そういう意味では不自然なものかも知れません。しかし、これは「嗜好」の問題ではなく、修正のきかない「性的指向」であると理解されています。かつては精神疾患として扱われ、治療が試みられたりしました。しかし、それはどちらかというと反省すべき歴史としてとらえられているようです。例えば、イギリスでは、電気ショック療法が試みられ、しばらく世界中で広く用いられました。これは、同性の裸の写真を見せながら電気ショックを与えるというものでした。あまりにも乱暴なものであり、当然「治療効果」もほとんど認められませんでした。
 笹川氏が中国でかつて「精神疾患の公式一覧表」に同性愛が掲載されていたということを書いていますが、中国だけに限った話ではありません。世界的にも、日本においても精神疾患として扱われてきました。そして、中国でも精神疾患の一覧に掲載されなくなったように、現在、国際医学会やWHO(世界保健機構)では、同性愛は異常なものとはみなしておらず、治療の対象からも外されています。日本でも国際的な流れに従い、1994年には旧厚生省が同性愛を疾病リストから除外しています。1995年には日本精神神経医学会も同性愛は疾患ではないという見解を示しています。
 また、同性愛が単なる「嗜好」であるのならば、自分が同性愛者であることに気付いた後、誰にも言えずに悩み苦しみ自殺する若者や、特にイスラム法下において死刑を含む厳しい刑罰を下されているという現状をどうとらえれば良いのでしょうか。
 同性愛者はまだまだ社会から隠された存在であり、あるいはメディアにその一部分を誇張され、嘲笑してよいものと扱われがちです。そんな社会の中で、特に周りに相談できない少年や少女たちが、「学校」とか「宗教」とか本来ならば自分を受け入れて守ってくれるべきである場所から拒絶されたらどう思うでしょうか。同性愛者が少数派であり、多数派からみて「理解できない」という気持ちは分からないでもありませんが、嫌悪や拒絶は褒められた態度では無いと思います。それが単に嗜好の問題であれば、「反社会的な」嗜好を我慢すればよいだけの話ですが、同性愛という「指向」は、修正できないものであり、また深く人格に根差した部分です。
 ハンセン病への差別を無くそうとする団体の長という影響力のある立場であれば、こうした無理解は特に許され難いものだと思います。笹川氏が同性愛者に対して「気分を悪くした」というのは、言うなれば健康な人間がハンセン病患者に対して「気分を悪くした」というのに等しい差別的な発言なのです。正直、同性愛者へのここまでの差別意識を表現されてしまうと、ハンセン病理解への啓蒙活動にも疑問符が点ってしまいます。
 追記。2007/4/6には以下の記事が。
http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/823

「私達男同士なので好奇な目で見られたんです」

「要するに同性愛者に見られたわけね。それは悪かったね。それでベッドに二人で寝たの?」

「幸いツイン・ベッドでした」

 とことん同性愛者がお嫌いなようです。繰り返しますが、人権を謳う団体の長の言うべき言葉では無いと思います。
 さらに追記。1/24付けで「お詫び」が掲載されました。
http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/1755

21日付で掲載した「同性愛!!二大超大国 アメリカと中国」に多数の抗議、批判をいただきました。アメリカ同様、中国でも同性愛に対する社会的認知が進んでいる事実を紹介するのが趣旨でしたが、長年、世界の「ハンセン病患者、回復者に対する偏見差別」の撤廃活動に邁進してきた者として軽率な発言であったと反省しております。

同時に同性愛や性同一性障害の方々がいわれない差別や中傷に直面されている現実、さらにその背景にハンセン病と同様の差別の構造があることをあらためて知りました。性同一性障害を「病気」などと記した軽率さも恥じています。

今回の経験を真摯に受け止め、思いを新たにしてライフワークであるハンセン病の制圧と偏見差別の撤廃に向け活動を続けたいと思います。

掲載日当日からからロンドンに出張しており、対応が遅れたことを併せてお詫びします。なお24日付のコメント欄に私と同名の「Posted by 笹川陽平 2009年1月24日(土)00:39」の書き込みがありますが、私とは一切無関係であることを申し添えさせていただきます。

 あのエントリを「アメリカ同様、中国でも同性愛に対する社会的認知が進んでいる事実を紹介するのが趣旨」というのはなかなか苦しいような気がしないでもないですが、とりあえず謝罪があったということについては敬意を持って受け止めたいと思います。ちなみに、コメント欄の投稿というのは以下の如くです。本当は誰が書いたものなのかは、僕には確認する術はありません。

みなさまのご意見を拝聴しました。こんなに沢山のコメントが寄せられるとは思ってもみませんでした。コメントが沢山寄せられた為、回答のコメントをします。


性同一性障害について

性同一性障害の方が、不幸と思われていない事、また、私が不幸であると書いた事に憤慨されている事は判りました。気分を害された方には謝ります。


同性愛について

残念ながら、私は異性愛者です。この為、同性愛という物がどうしても理解できません。理解できないと言うか、受け入れられません。

考えてもみて下さい。1つのベッドに大の大人が二人、寝ている。それも男同士。だきついていたりもしたら、身の毛もよだつ事です。この感覚は判っていただけますでしょうか?それがへんでないとおっしゃるのなら、そう思っていればいいのです。しかし、この世のほとんどの人は口に出さないだけで、実際は軽蔑し、生命倫理に背く行為か、気持ち悪いと思っているでしょう。

同性愛が自由だとおっしゃるのは自由です。でも、それと同様に私が同性愛が理解出来ないとブログで書く事も自由です。

その点は反論させていただきます。

私は絶対に同性愛は指示しません。
Posted by: 笹川 陽平  at 2009年01月24日(土) 00:39