知らない方が良かったことかどうか分からないこと

 まあなんというかつまらないことをいつまでも覚えているタイプの人間なんです。そして、今更どうにもならないようなことや、もはや真相を確認することができない事項を何度も何度も反芻し、無駄なことに思いを巡らせることを止められないという悪癖。幸運とか他人の親切で失敗や不幸な結果には至らなかったようなことは特に、もしその幸運や助けがなかったらどんなに恐ろしいことになっていたかということを噛み締めて、実際には直面することを避けられた酷い事態を想像してダメージを受けてしまう。まあ、臨床医をやっていく上で、少なくとも自分のメンタルを維持するという観点からは相当に向いていない性質とは言えます。よく言えば慎重で、何事においても自省の心を持つ、ということなのかも知れませんがまあ度を超えているのではないかと我ながら思います。
 特に実家に関することについては、少し引っかかりながらもとりあえず受け流したあれこれについて、だいぶ前に母が亡くなってしまったことでもう二度と確認できなくなってしまっています。知らない方が幸せなことも少なくないのだろうと思いつつ、はるか昔のことを一つ一つ思い出してはずっとモヤモヤしているのです。頑張れば記録なり証人なりを探せる可能性があるものならまだしも、どう考えても真相を確認できない事項についてあれこれ考えすぎるのは不毛なんですが、まあ不毛なことをするわけです。
 母が亡くなる前に、謎のいくつかについては真相を知ることができました。ただ、私が幼いうちにもいろんな闇に気づき、心を痛めていたのに対し、一年十か月しか歳の離れていない弟は、そうした問題をほとんど認識していなかったというのは結構驚きではありました。私がある家族に対してどうしてもあたりが強くなったり、拒絶感を隠さないことについて、弟はずっと疑問に思っていたらしいのですが、闇の部分を認識していないのなら疑問に思って当然ではありますね。逃げ場のない中の家庭内の出来事だったのに、弟がそれをほとんど認識していなかったということには母も驚いたらしいですが、それまで、敢えて弟には明確に説明せず母と私とで背負って対応していた部分についても、初めて弟に全て話したと聞いています。実家にまつわるトラウマ的エピソードが連鎖的に頭に浮かんできてしまうと、しばらくそこから抜け出せなくなって本当にぐったりしてしまうのです。
 そもそも母は「悪縁も縁」といろいろ背負いすぎるところがありました。私はそこまで変な縁を背負うつもりはないのですけれど、それでもまあ、見知った顔がどこにも頼れず野垂れ死ぬような状況を望むものではないので、適度に手は差し伸べているつもりです。実家に限らず、親戚関係も含め、母が背負っていたことの後始末には、厄介なことも結構あって頭が痛いのです。
 春に一時帰国した際に、やはり実家まわりでいろいろ大変なことが生じている中高の同窓生と久々に会ったのですが、その際「お互い背負い過ぎないようにしよう」と話して別れたのでした。まあそのとおりなんだけれど、逃げられない部分はありますよね。日本にいると距離が近すぎて、いろいろ思い出したり考えたりする時間がどうしても増えてしまうから、海外勤務というのはそういうしがらみからの逃亡という側面も正直あるように思います。