抗癌剤を用いた臨床研究が事実上不可能に

http://mric.tanaka.md/2009/01/26/_vol_13_1.html

臨時 vol 13 「国内での臨床研究が事実上不可能に」
2009年1月26日発行
がん難民時代〜
東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門
准教授 上 昌広

 長いので要点をまとめます。
 平成20年7月31日に改定された「臨床研究に関する倫理指針」が本年4月1日より施行される予定となっているのですが、その内容が深刻なものなのです。
http://www.mhlw.go.jp/general/seido/kousei/i-kenkyu/rinsyo/dl/shishin.pdf
 この改訂では、臨床研究における被験者保護の規定が新設されています。医療というものの不確実性も鑑み、その治療自体の過失の有無に関わらず、健康被害を補償しようというもので、その理念自体は素晴らしいものだと思います。しかし、その被験者保護の責任を国が負うのではなく、医師個人に負わせるという内容が定められています。そのため、医師は原則として今後創設される「無過失賠償保険」等に加入することが義務付けられることになると定められています。損害賠償額は年々高騰しており、基本的には医師個人が到底支払える金額ではありません。交通事故に備えて任意保険に入るように、医師の多くは(過失があった際のための)賠償保険に加入しています。ただし、現行では無過失の賠償を個人の保険から支払うということはありません。そのため、賠償を前提としてありもしない「過失」を認定してきたようなこともあったのだと思います。「大野病院事件」も、不幸な転帰の患者さんに賠償をするための前提として病院の過失を認定した事故報告書が、医療界にとっての大きな事件の始まりでした。
 特に、抗癌剤治療においては、軽度のものを含めればほぼ100%の副作用が発生します。副作用というデメリットと、治療におけるメリットを天秤にかけて治療の可否を決めるのです。癌の多くは、放置すればほぼ確実に死に至るわけであり、命をかけて抗癌剤を用いるということは大いにありうるわけです。近年、新規抗癌剤が多く開発され、その安全性と効果を確かめるため、国内外で多くの臨床研究が行われています。その研究からは少なくない有益な結果が得られており、多くの癌患者の命を長らえています。
 さて、死の可能性も含んだ抗癌剤による健康被害について、無過失で補償するということが、個人や民間レベルで可能なのでしょうか。前述の指針作成のために行われた平成20年7月10日の科学技術部会「臨床研究の倫理指針に関する専門委員会」において、特別ゲストとして参加した東京海上日動火災および損害保険ジャパンの両社ともに、「リスクの高い抗がん剤免疫抑制剤等は保険対象外」との意見を述べています。
 すなわち、これは国内での臨床研究が事実上不可能になったことを示します。厚労省は、この条項を削除することはせず、本無過失補償条項を強行に採択しました。
 さらに簡潔にまとめてみます。


今後、臨床研究における健康被害は過失の有無に関わらず医師個人が賠償することとする。
(厳密な意味での法的強制力は無いが、厚生労働省の指針として非常に強大な力を持つ)
              ↓
医師は個人で無過失賠償保険等に加入することが義務化される。
              ↓
リスクの高い抗癌剤免疫抑制剤等は保険対象外。
              ↓
事実上抗癌剤免疫抑制剤を用いた臨床研究は不可能に。
(日本に先行して海外で有用性や安全性が認められている薬剤についても国内で使うのがほぼ不可能となる。)

 非常に深刻な問題です。「がん対策基本法」とか「がん難民」とか言って大騒ぎしている国が、むしろその「がん難民」を積極的に作ろうとしているのではないでしょうか。癌治療に関わる一人の医師として、また、将来患者となるかも知れない一人の人間として、非常な危機感を抱いています。
(追記―1/27)
 誤読ではないのかという指摘につきまして。ちょっとわかりにくくなると思い、簡潔にまとめたつもりでしたが、かえって誤解を招いてしまったかも知れません。確かに、条文からは「医師個人の無過失賠償責任」ということがわかりにくくなっていますし、ご指摘の如く「逆に無過失賠償を否定している」ととれなくもないのですが、本則と細則をあわせて考えるとどうにも矛盾したものであると思うのです。医師個人(あるいは各病院)以外からの賠償については全く触れられておらず、僕にとってはこの指針は、賠償責任を一切個人に放り投げたようにしかとらえられませんでした。上先生のエントリについても「誤読では?」のブックマークコメントがついていましたが、上先生のエントリも含めて誤読だとは思っていません。 
 まずは、上先生のエントリを読んで頂きたく存じます。上先生のエントリの繰り返しのようになってしまいますが、以下に補足しておきます。
 ご指摘の如く、この指針において「第4インフォームド・コンセント1(3)」の細則に但書として「臨床研究に関連して被験者に健康被害が生じた場合の補償のための保険等必要な措置は、必ずしも研究者等による金銭の支払いに限られるものではなく、健康被害に対する医療の提供及びその他の物又はサービスの提供という手段が含まれるものである。なお、被験者に健康被害が生じた場合でも、研究者等に故意・過失がない場合には、研究者等は必ずしも金銭的な補償を行う義務が生ずるものではない。ただし、補償金が保険により填補される場合や、当該臨床研究において被験者の受ける便益及び被験者の負担するリスク等を評価し被験者の負担するリスクの程度に応じ補償する場合には、研究者等の意思・判断として、その内容や程度について被験者に対しあらかじめ文書により具体的に説明するとともに、文書により同意を得ておく必要がある」とあります。過失・故意への補償は当然今までも行われていましたし、無過失の補償を個人が負うということは通常ありえません。しかし、ここであえて「必ずしも」金銭的な補償を行う義務が生ずるものではないと書いているということは、無過失賠償責任を否定しているのではなく、むしろ「例外的に補償を行わないで良い場合がある」と読むほうが自然と考えました。
 本指針の「第2研究者等の責務等1研究者等の責務等(4)では、「研究者等は、第1の3(1)1に規定する研究(体外診断を目的とした研究を除く。)を実施する場合には、あらかじめ、当該臨床研究の実施に伴い被験者に生じた健康被害の補償のために、保険その他の必要な措置を講じておかなければならない。」と規定されています。ここでの「その他の必要な措置」とは、「例えば、健康被害に対する医療の提供及びその他の物又はサービスの提供」であり、実際に、科学技術部会などの話し合いによって、指針に従って民間保険会社により「無過失賠償保険」等が新設されることとなっています。
 この指針の「第4インフォームド・コンセント1(1)」には「・・・臨床研究に伴う補償の有無・・・十分な説明を行わなければならない。」とあります。「臨床研究に伴う補償の有無」と言っても、前述の条項によって、補償が無いことは原則想定されず、医師個人に無過失補償を設定している以上、「第4インフォームド・コンセント1(1)」はあまり意味を為さないこととなってきます。
 「第4インフォームド・コンセント1(3)」の細則において補償か金銭の支払いではなく、医療の提供等ということになれば、確かに医師個人の賠償にはならないかも知れませんが、いずれにせよ、国がその賠償に関わるという方針は決められていませんので、各病院の賠償ということになるのであろうと思います。「ただし、補償金が保険により填補される場合は」の下りも、原則保険を意識しているという記述であって、あくまでも賠償責任を国から病院や医師個人に転嫁するものと考えられます。もし、医師個人に無過失賠償責任を負わせるつもりがないのであれば、「無過失賠償保険」の新設を誘導することはないでしょうし、「必ずしも」ではなく、はっきりと「金銭的な補償を行う義務が生ずるものではない」とすれば良いと思います。
 臨床研究が事実上不可能というのが言い過ぎであるとしても、抗癌剤を用いた臨床研究では事実上賠償を受けられないということになるのではないでしょうか。「臨床研究に伴う補償の有無」について説明して同意を受けるという条文からすると、保険で補償されないのであれば、「補償は無い」という説明をしなければなりません。しかし、「当該臨床研究の実施に伴い被験者に生じた健康被害の補償のために、保険その他の必要な措置を講じておかなければならない」という本則に反することになるという矛盾が生じてしまいます。
 ちなみに、臨床研究というのは病院に金銭的な利益を与えるものではありません。人体実験で成果を得て名誉を得るというものでもありません。現在の臨床研究は、決められた手法に乗っ取って、全国(あるいは全世界)規模で症例を蓄積することで、医療の発展に寄与するというものであり、(製薬会社にとっては利益を得る手段となるかも知れませんが)少なくとも現場においては、純然たる医学徒としての務めとしてこれにあたっています。ただでさえ、公的な病院にも独立採算を求めたりと、諸外国での「医療に経済原則を持ち込めば失敗する」という教訓を生かせていない上に、金銭的利益の無い臨床研究に莫大な賠償責任の可能性を負わせるというのはやはり愚かしいのではないでしょうか。
 僕としては以上のような思いです。あとは原文をあたって頂き、各々でご判断頂くしか無いと思います。
 もし誤読だとしても、誤読させるような内容であるということがそもそも問題だとも思います。